陸上自衛隊幹部学校元教官の認識に見る徴兵制と1970年における政治状況

1970年代までの自衛隊における有事に役立つ平時防衛力整備の検討

陸上自衛隊幹部学校の元教官である高井三郎氏が以下のようなことを述べています。

 各国とも経済上の制約があり、普段から常時即応可能な完璧な軍備を整えて置く訳には行かない。
したがって、将来、危険な事態に直面した場合、動員により急速膨張が可能な平時軍備を整備するに努めている。
 自衛隊が発足して間のない頃に陸上自衛隊の中央部は、有事に対処可能な防衛力を整備するため、大正時代の山梨・宇垣軍縮戦間期(一次、二次両大戦間)の欧米各国の軍備を研究した。
いみじくも、1957年に定めた国防の基本方針は、民生の安定と愛国心の高揚及び国力国情に応じた効率的な防衛力の斬新的な整備を強調している。  
 筆者は、幹部学校のCGS学生当時、旧軍出身の陸幕防衛担当幕僚、幹部学校教育部長及び教官各位から、ゼ−クトの軍備政策を学び、大いに感ずるところがあった。
1970年代に筆者が学校教官・研究員を務めた頃に、政官界で防衛費の削減ムードが横溢するに及んで、中央部では、有事に対処可能な平時防衛力の在り方が論議されていた。
 このため、筆者は、ゼ−クトの軍備政策を参考にして、平時防衛力の在り方を説く拙文を学校記事に載せるように提案した。
ところが、「防衛事務次官が生み出した基盤的防衛力構想の批判を避けよ」という上層部の意向により、掲載を見合わせた。
 しかしながら、折角の作業成果が、将来、役立つと思い、1984年7月に、その要約版を、友人が発行する、ミニコミ誌にとどめて置いた。
本拙文は、旧作業の趣旨を反映し、新たな西側資料を加味して記述されたものである。
 潜在脅威が増大する情勢とは裏腹に、積年にわたり防衛費が削られて、離島などの警備上、重要な陸上戦力も縮小の危機に直面する国情は、有事に役立つ平時防衛力整備の在り方を見直すべき時期を迎えている。人員の削減を迫られる今思うに、良質隊員の確保及び育成こそ、ゼ−クトから学ぶべき最も重要な教訓事項である。

http://www.jpsn.org/free/rohei_tsubuyaki/2011/0208_zehkuto/0208.html

自衛隊は1954年に発足してから1970年代まで「動員により急速膨張が可能な平時軍備を整備」を検討していたことがわかります。その参考事例として高井氏が挙げているのが「ゼ−クトの軍備政策」ですが、それはベルサイユ体制下ドイツでの軍備政策、つまり、第一次大戦に敗北して軍備を著しく制限されたドイツが旧連合国の監視下で第二次世界大戦でのヒトラーによる侵略戦争を可能にするまでに再興させた軍備政策を指しています。

ベルサイユ体制下ドイツの軍隊構成

第一次大戦に敗北したドイツは、ベルサイユ条約第163条*1で兵力を保有10万人以下に制限されました。ベルサイユ条約にはその他様々な厳しい制約がつけられていますが、もちろんドイツが将来隣国を脅かす軍事大国として再興させないための措置です。
そのため、全体兵力量の制限以外にも細々とした制限が課されています。
例えば、士官の数は4000人以内、士官、下士官は長期勤務制として大量の予備役を作らせない制限をかけています。また徴兵制を禁止し志願制のみとしています。兵力の急速な拡大を防止するための措置です。
その中でワイマール・ドイツは抜け道を見出し、第三帝国の軍拡の素地を作り出すわけですが、その手段が制限10万人中、士官4000人を除いた9.6万人を下士官6万人、兵士3.6万人という著しく偏った構成にして、下士官に将校教育を、兵士に下士官教育を施すと言う方法でした。

階級     人数   構成比
士官     4,000  4.0 
下士官    60,000  60.0 
士官+下士官 64,000  64.0 
兵士     36,000  36.0 
計      100,000  100.0 

