金外漢/キム・ウェハン氏の場合

2015年6月11日に亡くなった元慰安婦のキム・ウェハン氏の件。

 1934年、慶尚北道・安東(アンドン)で生まれたキム・ウェハンさんは1945年2月に日本の北海道に連れて行かれた。 わずか11歳の時だった。 あらゆる苦難に遭い慰安婦生活を耐えたキム・ウェハンさんは徴用に行ってきた夫(89)と結婚した後、慶尚北道安東で暮らした。4男1女をもうけたキム・ウェハンさんは1998年に夫の勧めで政府に慰安婦被害者として登録した。 故人は生存慰安婦ハルモニの中で年齢が最も幼かった。 健康が悪化した故人は2012年にナヌムの家に住居を移した。 キム・ウェハンさんは目をとじる前の数カ月間、病床で日本政府の謝罪を待ちながら闘病してきたとナヌムの家関係者は伝えた。 故人は生前「その人でなしどもは幼い子供を連れて行き無慈悲に凌辱した。 あいつらは人間ではない。 幼かりし時に一緒に遊んだ友達は皆連れて行かれ、死んでしまい私一人だけが生きて帰ってきた」として、日本政府の公式謝罪を要求した。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20987.html

ネット上では有用な情報が少なく上記のハンギョレ記事をとりあえず引きました。
特徴として、1934年生まれと事件当時の年齢としてかなり若い点、動員先が日本国内の北海道である点が挙げられます。
11歳頃に「1945年2月に日本の北海道に連れて行かれた」という点から、一般的な日本軍慰安婦ではなく、労務慰安婦ではないかと個人的には考えています。

また、動員時期と年齢から動員手段としては「半島女子勤労挺身隊」という名目が使われた可能性があります。実際の公的強制制度としての勤労挺身隊か、政府推奨下での自然発生的なものか、あるいは勤労挺身隊動員に乗じた詐欺かは不明ですが、半島女子勤労挺身隊が植民地朝鮮から日本に送られた時期は1944年6月〜1945年2月くらいで、1945年2月には慶尚北道から不二越に送られた記録がありますので時期的には符合します。
年齢的にも植民地朝鮮では、国民学校生徒も挺身隊の対象となっており11歳での動員も記録に残されていますから、キム・ウェハン氏の事例と符号します。
実際、時期的に近い1944年に金ウンジン(仮名)氏や朴スニ(仮名)氏が挺身隊名目で騙され慰安婦にされています。金ウンジン(仮名)氏や朴スニ(仮名)氏の場合、学籍簿に挺身隊に動員された記録が残っており、単純な詐欺ではなく、公的機関も巻き込んだ組織的な犯罪であったことが伺われます。

キム・ウェハン氏も含めた三人の証言は、挺身隊名目で動員され、日本国内の慰安所に送られたと言う点で共通していますが、送られた慰安所がどのような場所だったかという点にも留意すべき点があります。
つまり必ずしも軍隊用慰安婦だったとは限らないという点です。
日本国内には日中戦争の初期から、労働者用の慰安所がありました。

札幌市教育委員会 西田秀子さんの調査によると
「労務慰安婦」は朝鮮人朝鮮人料理店経営者らが、日本企業からの要請で、鉱山に集めた。
 西田さんが今回の調査の資料の一つとした四〇年当時の国勢調査では、道内にいた労務慰安婦は少なくとも百人に上った。二十歳以下が六割を占め、十四、十五歳の少女も含まれていた。 当時の業界団体「日本鉱山協会」が行った鉱山の実態調査に関する資料などと、当時の新聞記事を照らし合わせた結果、夕張、美唄など十八の鉱山に慰安所があり、労務慰安婦が働かされていたことを確認。

http://aiko1.sakura.ne.jp/ho/t/t.htm

企業が集めた労務慰安婦については実態がほとんどわかりません。軍と企業の間で慰安婦の争奪があったのではないかと推測も出来ますが、資料からそれを見出すのは難しい状況です。ですが、労務慰安婦が内地に少なくない規模で動員されていたことは事実です。
日本軍慰安婦に関して法的保護がほとんど機能していませんでしたが、労務慰安婦の場合はそれに輪をかけてひどかった可能性があります。日本軍の正規の慰安所であれば形式的とは言え軍医などの管理を経ますから、あまりにも若年者であれば帰還させることもありましたが*1、企業による日本軍慰安婦以上の非合法な慰安所であれば、そういった最低限の配慮すら期待できません。ゼネコンに雇われた地上げ屋が手段を選ばなかったように、労務慰安所を管理する企業の末端・下請けらは、若年者である女子勤労挺身隊を慰安婦にするのに何の躊躇も無かったでしょう。

関連情報

さて、在日朝鮮人を名乗る嫌韓バカ*2がキム・ウェハン氏の証言に対してこんなことを言っています。

初潮に関しては他の記事でも言及されていて、「生理もまだ来ていないのに」という証言が散見されますが、朝鮮人は性の対象は処女性が重要ですから初潮前は嬉しいかも知れませんが、日本人の性の対象者は「子供ができるか」が重要な要素になっていて、初潮が来ていない子を性の対象には見ないんですね。

http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/33423233.html

日本のネット上には処女信仰が溢れているのに、それはこの人には見えず、処女を好むのは朝鮮人で日本人は違うとかヘイトを駄々漏れにしています。
ただ、4歳の幼女2人、6歳の幼女1人の計3人を強姦し傷を負わせ、7歳の少女に対しても強姦未遂を犯した日本兵の記録が存在するんですよね。

他にも北海道には慰安所が2箇所しかないとか。

現在、分かっているのは2カ所。第三魚雷艇隊のあった釧路と北千島のパラムシル。
ちなみに釧路の慰安所遊郭の中から選定されたもので、朝鮮人慰安婦なんかい・な・い!これは以前も書きましたね。そして、このパラムシルにあったという慰安所に関しては公的資料が何一つ残されていない。それなので慰安婦団体なんかもここは外しているんですね。

http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/33423233.html

労務慰安所などは少なくとも道内に18箇所あったようですけどね。

*1:もちろん、全てではなく、出先部隊が勝手に作った慰安所ではそのような配慮は期待できなかったでしょうし、南方など帰還が困難な場所もあったでしょう。何よりも若年者という判断自体、法に照らしてという判断ではなく、常識レベルで15〜16歳くらいを基準にしていたに過ぎなかったことは、捕虜尋問報告に記録された慰安婦らの年齢を見ればわかります。

*2:実際に在日朝鮮人かどうかに関係なく排外差別を好むバカだと言っていいでしょう。