以前、「与那国島で戦没した朝鮮人慰安婦の話」で参照したサイトに以下のような記述があります。
「沖縄県史、沖縄戦記録2」に、与那国島における「朝鮮人慰安婦の遭難」という宮古島の軍医の池村恒正さんの聞き書きの記録がある。
http://isobanokai.ti-da.net/e3355194.html
それによると1944年12月に、台湾から宮古島に連行されようとした朝鮮人「従軍慰安婦」53名が与那国島の久部良港でアメリカの艦載機による機銃掃射とロケット弾によって46名が虐殺された。
久部良港のつけ根の小高い砂地の丘に、約50体の遺体をアダンの枝を集めて火葬し、ガマの中に埋葬された。殺された女性の姓名を記し簡単な墓標が立てられた。
で、この池村さんの証言が電子化されて読めるようになってました。
内閣府沖縄振興局沖縄戦関係資料閲覧室のサイトに証言集のページがあります。
本証言集は、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)及び同第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)の証言部分を電子化しています。
http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony.html
で、宮古編宮古の資料から、PDFにリンクされ、その中のP9/83(P260)から池村恒正さんの証言「朝鮮人慰安婦の遭難」があります。内容としては、前回参照したサイトと同じです。
まあ、お知らせみたいなエントリーになりましたが、沖縄県史という公文書にある証言に対して以下のような下衆の勘ぐりをしている産経新聞が人として最低であることを再確認しました。
陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備が計画されている沖縄県・与那国島(与那国町)に先月末、韓国の活動家ら約20人が訪れ、慰安婦与那国島慰霊祭が開催された。戦時中、米軍の空爆で慰安婦46人が亡くなったと主張しているが、同町の糸数健一町議(60、自民党)は「自分は60年、この島に住んでいるが、慰安婦の存在も空爆も聞いたことがない。慰霊祭には、別の思惑があるのでは」といぶかしがっている。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130406/plt1304061446003-n1.htm