要するに、育成に時間のかかる士官・下士官クラスを優先的に確保し、兵士は後から徴兵で賄えばよいという発想で、全兵員の3分の2を士官・下士官の定員としたわけです。1954年に発足した自衛隊はこれらを参考にして日本の軍備を検討したわけです。

比較

1976年度防衛白書では軍隊構成は以下のようになっています*2

階級  現員(充足率) 定員 
士官  37,296(98.1)  38,011
准尉  3,697(94.7)  3,903
下士官 112,852(99.9)  112,982
兵士  84,075(75.6)  111,150
計   237,920(89.4)  266,046

これを「ゼ−クトの軍備政策」と比較してみると次のようになります。(准尉は下士官に含めた)

階級     独軍人数 構成比 自衛隊 構成比
士官     4,000  4.0  37,296  15.7 
下士官    60,000  60.0  116,549  49.0 
士官+下士官 64,000  64.0  153,845  64.7 
兵士     36,000  36.0  84,075  35.3 
計      100,000  100.0  237,920  100.0 

「ゼ−クトの軍備政策」では士官の人数を明示的に制限されていたため「士官+下士官」としてまとめて考えますが、「士官+下士官」人数と「兵士」人数の構成比をもって比較すると故意か偶然かかなり一致しています。「ゼ−クトの軍備政策」は将来の徴兵制復活が前提条件になっていますから、自衛隊の軍備が「ゼ−クトの軍備政策」をモデルとしているとすれば、当然に将来的に徴兵制を復活させることが前提になっていると考えざるを得ないわけです。

初代防衛庁長官の認識

もちろん自衛隊の軍備が将来徴兵制を布くことを想定していたことが明示的に曝露されているわけではありません。もっとも一般にそう疑わせる言動が政府側から漏れていたのも事実です。例えば自衛隊発足の1954年、木村篤太郎防衛庁長官は以下のように述べています。

(第19回衆議院内閣委員会47号 昭和29年10月27日)
○木村国務大臣 私は徴兵制度を絶対にやらぬとは言わない、私はそうは言いません。徴兵制度をしくのについては憲法を改正しなくてはならぬ、憲法の改正は国民の総意によらなくてはならぬ。従つて今の段階においては徴兵制度はやることはできないのだ。私個人の希望から申しますと、私は常に言つておるのでありますが、日本の青年は一応団体生活をしたい、させたい。団体生活のよさは結局親愛の精神、友愛の精神、助け合いの精神、これが養わるのだ、青年がある期間団体生活をやることは望ましい、自分も若いときはやはり団体生活をやつて来たのだ、これによつて互いに親しみ合い、信頼し合い助け合う精神が盛り上つて来るのだ、日本の青年は一度は団体生活をやれ、この意味においても、徴兵制度は別問題といたしましても、何かの制度をもつて青年に団体生活をさして、友愛の精神を養うことが望ましいのじやないか、こういう気持を持つております。

この時既に“若者を鍛えなおす”的な精神論的徴兵制の原型、右翼的徴兵制肯定論が政府側から示されています。この時は憲法が徴兵制を禁止しているという前提で語っていますが、この直後の1955年に結党される自民党憲法改正を目的として成立した政党であることを考慮すれば、“憲法上できないからやらない”ではなく“徴兵制を実施できるように憲法改正すべき”という認識であることがわかります。木村防衛庁長官は早晩憲法が改正されるだろうという認識の下、「徴兵制度をしくのについては憲法を改正しなくてはならぬ」と発言したに過ぎません。
日本国憲法硬性憲法であったが故に、1950年代に徴兵制まで後退することを抑止することが出来たと言えるでしょう。

