「慰安婦」研究の現況と残された課題

ネット上では「どこでもあった」とか「当時の公娼制は問題ないとでも言うのか」とか「慰安婦は売春婦とは違うというのは売春婦を容認するのと同じ」とか、そういった感じの主張が散見されます。まあ、いずれも慰安婦問題の矮小化が目的なのは態度から明らかですが。

いずれにせよ、そのような浅い認識は研究の現状に対する無知の証明に過ぎません。
軍隊と性暴力―朝鮮半島の20世紀

(P16-18)
4「慰安婦」研究の現況と残された課題

 冷戦が崩壊した後の一九九一年に、日本軍「慰安婦」問題は「戦争と暴力」の歴史を根底的に問い直す契機となった。以来「慰安婦」問題は、外交問題にまで発展した歴史認識問題の中核に位置する。この問題を日本と韓国、中国のナショナリズムの対立という構図に矮小化しようとする政治的思惑にも呑まれず、戦時性暴力被害者、彼女たちを支える多くの市民団体、歴史研究者、法曹関係者は今日なおも継続する性暴力の連鎖を断ち切るためにも、問題の全面的解決に心を砕きつづけ、実践・研究において実に多くの成果を生み出した。
 その成果の一つとして、発掘・収集された資料を挙げることができる。前述した『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』以外にも、吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(一九九二年)、本プロジェクトのメンバーでもある山下英愛(他、鈴木裕子、外村大)編『日本軍「慰安婦」関係資料集成』(二〇〇六年)などが出版されている。資料の発掘は現在も継続しており、本プロジェクトのメンバー林博史日露戦争時の貴重な資料を外務省外交資料室で発見している。しかし韓国の民主化の経験からも判るように、資料の公開は日本政府の公式謝罪と連動するものであり、その意味では資料批判も含めて十分とは言えないだろう。
 収集された文書資料以上に成果として挙げられるのは、被害者の証言集が韓国をはじめとしてアジア各地でまとめられたことである。戦時性暴力に対する視点が、帰属する集団の名誉毀損から被害女性の人権侵害へと逆転したことにより、被害者の証言を文書資料以上に重く受け止めるようになり、証言の映像記録も制作されてきた。
 被害者支援や実践活動の得た成果には及ばないとはいえ、歴史研究においても、朝鮮、台湾をはじめ、「慰安婦」制度に至るまでの実証的研究や実態調査が進んでいる。藤永壮は、日露戦争期に日本「内地」に始まった性管理システム(公娼制)が帝国日本の権力の及ぶ台湾、朝鮮、租借地などにまで形成され、第一次大戦期を経て帝国内の性支配ネットワークに拡大し、「慰安婦」動員の装置として機能したことを明らかにした。それに対し、林博史は、第一次世界大戦前までは日本人女性の人身売買・性売買のネットワークは日本帝国の範囲をはるかに超えていたが、その後に日本帝国の範囲に縮小したと、重要な指摘をしている。
 「からゆきさん」から「慰安婦」までの連続性を示唆する林の指摘により、実は帝国日本の性管理システムのダブル・スタンダードが見えてくるのである。後発の帝国主義国日本は軍事が産業より優先した社会であり、軍事は男性が、主要な産業である繊維業は女性が担うという構造を作り出したが、繊維業と同じ比重で若い女性を吸収したのが性売買業であった。「からゆきさん」はもっぱら天草・島原といった地域の特殊性が生み出した現象のように語られるが、同時期に日本「内地」の軍隊周辺に出現した遊郭にも多くの女性が「売春婦」として働いた。「醜業婦」とも呼ばれた「からゆきさん」は世界の涯まで進出したかのように語られるが、日本と先発帝国のイギリスとの同盟関係に沿って進出している。イギリス帝国は自国の女性を植民地に連れ出し、性売買させることは許さなかった(ちなみにフランスは植民地を獲得すると自国の娼婦を連れていった)が、男女比が不均衡だった英領マラヤにおいて売春を「必要悪」と認識し、公娼制を許可し、日本人業者に分乗させた。国際貿易の中継港として、イギリス帝国の海軍基地として栄えたシンガポールでも日本人性産業の発展はイギリスの海峡植民地を下支えした。やがて「からゆきさん」は、英領マラヤにおける日本経済の進出、日英同盟の失効(一九二三年)、英キリスト教会の廃娼運動の高まりなどによって、英領植民地からその姿を消していき、日本帝国の植民地や占領地へと移動する。
 日本の売春業者や「からゆきさん」は海外に自由に進出し、営業しているかのように語られてきたが、日本と欧米列強との政治的関係と無関係に進出し、自由に営業していたのではない。英国の植民地、日本が植民地にした台湾、朝鮮における日本専管租界と欧米諸国との共同租界、あるいは日本「内地」の遊郭では、初めから性売買の統制とは異なるダブル・スタンダードが適用されていた。すなわち、英国の植民地では民間業者の裁量で営業されているかのように見えたが、朝鮮、台湾の遊郭では早くから軍隊のための性売買が国家の厳しい管理統制下に置かれていた。そしてその間には前者とも後者とも区別のつかないグレーゾーンに位置する形態があった。日露戦争期に満州でロシア兵を相手に売春をしていた日本人女性は、フランス人とアメリカ人の徴募人によりヨハネスブルグまで送られていることが明らかにされている。帝国間の序列、帝国と植民地の序列により、性売買の多様な形態が序列化され、女性たちの存在形態も差別化され、国家の責任の所在が見えにくいものになっていたのである。