第二次上海事変における呉淞上陸(1937年8月23日)に関する件

vergilさんが小林よしのり「戦争論」にある呉淞上陸時のデマを指摘していましたので、少し便乗します。

vergilさんが引用している小林「戦争論」の記載がこれ。

第三師団の先鋒部隊が上海の呉淞ウースン桟橋に上陸したおりであった
桟橋近くには 日本人の婦人団体とおぼしき人々が列をなし
手に手に日の丸の小旗を振っての歓迎で
上陸する将兵たちの顔にも思わず微笑が浮かんだ
そして隊列が婦人団体のすぐ近くまで来た時であった
突如小旗は捨てられ さっと身をひるがえすと 背後に隠していた数丁の機銃が 猛然と火をふいた

http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/10/30/215329

実際はどうだったか?

第3師団隷下の歩兵第6連隊第2大隊は8月23日午前6時15分に駆逐艦夕立、五月雨で呉淞埠頭に横付けしてあった日清汽船二隻に移乗後、上陸した時の状況*1

一、戦闘前ニ於ケル彼我形勢ノ概要
八月二十三日午前六時十五分第二大隊ハ駆逐艦夕立、「サミダレ」ノ二隻ヨリ呉淞不当ニ横付セラレタル日清汽船二隻ニ移乗シ直チニ上陸スルヤ第一回上陸部隊タル海軍陸戦隊、歩兵第六十八連隊第五中隊及連隊ノ第三大隊ハ上陸地点附近ニ地歩ヲ確保シ前方約八百米ニアル敵ト交戦中ナリ

同じく歩兵第68連隊第3大隊は第二次輸送部隊として8月23日午後11時に呉淞鉄道桟橋に上陸した際の状況*2

戦闘前ニ於ケル彼我形勢ノ概要
1、大隊ハ第二次輸送部隊トシテ海軍ト聯合ノ下ニ八月二十三日敵ノ流弾ヲ受ケツツ午後十一時呉淞鉄道桟橋に上陸ス


で、そもそも呉淞上陸にあたっては、陸軍に先行して海軍陸戦隊が敵前上陸し陸軍を誘導しています。

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110559300、支那事変 戦跡の栞 中巻 昭和13年9月1日(防衛省防衛研究所)」

(P43-44、pdf:2-3/38)
〔呉淞鎮附近の敵前上陸〕呉淞鎮方面の敵前上陸は二十三日午前三時四十分から四時間に亘って敢行され、激烈なる交戦の後遂に午前八時半、見事に完了した。
 わが陸軍部隊の上陸に先立ち竹下部隊長の率ゆる海軍陸戦隊の精鋭七十名は白襷に身を固め一死報国の旺んな意気と共に敵前上陸の先発隊として艦載艇により江岸にドッとばかり猛進した。敵は新手の第三十七師及び第三十八師混成の数万に上る大部隊である。
 岸壁は既に敵弾によって爆破されつくし艦載艇の舷側を寄せる術もない。雨霰と落下する敵砲弾は黄埔江の両沿岸から集中して艇に命中するもの既に数十発。しかし遂に岸壁に艇は打ちつけられた。二尺幅の板が渡されて、白襷の姿が砲火炸烈する暗中に躍りこんで行った。中には水中へ飛びこんで崩れ落ちた岸壁にかけ上る兵士達、忽ち敵陣から機銃、迫撃砲の集中攻撃を受ける。しかしこの時わが各艦の砲口も焼けよとばかり射出す掩護射撃、わが空の荒鷲もここを先途と掩護射撃を行った。
 かくて死闘数時間、戦友の屍を越えての突撃が繰返された。この間に陸軍倉永部隊を先頭とする部隊は続々と上陸。壮烈、言語に絶するもう突撃はいく度か繰返されて、夜は次第に明け放れた。さしも頑強な敵もわが陸海軍の緊密水も漏らさぬ団結猛撃の前には闘志を奪はれて次第に退却し始めた。午前七時、停車場附近はわが上陸部隊によって占拠された。敵の後退陣地は前方三千メートル、午前八時半に至って予定部隊全員の上陸は官僚万歳は高らかに三唱された。

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120619000、支那事変上海戦跡案内骨子(防衛省防衛研究所)」

五、呉淞鉄道桟橋敵前上陸〔八月二十三日〕
竹下部隊〔第八大隊〕ハ上海急ヲ告グルヤ八月十七日ニ旅順ヲ発シ翌十八日正午上海着、直チニ楊樹浦「クリーク」以西ニ於テ不眠不休ノ戦闘ヲ続ケタリ、
二十二日〇七〇〇 陸軍敵前上陸掩護ノタメ陸戦隊司令官ノ指揮下ヲ離レ長官ノ直属トナリ二十二日二二三〇雲陽丸、当陽丸、信陽丸ニ分乗掩護船先導ノ下ニ下航ス、
二十三日〇二四五横付ケ位置ニ到ルヤ今迄■船ノ猛烈ナル■■■撃ニ専ラ沈黙ヲ守リ居タル敵ハ突然猛烈ナル機銃掃射ヲ開始セリ我ハ之ニ対シ艦砲ノ猛射ト相俟ッテ軽機曲射砲ヲ以テ反撃、戦場凄惨ナル場面ヲ展開ス
艦砲射撃ニ依リ岸壁附近ノ■小屋ハ大火災トナリ上陸地点ハ真昼ノ如ク照明サレ舫索ヲ取ル船尾船首ノ苦心一方ナラズ、水中ニ飛ビ込ミ岸ニ泳ギ付キ目的ヲ達セルモ此ノ作業中敵機銃弾ハ雨霰ノ如ク降リ注ギ犠牲者続出ノ有様ナリ、此ノ困難ナル情況ノ下ニ陸軍揚陸作業ヲ完了シ、海軍担任ノ鉄道桟橋地域ヲ占領確保セリ時ニ黎明四時ナリ、
〇九四五ニ至リ竹下大隊長ハ長官宛ニ
「敗走スル密集兵ニ対シ、爆撃、砲撃、銃撃ヲ行ヒ敵ヲ殲滅、陸軍ノ進撃ハ頗ル進捗シツツアリ」ノ報告ヲ最後ニ一五三〇陸軍ト交代、陸戦隊ハ駆逐艦夕日ニ乗艦呉淞上流ニ向フ

戦果
 味方戦死三〇、戦傷六三
 敵遺棄屍体三〇〇
 軽機一〇、鉄兜七〇、小銃四〇、弾薬五〇〇〇ヲ鹵獲ス

(※:■は判読できず)

少なくとも8月23日の呉淞上陸の状況を見る限り、「桟橋近くには 日本人の婦人団体とおぼしき人々が列をなし手に手に日の丸の小旗を振っての歓迎」などあり得ませんね。


*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111768800、歩兵第6連隊第2大隊戦闘詳報 昭和12年8月23日〜12年8月30日(防衛省防衛研究所)」

*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111811800、歩兵第68連隊第3大隊 呉淞附近上陸戦闘詳報 昭和12年8月23日〜12年8月30日(防衛省防衛研究所)」