ヘイトスピーチの自由を守れと言ってるようなものなんだがなぁ。

少し前の話題ですが、朴裕河氏に対するソウル高裁の有罪判決に関する朝日社説(2017/10/31)の件です。
朝日新聞朴裕河路線推しですから、こう主張せざるを得ないのでしょうけど、全く判決内容を踏まえていないのは裁判批評としてもどうかと思いますね。
(社説)「慰安婦」裁判 韓国の自由が揺らぐ(2017年10月31日05時00分)

朴裕河裁判の刑事高裁判決については以前、「朴裕河による名誉毀損事件の刑事裁判高裁判決に関する件 」という記事をあげていますが、朝日社説にも事実誤認が含まれていますのでその点、改めて指摘しておきます。

「公権力が独自に真否を断じ」たわけではない

 虚偽とされたのは、戦時中の元慰安婦の集め方に関する記述などだ。研究の対象である史実をめぐり公権力が独自に真否を断じるのは尋常ではない。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

名誉毀損裁判ですから、摘示された内容が事実か否かの判断は避けられず、その判断は裁判所に委ねられるわけですが、それは日本でも同じことです。ですが、朝日社説の「研究の対象である史実をめぐり公権力が独自に真否を断じる」というのには違和感を覚えます。

ソウル高裁は判決で「クマラスワミ前国連経済社会委員会人権委員会特別報告官など国際機構の研究報告書と河野談話を引用して、日本軍「慰安婦」の大部分が自身の意思に反して動員され、その過程で日本軍が直・間接的に関与した事実が認められると指摘」*1しています。
国際的に認知されている報告書などに依拠しています。
そして、「「朴氏は断定的表現を使って『朝鮮人慰安婦』が自発的に性売買をしたとし、日本軍に協力して共に戦争を遂行したと受け止められるように叙述した」として「これは(国際機構などが認めた)客観的事実と異なる」」*2と判断したわけです。

ですので公権力が“独自に”真否を断じたわけではありません。

少なくとも裁判所は学問や表現の自由を考慮した上で、朴裕河側に対して配慮した

 一審は、大半の記述について著者の意見にすぎないとして、無罪としていた。高裁は一転、有罪としながら、学問や表現の自由は萎縮させてはならないと指摘したが、筋が通らない。
 学問の自由が守られるべき研究の領域に踏み込んで刑事罰を決める司法を前に、学者や市民が萎縮しないはずがない。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

刑事裁判に移るまでに刑事調停をやったりしていましたので、朴裕河裁判の刑事高裁判決を見て萎縮するような研究者はそうはいないと思うんですけどね。
朴裕河「帝国の慰安婦」は刑事裁判以前に、民事訴訟でも破れたものの修正の上での出版を認められています。その時朴裕河氏が取った態度は、これ見よがしに伏字にしたり、裁判継続中に日本語版を出版したりとやたら挑発的なものでした。

名誉毀損が争われている渦中の書籍を海外で出版するとか、原告から見れば喧嘩を売ってるとしか思えない行為ですし、裁判所の心象も当然悪化するような行為です。それでも、ソウル高裁は刑事事件としては罰金刑におさえたわけで、かなり表現の自由に配慮していると言うべきでしょう。

韓国での学問や表現の自由の問題は、戦後の軍事政権時代に対する批判に向けられる政治圧力の方にあるでしょうに

 韓国では、植民地時代に関する問題はデリケートで、メディアの報道や司法判断にも国民感情が影響すると言われる。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

この辺も韓国の教科書問題の事情をちゃんと踏まえているとは思えない記述です。
以前こんな記事を書きました。
韓国の「親日」教科書採択抗議運動を非難している日本の嫌韓バカは、韓国の教科書には韓国政府による虐殺事件について記載されなければいいと思っているのかな?
日本メディアが偏向して伝える韓国歴史教科書問題
似た者同士の日韓首脳
こういう事情です。

民主化とともに発言する力を強めた韓国のリベラル勢力は当然、植民地時代の日本の圧制を非難し、従軍慰安婦問題で日本軍に性暴力を追及すると共に、植民地時代に不当に富と権力を得て独立後の韓国に君臨した「親日派」軍事政権による民衆弾圧やベトナム戦争での残虐行為、主に外国人向けとなった管理売春を批判してきました。それらは国定から検定に代わった教科書にも載るようになりました。