1970年の国会にて

発足から15年を経て高度経済成長期の恩恵から軍事費増大が進むようになると、政府側は頻繁に徴兵制へ色目を使うようになります。
1970年、政府は最初の防衛白書から「徴兵」に関する記述(徴兵は行わないという主旨の記述)を原案から削っています。削ったのは中曽根康弘防衛庁長官です。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○大出委員 (略)
 核という問題につきまして、この防衛白書の中で、核につきましてたいへん方々に心配がある時期にもかかわらず、小型の核兵器は、自衛のため必要最小限度の実力以内のものであって脅威を与えないというようなものであれば、これを保有することは法理論的にはできるのだ、わざわざなぜこれを書かねばならぬわけでございますか、理由を承りたい。片っ方では徴兵なんというものはわざわざ削る。非常に国民的な心配のある核という問題については、わざわざこれを入れる。それは徴兵だって核だって国会で論争してきたのはもう長いのでございますから、いろいろな角度からのやりとりはあった。何でわざわざこれをここへ入れなければならないのか、その理由が私はわからないのでございますけれども、どういう意味でございますか。

○大出委員 (略)私も奉公袋か何かもらって、出征の赤紙をもらって出かけたんですが、徴兵いやなんということがいろいろ一ぱい書いてある。これだけ徴兵いやだいやだと言って大騒ぎさせなければならない理由はない。あなたがことばの端をとらえるなと言ったって、原案に徴兵という文字がちゃんと載っていた、それは行なわない、とるところではない、こういう趣旨に書いてあったものをわざわざ削れば、これは世の中はその意図があるのじゃないかということになる。少なくともそういうせんさくは行なわれる。あたりまえです。一体この辺のところはどういうことになっているんですか。

徴兵制を将来にわたって取るつもりがないのであれば、防衛白書原案から徴兵制を否定する文言を削る必要性がありません。将来への含みがあると解されて当然です。実際、「ゼ−クトの軍備政策」を自衛隊が研究しているくらいですから、徴兵制を検討していたのは間違いないでしょうが、自民党が政権にしがみつく以上はそのようなことを言って票を失うわけにはいきません。タカ派的言動には賛辞を送るような有権者も徴兵となれば忌避感を示すのが普通です。犠牲になるのが自分以外であれば威勢の良い声を歓迎するのが、残念ながら「普通の市民」の姿です。

さて、票にしがみつく自民党議員らしく中曽根防衛庁長官は言い逃れを試みます。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○中曽根国務大臣 徴兵はいたしません。ただ法理論という問題になると、二、三議論があったようです。それで法制局の意見を参考にいたしまして、われわれの自主的判断でそのところは削った、そこのところに置いておくことが適当でない、そう判断したから削ったので、徴兵はしないということは一貫していることであります。

これに即座にツッコミが入ります。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○大出委員 それはほかにもあるんですがね。つまり、徴兵というのは、しないというのと、法理論上できないというのとは違う。徴兵制度というものはとり得ない、とれないというのと、あなたの言う、しないというのは違う。しないのなら、これは政策だから、将来することもある。当然でしょう。(略)どうも学者、学説の中に、多数意見のほうは憲法上徴兵はできない、こういうけれども、いいんだという少数意見もあるという段階で、有権解釈がない、だから、ということで待ったがかかったように新聞はものをいっている。そうすると、元凶は法制局なんだ。高辻さん、あなたのほうだ。この委員会でもかつて論争したこともある。もう一ぺんあらためて、世の中が注目しているんだから、はっきりしていただきたい。徴兵制度はとれるならとれる、とれないならとれない。しないんじゃないですよ、とれるのかとれないのか、やれるのかやれないのか。やれないということになれば国民は安心する。長官のように、いたしません、いたしませんじゃ、いたしますと言いかえるかもしらぬ。中曽根流論法で、ひゃっといつか言いかえたということになると、中曽根さんは若いから心配です、先がありますから。そういう意味でひとつはっきりしてください。

