日本社会では“貧困”は鑑賞すべき娯楽

日本社会が容認できる貧困対策とは、貧困者が自らの尊厳を放棄し一般社会に媚び諂うことに対する対価として与えられる幾許かの投げ銭のみ。制度的に対処されるものではなく、いかに一般社会を気持ちよくさせる清廉潔白な貧困さを一般社会のエンターテイメントとして提供できるか、という貧困者個人の資質に影響されるもの。
カンダタ*1もランニングマン*2もカットニス*3もそういう資質を持っていたから、“雲上人”から救いの手が得られたわけで。
件の高校生の件に片山さつき自民党議員が介入してるわけですが、実際に“調査”して貧困であると“認定”したら、件の高校生“だけ”は助けるんじゃないですかね。
そして、ネット上では“さすが自民!サヨク死ね!”と言う声が溢れると。

この件で発狂してる連中は鑑賞した“貧困”がオレの期待した“貧困”ではないから発狂し果ては人肉検索で高校生を自殺に追い込もうとしてるわけで、そんな無自覚な殺人鬼連中が平気で闊歩するのが今の日本社会とは...。