しかし、このような教科書を気に入らなく思うのが朴槿恵政権です。自らの父・朴正煕を、過酷な植民地時代には日本に擦り寄り、独立後は軍事政権として民衆を弾圧した人物として書かれた教科書が気にいるはずもなく、圧力をかけて歴史修正主義で書かれた教科書を検定で通したわけです。かつて、日本で歴史修正主義扶桑社教科書が検定で通されたのと同じですが、韓国での歴史修正主義教科書は、植民地支配時に日本に協力したのは圧力のため止むを得なかったとみなし、軍事政権時代の弾圧の記載は軽視する、というものです。日本の歴史修正主義教科書が、戦争は止むを得なかったとみなし、日本軍による残虐行為を軽視するのに対応します。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20140226/1393348792

あるいはこんな。

Ms. Park is concerned about the portrayal of Japanese colonialism and the postcolonial South Korean dictatorships in history books. She wants to downplay Korean collaboration with the Japanese colonial authorities and last summer pushed the South Korean Education Ministry to approve a new textbook that says those who worked with the Japanese did so under coercion. (A majority of professionals and elite civil servants today come from families that worked with the Japanese colonizers.) Academics, trade unions and teachers have accused Ms. Park of distorting history.

http://www.nytimes.com/2014/01/14/opinion/politicians-and-textbooks.html

「植民地時代に関する問題」がなぜデリケートなのか、それは戦後の軍事政権による弾圧の歴史につながるからです。朝日が社説にそこまで記載できないのは字数の問題で理解できなくもないですが、そもそも韓国の歴史修正主義の流れをこれまでほとんど報じてこなかったことのツケでもありますから、あまり同情する気にもなれません(上記引用のNew York Times はちゃんと把握し報じているわけですからね)。

争点となっている箇所が違う

 そんな中で朴教授は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈した。物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した。
 社会に浸透した「記憶」であっても、学問上の「正しさ」とは必ずしも一致しない。あえて事実の多様さに光を当てることで、植民地支配のゆがみを追及しようとしたのである。
 朝鮮半島では暴力的な連行は一般的ではなかったという見方は、最近の韓国側の研究成果にも出ている。そうした事実にも考慮を加えず、虚偽と断じた司法判断は理解に苦しむ。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

就業詐欺のケースが多かったことなどは、1993年の時点で挺対協が報告書にまとめていますので、朝日社説の上記部分は頓珍漢としか言いようがありません。

就業詐欺は、大部分日本に行けば良い仕事を得ることができるという話に誘われたケースであり、最も多くの部分もを占めている。これは大部分民間人によって行われたが、官(官、班長)や町内会の人の勧誘による場合、軍人と軍属によって行われた場合もある。誘拐拉致や身売りの場合も民間人による場合が多かったが、軍人が行った場合もある。民間人による連行の場合にも、軍が船やトラック等の交通の便宜を提供したり、途中で軍人が慰安婦たちを体系的に強姦する等、軍隊の干渉と統制が加えられた。また、軍が慰安婦「募集過程での騒ぎを防ぐため、募集を行う者の人選に慎重を期すること」(5)と明記した軍文書から見て、募集を行った民間人も軍で指定または許可をした者であるものとみられる。このような事実は、慰安婦募集に全般的に軍隊が体系的に介入したという事実を明らかにしている。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20140426/1398480114

朝日社説が述べている程度の「事実の多様さ」であれば、1993年の時点で既に挺対協自身が明らかにしています。「暴力的な連行は一般的ではなかったという見方」を「最近の韓国側の研究成果」に求める必要性すら本来ありません。
そして、裁判の争点となったのは「事実の多様さ」の表現などではなく、朴裕河「帝国の慰安婦」の記述が元慰安婦らの名誉を毀損したか否かです。いわば、北朝鮮に拉致された被害者たちを“北朝鮮政府と同志的関係にあった”と評するような記載が問題視されたわけであり、連行の形態がどうとかは争点とは無関係です。また、暴力的に連れ去ろうが、騙して連れ去ろうが、人権を著しく侵害する行為であったことに変わりはなく、連行された先で売春を強要されたことも同じであり、それをわける必要性もありません。
それゆえ挺対協の報告書はこのようにまとめています。

 就業詐欺の場合、最初は詐欺によって誘われて行ったが、慰安所に来てからは脅迫と暴力によって慰安婦の仕事を強要させられた。誘拐拉致、身売りの場合も、自身の意思に反して暴力によって慰安婦の仕事が強要された点は同様である。それ故、全体的には軍慰安婦の動員は、暴力による強制連行であったと言うことができる。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20140426/1398480114

そしてそれは挺対協だけではなく、クマラスワミ報告などに見られるように、日本以外の国際的な共通認識でもあります。

「自身の意思に反して暴力によって慰安婦の仕事が強要された点は同様」であるにもかかわらず、その被害者を加害者と“同志的関係にあった”と評されれば、それが当人の名誉に関わる問題になるのは当たり前の話しです。

文政権が挺対協に支えられていることが高裁判決に影響した?

