昔は酒、今はネット

昔に限った話ではありませんが、貧困者はどうしようもない境遇に対する不安から飲酒に溺れます。飲酒以外の喫煙やギャンブル、あるいは薬物にも同様に溺れることがあり、これらは貧困問題と深い関連があります。
貧困という社会問題による被害者は、飲酒やギャンブルにはまることに伴う暴力や窃盗などの加害行為を起こすことがあります。
貧困問題を放置する社会に対する怒りが、身近なところで暴発するわけで、これが貧困者に対する偏見を助長させるという悪循環を生じさせるわけです。

生活保護受給者に対して「飲酒やパチンコを禁止しろ」などと高みから喚いているネットユーザーは多いですが、そこには、飲酒にはまった貧困者に類似した構造が見受けられます。

社会の閉塞感、失業、精神疾患などでどうしようもない境遇に対して不安を抱いている人は容易にネットに溺れます。特に、とにかく働かないと食うに食えないほどには切羽詰っていなくて、まだ余裕があると感じている人などは、深くはまりやすいと言えるでしょう。
ギャンブルと異なり、ネットを利用するだけで一気に金銭的に困窮することはないため、精神に及ぼす影響は一定時間あたりではギャンブルほどではなくとも、長時間接することでそれに匹敵する影響があると思います。
ギャンブルはお金を浪費しますが、ネットは時間を浪費します。
時間を浪費したことに対する焦り、どうしようもない不安、これをネット上で罵声を浴びせることで解消しようとする。飲酒に溺れる貧困者同様の構図です。

貧困者が飲酒に溺れるように、ネトウヨはネットに溺れています。

その不安や怒りは、本来向けられるべき社会や政治にではなく安易なレイシズムの発露に向けられていますが、それもまた泥酔して暴れるのに似ています。