1954年の木村防衛庁長官の発言では「徴兵制度をしくのについては憲法を改正しなくてはならぬ」でした。徴兵制は憲法上明確にできないと政府は発言していたわけです。しかし、15年経っても憲法改正の見込みが立たなかったためか、法的に“できない”ではなく「徴兵はいたしません」と言い換えはじめました。憲法9条がうやむやにされていったのと同じやり方でうやむやにしようと政府は試みたわけです。これに対して大出俊議員(社会党)が的確に突っこみました。
これに対して高辻法制局長官が色々言い訳しつつ、次のように答えます。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○高辻説明員 「日本の防衛」という、いわゆる防衛白書から徴兵制度についての文言が消えたということが一般にいわれておりますが、これは交渉の中での話でございますので、あらためてそのことについて私は申し上げようとは思いません。これはいずれにしても、ただいま防衛庁長官がおっしゃいましたように、防衛庁として削除されたということは間違いのないことであります。(略)いまお尋ねはそういうことではなしに、徴兵制度というものは一体わが日本国憲法のもとでやれるのか、とれるのかとれないのかというお話でございます。(略)一般に兵役といわれる役務の提供は、わが憲法の秩序のもとで申しますと、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものと社会的に認められるわけでもないのに義務として課される点にその本質があるように思われます。このような徴兵制度は、憲法の条文からいいますとどの条文に当たるか、多少論議の余地がございますが、関係のある条文としては憲法十八条「その意に反する苦役に服させられない。」という規定か、あるいは少なくとも憲法十三条の、国民の個人的存立条件の尊重の原則に反することになるか、そのいずれになるか、私は、多少論議の余地があるかと思いますが、いま申したような徴兵制度、これは憲法の許容するところではないと私どもは考えます。

微妙な言い逃れをしていますので説明しておきますが、つまるところ「公共の福祉に照らし当然に負担すべきものと社会的に認められるわけでもないのに義務として課される」「いま申したような徴兵制度、これは憲法の許容するところではない」と言っているわけです。徴兵制全般ではなく「いま申したような徴兵制度」という限定があり、それは「公共の福祉に照らし当然に負担すべきものと社会的に認められるわけでもないのに義務として課される」ような制度と言っているわけです。
自民党の石破幹事長が言うように「外部からの侵略から国の独立と平和を守ることこそ「最大の公共の福祉」」という解釈になれば、兵役は「公共の福祉に照らし当然に負担すべきものと社会的に認められる」という解釈になり、徴兵制が憲法違反であるという判断が崩れることになります。つまり中曽根・石破の合作により、徴兵制が合憲化する危険性があるわけです。

大出議員はさらに突っこみます。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○大出委員 (略)並木さんという方が質問をして、昭和二十八年、十九回国会、佐藤達夫さんが法制局長官の時代ですが、(略)「大体の傾向としては、現憲法のもとではむずかしいという学説の方が、われわれの目に触れ」ております。(略)船田国務大臣が、第二十四回、三十一年三月二十二日の衆議院内閣委員会、ここで「現行憲法において徴兵制を施行するということは、これは憲法の許すところではないと存じます。」と明確に答えている。(略)これはそういう明確な答弁があった。それを何となくまたぼやかし、林さんから結果的にはできないというふうなことを言っているのに、あなたはまた佐藤さんの時代に戻っちゃった、この委員会で。だからそういうことでは困るから、憲法上できないならできないということをやはり明確にしていただかぬと、研究中でございますだけでは困る。いかがですか。国民がこんなに心配していることは最近見たことがない。

これに対する高辻法制局長の答。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○高辻説明員 ただいま御指摘の質疑応答、私は全部承知しております。それから、法制局は大学の研究室と違いますから、(略)徴兵制度というものは一体何であるかという辺から調べまして、いまそういうような一般に徴兵制度といわれるような内容の徴兵制度、それはわが憲法のもとでは許されないということをはっきり申し上げておるわけでございますから、その点御了承願います。