 韓国では、民意重視を看板に掲げる文在寅(ムンジェイン)政権が発足して、もうすぐ半年になる。政権は、歴史問題で日本に責任を問うべきだと唱える団体にも支えられている。もし高裁がそれに影響されたのなら論外だろう。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

そもそも文政権は挺対協だけに支持されているわけでもありませんし、民事裁判で朴裕河敗訴の判決を下したのが前朴政権時だったことを考慮すれば、文政権が挺対協に支えられていることが高裁判決に影響したなどというのは邪推と見る方が自然でしょう。

言ってることは尤もだけど・・・

 日韓の近年の歩みを振り返れば、歴史問題の政治利用は厳禁だ。和解のための交流と理解の深化をすすめ、自由な研究や調査活動による史実の探求を促すことが大切である。
 その意味で日本政府は、旧軍の関与の下で、つらい体験を強いられた女性たちの存在を隠してはならず、情報を不断に公開していく必要がある。
 日韓の関係改善のためにも、息苦しく固定化された歴史観をできるだけ払拭(ふっしょく)し、自由な研究を尊ぶ価値観を強めたい。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

歴史問題を政治利用しているのは安倍政権の方ですけどね。
南京事件従軍慰安婦、強制連行・強制労働、確定済みの歴史をいちいち否定して、国内の右派的感情を揺さぶり支持につなげているわけですから。まるで第二次大戦前のドイツで、“第一次大戦の敗北は背後から刺されたためだ”と主張して支持を集めたようなやり方で。

まあ、それよりも「自由な研究を尊ぶ価値観を強めたい」と朝日新聞が思うのならば、極右勢力による不当なバッシングと弾圧から植村氏をちゃんと守るべきでしたよね。



連載:社説

(社説)「慰安婦」裁判 韓国の自由が揺らぐ

2017年10月31日05時00分
 自由であるべき学問の営みに検察が介入し、裁判所が有罪判決を出す。韓国の民主主義にとって不幸というほかない。
 朴裕河(パクユハ)・世宗大学教授の著書「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判で、ソウル高裁が有罪の判決を出した。
 著書には多くの虚偽が記されていると認定し、元慰安婦らの名誉が傷つけられたと結論づけた。朴教授には罰金約100万円を言い渡した。
 虚偽とされたのは、戦時中の元慰安婦の集め方に関する記述などだ。研究の対象である史実をめぐり公権力が独自に真否を断じるのは尋常ではない。
 一審は、大半の記述について著者の意見にすぎないとして、無罪としていた。高裁は一転、有罪としながら、学問や表現の自由は萎縮させてはならないと指摘したが、筋が通らない。
 学問の自由が守られるべき研究の領域に踏み込んで刑事罰を決める司法を前に、学者や市民が萎縮しないはずがない。
 韓国では、植民地時代に関する問題はデリケートで、メディアの報道や司法判断にも国民感情が影響すると言われる。
 そんな中で朴教授は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈した。物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した。
 社会に浸透した「記憶」であっても、学問上の「正しさ」とは必ずしも一致しない。あえて事実の多様さに光を当てることで、植民地支配のゆがみを追及しようとしたのである。
 朝鮮半島では暴力的な連行は一般的ではなかったという見方は、最近の韓国側の研究成果にも出ている。そうした事実にも考慮を加えず、虚偽と断じた司法判断は理解に苦しむ。
 韓国では、民意重視を看板に掲げる文在寅(ムンジェイン)政権が発足して、もうすぐ半年になる。政権は、歴史問題で日本に責任を問うべきだと唱える団体にも支えられている。もし高裁がそれに影響されたのなら論外だろう。
 日韓の近年の歩みを振り返れば、歴史問題の政治利用は厳禁だ。和解のための交流と理解の深化をすすめ、自由な研究や調査活動による史実の探求を促すことが大切である。
 その意味で日本政府は、旧軍の関与の下で、つらい体験を強いられた女性たちの存在を隠してはならず、情報を不断に公開していく必要がある。
 日韓の関係改善のためにも、息苦しく固定化された歴史観をできるだけ払拭(ふっしょく)し、自由な研究を尊ぶ価値観を強めたい。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html