日中戦争

重慶爆撃(五三、五四大轟炸)に関する報道

日中戦争中の1939年5月3日と4日に、日本海軍航空隊の爆撃機が重慶を爆撃し、中国側に死者3991人、負傷者2,323人の犠牲者が出ました。建物の被害は4889棟、被災者は約20万人とされています。さすがに当時の臨時首都であり、南京のように日本軍に占領されもし…

大陸命第8号と国家的組織的な虐殺

http://www.nj1937.org/clzl/njdtsssz/201607/t20160705_4013267.html 大本営陸軍部命令(大陸命)第8号は制令線を無視して南京方面に勝手に侵攻した現地軍を軍中央が追認したことを示す文書です。上海事変のように現地居留民保護という名目もありません。も…

第三次魯東作戦(「と」号作戦)

1942年11月~12月に行われた第三次魯東作戦は、強制労働を強いるための中国人を狩り立てる作戦として知られています。戦史叢書ではこのように記載されています。 (戦史叢書「北支の治安戦<2>」P240-241) 第三次魯東作戦(「と」号作戦) (一一・一九~…

日本海軍による虐殺行為を示唆する戦史叢書の記述

戦史叢書にこういう記載があります。 (「戦史叢書 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年三月まで」P468-469) 南京突入後の各隊の行動 十四日、第一警戒部隊各艦艇は敗残兵の掃蕩、航路の啓開を続行した。その概要は次のとおりである。掃四は蕪湖に進出。「二…

大山事件(虹橋飛行場事件・大山勇夫海軍中尉遭難事件)から80年

今から80年前の1937年8月9日の夕方、上海の虹橋飛行場前の道路で日本海軍陸戦隊の大山勇夫海軍中尉が中国軍・保安隊の銃撃によって射殺されました。大山事件、大山勇夫海軍中尉(あるいは死後進級した階級である大尉)遭難事件として知られています。中国側…

盧溝橋事件中共陰謀説

1937年7月7日の盧溝橋事件から80年になります。 学術的には既に相手にされていない盧溝橋事件中国共産党陰謀説ですが、未だに極右界隈では人気が衰えてないようです。 中共陰謀説はずっと以前からあり、どれも荒唐無稽なものばかりなんですけどね。 その一つ…

ティンパリー電報に関する件、その日本での歴史修正主義的利用方法

ガーディアン紙のハロルド・ティンパリー(Harold Timperley)は1938年に南京事件を含む日本軍による被害を電報で発信しています。 ガーディアンはその電報の内容の一部を次のように報じています。 Japanese rewrite Guardian history In a crucial cable - …

北京でも南京でも重慶でも瀋陽でも日中戦争に対する慰霊として訪問するのなら歓迎されると思いますけどねぇ

こういうブコメを見かけて。 これ、安倍首相が本当に「いいよ、じゃあ重慶行こっか」とか言い出したら、中国政府は「いやいやいや、ちょっと待って待って」と慌てるはず。安倍首相に慰霊訪問なんかされたら困るのは向こう。 ncc1701のコメント 2016/12/08 09…

日中戦争開戦時(1937年7月)から太平洋戦争開戦時(1941年12月)までの日本陸軍独立混成旅団数の推移

1937年7月時点 2個独立混成旅団(独混1旅、独混11旅) 1937年9月 1個独立混成旅団。 独混11旅を第26師団に改編。 1938年2月 5個独立混成旅団。 独混2旅(独歩1〜5)、独混3旅(独歩6〜10)、独混4旅(独歩11〜15)、独混5旅(独歩16〜20)の4個旅団を編成。 …

第二次上海事変における呉淞上陸(1937年8月23日)に関する件

vergilさんが小林よしのり「戦争論」にある呉淞上陸時のデマを指摘していましたので、少し便乗します。vergilさんが引用している小林「戦争論」の記載がこれ。 第三師団の先鋒部隊が上海の呉淞ウースン桟橋に上陸したおりであった 桟橋近くには 日本人の婦人…