大出議員はここで中曽根防衛庁長官に同じ確認を取って矛を収めますが、最後にもう一度指摘しています。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○大出委員 どうも確たる御答弁がないような気がするんです。私がなぜこの辺をしつこく聞くかというと、昨年の六月十七日、これはあなたの防衛局がつくっておられる例の「憲法上の制約、国民感情等を考慮しないとすれば、」、称して「自前防衛の長期構想」というもの、この中にあるやつはみな抜いてある。この中に徴兵制度もちゃんと書いてある。「徴兵制度、軍時訓練の普及等の措置さえ必要となろう。」と書いてある。そうしたら徴兵検査は切られている。(略)

ここで防衛局が1969年時点で、日米安保が解消した場合などを想定して「徴兵制度、軍時訓練の普及等の措置さえ必要」と書いていることが指摘されています。防衛白書ではそれを隠蔽した、という指摘です。1969年時点で安全保障環境によっては、徴兵制が必要であると自衛隊サイドは認識していたわけです。

その後、伊藤惣助丸議員(公明党)が再び徴兵制について質問*3。政府答弁での徴兵制が限定的なのではないかと指摘します。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○伊藤(惣)委員 先ほど法制局長官が大出委員におっしゃった中で、憲法の十八条さらに十三条に抵触するから、徴兵制は現在の憲法は許容しない、許さないということを述べられました、通説ではとおっしゃいました。それで私は、この徴兵制の問題については、法制局の中にそれに反対する、通説でない説があるようにも聞いているわけであります。もう少し突っ込みますと、憲法の十八条、十三条に抵触しない徴兵制ということであってみれば、それは許されるのかどうかということです。

これに対しても高辻法制局長官は、「そういうものについては」という限定的な留保をつけた上での憲法違反との回答を繰り返します。

(第63回衆議院内閣委員会31号 昭和45年10月28日)
○高辻説明員 (略)その徴兵制度というのは、これはまあ一般に常識的に考えられることでありますが、「国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度、即ち、軍隊を平時において常設し、これに要する兵を毎年徴集し一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるもの」これと同じようなものがございます。(略)そういうものについては、(略)私どもの見解としては、(略)憲法上許容されないと考えるということを断言申し上げたつもりでございます。ただ学説として申し上げれば、(後略)

しかも後略部分で、兵役は憲法18条の苦役にはあたらない、などを「少数説」と言いつつ詳細に言及する有様でした。1970年時点で徴兵制に歯止めをかける憲法第18条は骨抜きにされていたわけです。

少なくとも1970年まで自民党政権は徴兵制を視野に入れていた

と言っても大過ないでしょう。
自衛隊は徴兵制移行を前提として軍備計画を検討し、防衛局は日米安保解消の場合という条件付ながら徴兵制の必要性を明言し、自民党政治家は防衛白書から「徴兵は行わない」という記述を削除したわけですから。自民党は徴兵制を目論んでいるという疑いは、杞憂などではなくほとんど黒に近い灰色だったわけです。
それを食い止めてきたのが、国会で政府側の言質を取り続けた野党議員であり、徴兵制反対の声を挙げる市民であり、容易に改憲できない日本国憲法だったわけです。

軍オタが言うように徴兵制が合理的でないから採用されてこなかったのではなく、軍オタが今も侮辱し続けている徴兵制を懸念する野党や市民団体そして憲法によって阻止されてきたわけです。軍オタは徴兵制のない社会という利益を享受しつつ、それを維持してきたものを侮辱し続けています。
彼らは一体何と戦っているのでしょうか。

どうも、徴兵制を“合理的でない”“現実的でない”と否定したがる人はデータに基づかない感情的な反論、根拠の乏しい印象論、あるいは反論しやすいわら人形を想定しているケースが多いので、もう少し冷静になって広範な資料を読んでほしいと思います。

*1:http://en.wikisource.org/wiki/Treaty_of_Versailles/Part_V

*2:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1976/w1976_04011.html

*3:その公明党が今や集団的自衛権行使容認の閣議決定に参加する与党側であるというのは、「平和の党」の平和ボケとしか言いようのない事態ですが・・・