この記事を読んで“日本兵が直接に暴力的に連行した”と解釈する人はそもそも日本語能力に問題があると思う。

植村氏の1991年8月11日(東京では8月12日)記事の件。

大阪版(1991年8月11日掲載)*1

思い出すと今も涙

元朝鮮人従軍慰安婦

戦後半世紀重い口開く

 【ソウル10日=植村隆日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表。十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

韓国の団体聞き取り

 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。最近になって、知人から「体験を伝えるべきだ」と勧められ、「対策協議会」を訪れた。メンバーが聞き始めると、しばらく泣いた後で話し始めたという。
 女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。
 「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思い続けた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
 女性は「何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない」と訴えている。
 朝鮮人慰安婦は五万人とも八万人ともいわれるが、実態は明らかでない。尹代表らは「この体験は彼女だけのものでなく、あの時代の韓国女性たちの痛みなのです」と話す。九月からは事務所内に、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。
 昨年十月には三十六の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、十一月に「同協議会」が結成された。十日には、「韓国放送公社」(KBS)の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。

「強制連行」と言った文言は使われていませんし、本文中では「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」と明確に「だまされて」慰安婦にされた事例として紹介されています。
これを読んで、“日本軍が銃剣を突きつけて強制連行したのか!”と解釈したのなら、頭がおかしいのだと思いますよ。読売新聞さん。

*1:捏造王・池田信夫のテキストhttps://www.facebook.com/ikedanob/posts/10151965902257706と当該記事の画像から再構築

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