北坦村虐殺事件に関連する冀中作戦についての上坂勝少将の供述

中国が公開した歩兵第53旅団長の上坂勝陸軍少将の供述調書です。内容的には研究者には既に知られているものですが、一応一部テキスト化しておきます。

P6-8
(一)『冀中侵略作戦』
 一九四二年五月下旬河北省安平県安平北方滹沱川及潴龍川中間地区に於て北支方面軍に依り計画され第百十師団長中将飯沼守の指揮命令に依り実施せられたものであります(附図第一参照)
 師団命令の要旨−『師団は安平北方滹沱川及潴龍川中間一帯の地区を掃蕩し八路軍根拠地を覆滅せんとす、歩兵第百六十三連隊は一部を以て定県より主力を以て保定−徐水間の地区より前記の地区に向い進出すべし。進出日時はx+1日正午とす。本作戦間各部隊は努めて機会を求め地下壕の戦門に赤筒及緑筒を使用し其の用法を実験し作戦終了後諸賢を提出すべし。各連隊に赤筒及緑筒○○個を交付す』以上の命令に依り私は連隊長として本部、通信班、第一大隊、第二大隊、第三大隊、歩兵砲中隊約一千五百名を抽出しこの侵略作戦に参加しました。
 師団命令に依り第一大隊を定県より出発させ主力(第二、第三大隊)を保定−徐水間の地区より高陽及粛寧附近を経て安平北方滹沱川と潴龍川中間地区に向って侵略攻撃させました。
 出発前各大隊に毒瓦斯赤筒、緑筒を与え此の侵略作戦間努めて機会を求め特に地下壕の戦門に之を使用して其用法を実験し侵略作戦終了後所見を提出すべきことを命じました。又連隊本部附坂東軍医大尉をして某大隊の実施を援助し所見を提出することを命じました。
(1)第一大隊方面
第1大隊は五月二十七日早朝定県を出発し侵略前進中、同地東南方約二十二キロの地区に於て八路軍と遭遇しました。大隊は直ちに主力を展開して之を包囲攻撃し八路軍戦士に対し殲滅的打撃を与えたのみならず多数の平和住民をも殺害いたしました。大隊は此の戦門に於て赤筒及緑筒の毒瓦斯を使用し機関銃の掃射と相俟って八路軍戦士のみならず逃げ迷う住民をも射殺しました。又部落内を『掃蕩』し多数の住民が進入せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました。私は此の戦門に於て第一大隊をして八路軍戦士及住民を殺害すること約八百人に上り又多数の兵器や物資を掠奪させました。以上は第一大隊長大江少佐の報告に依るものであります。
(2)連隊主力方面
連隊は滹沱川北岸地区に進出し左の師団命令を受けました−『上坂部隊は某村より某村に亘る地区を粛正掃蕩し該地区に框舎を構築すべし。』之に基き私は連隊長として以下の命令を下しました−『各大隊は其担任地区をを粛正掃蕩し該地区内に框舎を構築すべし。各大隊担任地区の境界次の如し(略)』(但第一大隊は警備態勢に復帰しました)此の掃蕩戦では地下壕内に赤筒、緑筒を使用しました。即ち地下壕内に遁入した住民や八路軍戦士に対し此の毒瓦斯を壕内に投げこみ両方の入口を閉塞して中国人民に多大の災害を与えました。其の殺人は約三百名で住民中には多くの八路軍戦士が混入しありと推測して居ます。以上は各大隊及坂東軍医大尉の報告に依り推定いたしました。
(3)結果−此の侵略作戦に於て連隊が中国人民に与えた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、消失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)其の他中国人民約二四〇名を框舎構築(八個)のため酷使しました(約十日間)
附記−各大隊及坂東大尉の報告を綜合しますと此の掃討戦では地下壕内に於て頑強に抵抗する八路軍戦士と戦門した場面はなかったので瓦斯を使用する戦門動作は実験出来ませんでしたが、前記の如く壕内に在る中国人民に対して瓦斯を投入し両側入口を閉塞することに依って此の一時性瓦斯も偉大なる殺人的窒息能力を有するものである事が分かりました。日本侵略軍が斯くの如き瓦斯を使用したのは八路軍の地下戦門に悩まされ窮余の一策として実験の名目で実施したのである許りでなく地下壕内に避難せる八路軍戦士や住民に対して大量殺害を企図したに相違ありません私は日本帝国主義の非人道を憎むと共に其の陰謀を実行したものであります。

http://61.135.203.68/rbzf/img/03sb/03.htm

「赤筒」はくしゃみ性ガスで「緑筒」は催涙ガスで、致死性の毒ガスではないとされていますが、「瓦斯を投入し両側入口を閉塞することに依って此の一時性瓦斯も偉大なる殺人的窒息能力を有するものである事が分かり」と書かれています。「赤筒」を死に至る猛毒と主張する意見もあります*1

此の作戦で毒ガスが用いられたことは、1958年に当の指揮官大江少佐本人が書いた「大江回想録」にも書かれています。上坂少将は1956年に中国で禁錮18年の刑を受け1963年まで帰国しておらず、戦後は大江少佐との接点がなかったため、二人の関係者が独立に認めた事実です。
毒ガス使用に関しては、戦後日本では後ろめたく思われたためか、「大江回想録」を参照した戦史叢書などでは「毒瓦斯」に関する記述が削除されるか「発煙筒」に変えられているかしているようです。