日中戦争開戦(1937年7月)時から太平洋戦争開戦(1941年12月)の日本陸軍師団数の推移

備忘用として。 1937年7月時点 17個師団(近衛師団、第1師団、第2師団、第3師団、第4師団、第5師団、第6師団、第7師団、第8師団、第9師団、第10師団、第11師団、第12師団、第14師団、第16師団、第19師団、第20師団)

察南南境反撃作戦(百団大戦)での損害

「百団大戦での日本軍の毒ガス使用の記録」は、独立混成第2旅団独立歩兵第4大隊第2中隊の記録ですが、独立混成第2旅団(人見与一)自身も淶源に殺到した八路軍と激しく交戦しています。 (「岡部直三郎大将の日記 (1982年)」P373-374) (1940年)十月四日(…

百団大戦での日本軍の毒ガス使用の記録

百団大戦は1940年8月20日から1941年1月24日まで続いた華北における中共八路軍(第18集団軍)による攻勢と日本軍による反撃、それに続く日本の掃蕩作戦と中共の反掃蕩作戦の総称です。 中国側は129師(劉伯承)、120師(賀竜)、晋察冀軍区(聶栄臻)等が参加…

ジョージ・ホッグ(George Hogg)は“I see a new china”という本を1944年に出している

産経の捏造節が、例によって炸裂。 「侵略者日本の残虐暴いた英記者」 習氏が称賛、記事存在せず 産経新聞 8月31日(水)7時55分配信 【ロンドン=岡部伸】中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英した際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛…

ネトウヨと大差なかった支那駐屯軍司令官・香月清司

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110925200、北支那作戦史要 −支那駐屯軍 2/3 昭和11年5月6日〜昭和12年8月31日(防衛省防衛研究所)」より。 (38/48) 元来小官ハ支那ノ民族性及其ノ歴史ヨリ考察シテ、支那人ニ対スルニハ紊リニ恩ヲ売ラ…

通州起義に対応する順義での蜂起

通州事件に関しては、“当初から日本人民間人を虐殺することが目的だった”みたいな主張をする歴史修正主義者がいたりしますが、通州での蜂起と連動して起きた順義の蜂起では民間人被害などは無かったようです。 「中国抗日戦争史―中国復興への路」 (P45) 二…

通州周辺の地図

通州事件/通州起義(1937年7月29日-30日)に関する地図をテキサス大学の資料から。 China City Plans U.S. Army Map Service, 1942-1945 List of map images in this collection: Chieh-Yang 1:12,500 1945 (3.6 MB) Ch'in-Wang-Tao & Pei-Tai-Ho 1944 1:63,…

盧溝橋事件から79年

1937年7月7日、北京(当時「北平」)郊外の盧溝橋で日本軍(支那駐屯軍)と中国軍(第29軍)の武力衝突がありました。 盧溝橋(マルコポーロ・ブリッジ)は紫禁城南西に位置する苑平県城からかかる石橋です。苑平県城には中国地方政府(冀察政務委員会)の軍…

楊天石論文の参考文献記載のちょっとした誤りに対する指摘

「日中戦争の軍事的展開 (日中戦争の国際共同研究)」に掲載されている楊天石氏による「1937、中国軍対日作戦の第1年」という章(訳:陳群元)(P97-125)に以下の記述があります。 P101 (略)これと同時に、乍浦と嘉興の間に乍嘉線を修築し、これを呉福線と…

上海停戦協定の効力に関する件

前記事に関連。 そもそも上海停戦協定第2条の効力はいつまで有効か 停戦協定の文言上は「正常状態の回復後に於て追て取極ある迄」となっています。字面をそのまま解釈すれば「追て取極」されない限り未来永劫続くとも取れます。しかし、この協定は第一次上海…

大山事件(虹橋飛行場事件)の背景としての上海停戦協定第2条における“非武装地帯”に関する件

上海停戦協定(淞滬停戦協定;Shanghai Ceasefire Agreement)は1932年に起きた第一次上海事変の停戦協定です。1937年8月9日の大山中尉事件(虹橋飛行場事件)について日本側が言及する際、中国軍による停戦協定違反があったと主張することがよくあり*1、そ…

