阪神大震災時の対応の責任を村山首相に押し付ける系のデマの根深さを感じさせる件2

前回の記事にこういうブコメがつきまして。

“別に要請なしに自衛隊が部隊派遣しても違法ではない”そうね。でもその後の運用で師団長の首は飛ぶ。確実にね。そういうもんですよ、あの当時、いや今でもか。今は要請がすぐ届く時代だからね。
kingateのコメント2018/09/09 22:14

http://b.hatena.ne.jp/entry/370714169/comment/kingate

これも根強い都市伝説ですね。
まず「でもその後の運用で師団長の首は飛ぶ。確実にね」で「師団長」と書いていますが、そもそも事実誤認です。
阪神大震災で第3師団(師団長:浅井輝久)は要請なしに出動しています。
自衛隊法第83条3項の近傍派遣名目と言われていますが、別段これを理由とした処分は浅井第3師団長は受けてませんよね*1

実際に自主派遣された事例もあります。
1985年8月12日の日航機墜落事故では、レーダーから機影が消えた18時57分の4分後の19時01分に航空自衛隊がF4Eを発進させています。運輸省航空自衛隊に派遣要請を出したのはそれから1時間半後の20時33分です。
当時の第7航空団司令官は岩村昭良空将補ですが、1986年4月1日まで現職を勤めていますので、これも何らかの処分を受けたと言う形跡はありません。

自衛隊が自主的に災害対応しようとしたら左遷された”というのもよくあるデマ

御巣鷹山事故関連ではこういうデマもあります。

[87] 投稿者:元空挺 投稿日:2000/01/22(土) 06:18
この手の話ならあるよ。ちょっと古いけど。
 日航機墜落事件の時、現場を真っ先に確認していたのは米軍で、彼ら
は暗視装置をつけてヘリを飛ばし、その状況を自衛隊に連絡していた。
 その頃政府サイドは、現場の指揮権をどこが取るのかで揉めていた。
 当時の第一空挺団指令は、政府の命令を待たずに木更津のヘリ団に連
絡、出動を要請。現場に真っ先に到着し、4名の生存者の救出に繋がっ
た。ここまでは有名な話。だが、続きがある。
 この空挺団指令、転属と言う形で左遷された。理由は「政府からの命
令無視」。ここまでは、はっきり言ってよし(よくはないんだが)とし
よう。
 この際、ある政治家が口を挟んだ。
 「彼は国家の命令に逆らい、あるべき幹部としての姿を殺めた。
  今後この男は、謀反を起こす恐れがある。」

 ・・・、どうする?、国民のために独自の決断を出したとはいえ、4
名救って反逆者呼ばわりされたんだよ?
 結局、阪神大震災も変わらなかったってとこだと思うが。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/complement/mil/2ch/other/other02/disaster_1.html

第1空挺団が要請を待たずに自主派遣したことに対して政治の圧力で処分されたという都市伝説です。
当時の第1空挺団司令官は小林英雄一佐でしたが、日航機墜落事故の1年後まで現職を勤めた後、陸将補に昇進し第10師団副師団長に転属しています。「反逆者呼ばわりされ」て「左遷された」とは到底言いがたいですね。

ネット上にはびこるデマが根深いと思うのはこういうところです。
幾重にもわたってデマが蓄積されているため、一つのデマが指摘されても、他のデマにすがり付いて全体の認識を改めたりはしない。

以下で指摘されている通りでどうにもならんですね。

正しい情報を提示すれば、陰謀論やデマの拡散は抑えられるのか?

残念なことに、デマや陰謀論を信じる人々に、ただ“正しい情報”を提示するだけでは、彼らの信念を変えることは難しいという。それはなぜか? 情報の妥当性の判断には、個人の内面的な部分、つまり育った環境や経験が大きくかかわってくる。陰謀論者が信じる情報が内包する社会的価値観とは、個人のアイデンティティというコアな部分に触れるものであり、自分が生きるための指標としてきた「世界観」を揺るがす“事実”を、人は簡単には受け入れることができないからだ。

ゆえに、陰謀論者がSNS上で相反する情報を目にした場合、それらは無視されるか、自分の価値観を守るべく保守的になる。クアトロチョッキも、証拠に乏しい陰謀論やデマに信念を置き、その拡散に大きく関与する人たちは、認知的閉鎖(心が理解するキャパシティーに欠けていること)のなかにいる可能性があると論文にて示唆している。

https://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/

仮に「その後の運用で師団長の首は飛ぶ」から出動しなかったというならば

その師団長(というか中部方面総監)は目の前で死に瀕している国民よりも自らの首が大事だったってことになるわけで、余計問題視すべきでしょうにね。
まあ、自衛官といっても所詮公務員ですから震災直後の劫火に焼かれる市民の命よりも保身が大事と考えていても不思議ではありませんけどね。それこそ大日本帝国軍にはいくらでも先例を見ることが出来ますし。



*1:1995年3月に退官していますが、年齢は57歳で他の退官した師団長と変わりません。将・将補の定年は60歳ですが、一佐の定年が56歳なので師団長退任後に56歳を超えていて他の将官職に空きが無ければそのまま退官するのが普通なのかもしれません。