1985年時点の国民の戦争責任に関する記述

こんなツイートがありまして。

dragoner‏@dragoner_JP
戦争責任について、左は天皇や軍部に責任おっ被せ、右はアメリカだコミンテルンだに責任おっ被せて、両者ともに肝心の日本国民は免罪しているのよね

https://twitter.com/dragoner_JP/status/421324302185549824

内容的には取るに足らない“右も左も批判できる”つもりの自称中立のよくあるたわ言で、放置しておいて大過ないものですが、この御仁、以前このようなことを言っていました。

一般に理解されていない界隈をインテリ向けに翻訳・紹介する人間は、界隈の生存には必要な事とは思いますが、理解したと勘違いしたインテリがよく知らん界隈の知識を中途半端に他人にひけらかす行為は傍目からは見苦しいものです。

http://dragoner-jp.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html

というわけでdragoner氏のいう「左」*1の戦争責任に対する見解について「理解したと勘違いした」dragoner氏が「よく知らん界隈の知識を中途半端に他人にひけらかす行為は傍目からは見苦しい」と思った次第です*2

世界で最も長い民事行政訴訟である教科書裁判(1965-1997)*3で知られる家永三郎氏は1985年時点で「戦争責任」と題する本で以下のように述べています。

戦争責任 (岩波現代文庫―社会)
(P322-323)
 一般国民の大多数が、たといそれが学校教育などを通じ注入された軍国主義精神によるものであったとはいえ、自ら進んで積極的に戦争を支持しその遂行のために可能なかぎりの努力を傾注したことは、明白である。軍隊への召集、経済統制、徴用などもろもろの権力による強制があってすべてが自発的意志によるものとは言えないけれど、明確な厭戦反戦意識をいだく少数の例外者を除けば、権力により余儀なく戦争協力に駆り立てられたとするのは、当時の実態のありのままの認識とはいえない。「暴支膺懲」も「満蒙権益死守」も、国民大衆の間から強く叫ばれていた。とりわけ中国の「排日」運動に直面する中国居留民団は日本軍の出兵を強く求めたケースがしばしばあり、中国侵略を権力だけの暴走と一概に言えない面があるのである。対米英開戦の緒戦の「大勝利」が、国民大衆の歓喜の声で賛美されたのはいうまでもない。前に紹介した知識人・文化人の「支那征服」煽動や「聖戦」謳歌も、彼らの意識面が大衆のそれと同質であり、それがその専門的技術能力を借りて発露しただけのこと、と考えればあながち怪しむに足らないのではなかろうか。
 本章序節で権力の作用とあいまち国民の意識の統制に大きなはたらきを演じたものとして民間の自然的共同体や人為的に創設された民間組織体の力について述べたが、それらの集団の指導者や活動家たちは、自分一個が積極的に戦争協力を実践するにとどまらず、他の同胞に対して強圧的態度をもっておのれの信念への同調を強要するのが通例であった。彼らが、戦争や戦争政策への同調・協力の十分でないと目する同胞に「非国民」「国賊」などといった罵声を浴びせ、そうしたレッテルをはられた人々と社会的孤立に追いこんでいき、権力の発動をまつまでもなく、あるいは権力の発動と相乗することによって、国民の思想・行動を戦争支持に画一化させる効果をあげるに寄与したのは、まぎれもない事実であった。

参照しているのは2002年の文庫版ですが、450ページ中、40ページ以上を費やして国民の戦争責任について述べています。
「左」の歴史研究者の代表的存在である家永氏が国民の戦争責任についてどのように述べているか、具体的な記述まで知らずとも「肝心の日本国民は免罪して」などいないことくらいは知っていて損はないでしょう。

*1:これがどういう範囲を指すのかについていいわけがあるのかも知れませんが

*2:http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/dragoner_JP/status/421324302185549824

*3:http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1974.html