住民が逃げた部落や敵性地区では掠奪し放題で便利、という話

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111515000、晋察冀辺区粛正作戦資料 昭和16年(防衛省防衛研究所)」 晋察冀辺区粛正作戦 業務詳報 昭和十六年八月二十五日 大津集成大隊 大川主計 一、部隊ノ行動概要 1.大津集成大隊(大津部隊本部同一個中隊、増…

新潮と池田信夫が絶賛ステマ中の遠藤誉『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関する件

新潮が「中国研究の第一人者」*1と絶賛している遠藤誉氏ですが、その近著「毛沢東 日本軍と共謀した男」を立ち読みしたところ読む価値なしと判断して購入しませんでした*2。理由の一つは、張作霖爆殺事件について日本軍の仕業と断定せず「コミンテルンの陰謀…

李法卿「七分発展、二分応付国民党、一分抗日」説に関する件。

日本敗戦後の国共内戦における長春包囲戦に巻き込まれ苛酷な体験をした遠藤誉氏は、その経験のためか強烈な反共主義者です。長春包囲戦で民間人が飢餓に苦しんだ原因のひとつに篭城する国民党軍が食料を独占していたという点もあるのですが、遠藤氏の怒りの…

馬英九演説の日本での報道のされ方について

2015年9月2日に台湾の馬英九総統による演説があり、日本でも以下のような報道がされました。 産経新聞 2015.9.2 22:33更新 【抗日70年行事】 台湾の馬総統、「抗日戦は国民政府が主導」と改めて強調 「抗日」喧伝の中国当局に「遺憾」表明 【台北=田中靖…

“中共が日本軍と戦っていない”説は右翼のいつもの都市伝説ですが、“盧溝橋事件当時に汪・蒋・毛の三つ巴の内戦があった”というのは新説ですね。

日本右翼機関紙のSAPIOです。 中国で抗日戦争を戦ったのは国民党軍 共産党は成果を横取り NEWS ポストセブン 8月19日(水)7時6分配信 今年の9月3日、中国共産党は北京で「戦争勝利70周年記念」の式典と軍事パレードを行う。しかし、そもそも中国共産党が日本…

日本軍による華中・華南での虐殺事件一覧

事件発生日 省 場所 事件名 被害規模 1938年 2月23日 河南 博愛県東金城村 東金城村虐殺事件 虐殺被害者数: 143人 1938年春 河南 博愛県山区的黄峯、東凡廠 黄峯、東凡廠虐殺事件 虐殺被害者数: 120人超 1938年 3月25日 河南 長垣城 長垣城虐殺事件 虐殺被…

日本軍による華北での虐殺事件一覧

事件発生日 省 事件名 被害規模 1937年 8月27日 察哈爾 万全虐殺事件 虐殺被害者数: 300人超 1937年 9月 9日 山西 陽高虐殺事件 虐殺被害者数:1000人超 1937年 9月12日 山西 天鎮城“八八”虐殺事件 虐殺被害者数:2200人余 1937年 9月 山西 霊丘虐殺事件 虐…

抗日戦争映画関連

日中戦争を中国では抗日戦争と言います。抗日戦争を描いた映画は、抗日戦争映画であって抗日映画という略称はちょっといただけません。日中戦争映画を日中映画、太平洋戦争映画を太平洋映画と略すようなものです。(戦後70年)抗日映画に浮かぶ断層 戦争の…

大山事件と第二次上海事変の背景・2

前回の続き。 大山勇夫中尉遭難事件(1937年8月9日)の疑問 大山事件は、日本海軍陸戦隊西部派遣隊隊長の大山勇夫中尉が虹橋飛行場前で中国軍に銃撃され殺害された事件です。しかし、この事件は色々不思議なところがあります。最も大きな疑問は、大山中尉は…