先週後半から違憲法案強行派の巻き返しが始まった感じ
2015年6月4日の憲法審査会で参考人の憲法学者3人が全て、安倍政権提出の戦争法案を違憲だと断じたことで安倍政権の企みは足止めを食らうことになりました。
のみならず、ほぼ全ての憲法学者が違憲だという指摘に賛同し、野党やメディアも戦争法案に対し強く追及することになりました。
しかし、圧倒的な議席数と安倍政権と癒着した産経・読売などのメディアによる巻き返しが、一週間後には始まった観があります。
“憲法学者の言うことが絶対なのか”とか“最終的には最高裁が決めること”とか“国会で精緻に議論せよ”とか、の論調が目立つようになってきています。
当初は“憲法学者の言うことが絶対なのか”と言った「参考人」の意義を否定するかのような感情的な反発が多かったものの、それでは国民を騙せないと判断したのか、徐々に“最終的には最高裁が決めること”と言った自称中立じみた発言が増えてきました。
“最終的には最高裁が決めること”と言うのは、一見説得力があるようですが、例えば、子供を鎖でつないで監禁している親に対して児童虐待で違法だと指摘しても「懲戒権の範囲だ。違法かどうかは最終的には最高裁が決めることだ。」と言われたら、判決が出るまで監禁状態を放置するのか、という問題と同じだと考えればおかしいことが分かります。
また、判決が出るまで放置した場合侵害された権利の回復が難しくなる事件では、保全処分あるいは仮処分という制度があります。
財産の差し押さえの是非について争っている場合、判決が出る前に財産を処分されてしまえば、勝訴しても差し押さえるべき財産がなくなってしまい判決が事実上無効化されてしまいます。こういったことを避けるために“最終的には最高裁が決めること”でありながら、その判決が出る前に仮処分という形を取るわけです。もちろん、仮処分がどんな場合でも認められるわけではなく、勝訴の見込みがある場合に限ります*1。
安倍政権による戦争法案に対し憲法学者がそろって違憲と指摘した以上、実際に裁判が起こされた場合でも違憲と判断される可能性が高いと言えます。
もし憲法裁判の制度が整っているなら、合憲性を裁判で争っている間は法案施行を停止すると言うこともできるでしょうが、日本にはそのような制度はなく、合憲性を争う裁判を提起すること自体、実際に権利が侵害されるまで不可能です。
こういったことを認識していれば、提出法案を憲法学者に違憲と指摘された政権が“最終的には最高裁が決めること”などと嘯くのは立憲主義に悖ると言われて当然だと分かります。
さて、その後に出てきたのが“国会で精緻に議論せよ”論です。
“最終的には最高裁が決めること”よりさらに尤もらしい言い分ですが、既に違憲性の高さを指摘されている以上、国会での議論は憲法違反の法案を立法府が認めるか否かに集約するのが当たり前です。
例えばこんな感じ。
政策工房2015年06月12日 11:21「憲法9条の合憲性を議論すべきは、憲法学者ではなく国会議員」【原 英史・株式会社政策工房代表取締役社長】
一言で要約すれば、“憲法9条は自衛隊を認めたんだから、集団的自衛権だって認めていいだろ”って主張ですね、これ。「リアルな憲法解釈」とか詭弁的な語を使っているだけで。
三浦瑠麗2015年06月13日 00:40「安保法制(4)―不思議の国の潮目を読む」
これも似たようなもので、“説明すればわかる”という体裁をとった戦争法案賛同論です。しかも最終的には強行採決も認めていますので、事実上説明も形だけで構わないと言っているに等しいでしょうね*2。
どうも、安倍政権はこの手の論者に機密費あたりから金をばら撒いているのか、次々とこのタイプの主張が表れています。
安倍と橋下の間で密約も交わされたようですし、どうにもきな臭い感じになってきました。