「インターネット上で、日本の読者に日本語で掲載したこうした記事が名誉棄損罪にあたると言うのだろうか」と言えば、それはあたるでしょうよ。

産経新聞が韓国大統領に対する性的侮辱記事を書き、韓国政府がそれを弾圧した事件についてですが、こういう意見が散見されます。

深谷隆司2014年10月10日 15:59

韓国は法治国家にあらず

(略)
 セウォル号沈没事故当日の大統領の所在が様々な憶測を生んで、色々なメディアで面白おかしく書かれているが、インターネット上で、日本の読者に日本語で掲載したこうした記事が名誉棄損罪にあたると言うのだろうか。
 一応、市民団体からの告発という形をとっているが、如何にも検察側の「やらせ」であること見え見えだ。まず出国禁止にし、遂に在宅起訴、この不当な処置に、日本のみならず、アメリカや国連で、言論の自由を侵害していると批判が起こるのも当然である。

http://blogos.com/article/96305/

引用後半の批判はもっともであり、同意しますが、前半はどうでしょうか。
日本の特定個人を侮辱し名誉を毀損する記事を海外サイトに英語で書けば、名誉毀損罪は成立しないんでしょうか?日本に住む英語話者が海外サイトに深谷氏を性的に侮辱する記事を書き、それが現地で大きな話題になった場合、深谷氏はその記事を書いた在日英語話者を名誉毀損で訴えることはできないんでしょうか?
日本の法律でもそうは解釈されないと思うんですけどね。

在日外国人記者が天皇を性的に侮辱する記事を海外の言語で書いても、今の日本人は“報道・表現の自由”と言って擁護できるんですかね?
以前書いた、別段天皇を批判するわけでもない「天皇こそ役に立たないんだから心置きなく静養に行けばいいと思うんだが。」という記事に対する反応を見る限り、とてもそうは思えませんけど。
それにもう忘れているのかも知れませんが、重慶青年報がきのこ雲を掲載した件で日本中が烈火のごとく怒り狂ってましたよね*1。あれは、日本語で日本人向けに書かれた記事でしたか?

産経新聞の記事が名誉毀損に該当すること自体は、否定できるようなものではありません。特定個人に対する性的侮辱記事を書いた産経の加藤達也前ソウル支局長が名誉毀損の告発を受けること自体は問題とは言えないでしょう。
この件で問題なのは、権力者に対する名誉毀損を検察が容易に認めたことにあります。「検察側の「やらせ」であること見え見え」というのもその通りでしょう。これが「検察側の「やらせ」であること」を見抜く目を持ってすれば、慰安婦問題における河野談話潰しや排外差別団体による外国に対する誹謗中傷が、安倍政権による「やらせ」であることもわかるはずですけどね。

なお私は以前こう書きました。

さらに言えば、大統領に対する侮辱以外に大統領と接触したと噂を流された相手に対する侮辱であることも否定できず、その当人が「加藤支局長を強く処罰してほしい」と要請していることは、その噂が否定されたことも踏まえるとないがしろにはできないでしょう。通常の司法手続きに則る限り、起訴されて当然と言える事案ではあります。
しかしながら、権力者が絡む場合は当然とは言いがたいわけです。
司法手続き上の瑕疵が無いとしても、大統領が自身を侮辱した報道機関に刑事罰を科そうとしている、という形態になる以上、そこには最大限の慎重さが求められます。権力者は一般人とは違う制約がなされるべきということですね。
「私人としての行為」だという言い逃れが平気で通用するどこかの国を真似るべきではありません。権力者は自らを律する誠実さを国民に対して示す必要があります。
また、これが外国の報道機関であるということも重要な点です。
外交上の問題となることを避けることもまた政府の責任ではあり、国内法の筋だけ通せばいいというわけではありません。殺人などの重大な犯罪を見逃すわけにはいかないでしょうが、軽微なものであれば見逃すというのも現実的外交のためには必要な選択でしょう。領有権で争いのある海域での衝突事件に対し、逮捕だ起訴だ筋を通せと騒ぎ立て外交関係を著しく悪化させたどこかの国を真似るべきではありません。
国の責任者は教条的になってはならないのです。
さらに言えば、たとえ形式的には極右団体の告発であり青瓦台とは関係なくとも、極右団体が青瓦台の意を受けて告発したであろうというのは誰が見てもわかります。ただ、それを法的に証明できないだけに過ぎません。日本で排外主義団体が行っているヘイトスピーチが誰の意を汲んでいるか、誰でも知っているのと同じことです。
法的に証明さえされなければ何やっても構わないというのは、少なくとも政治指導者がやるべきことではありません。ただ冠を直したに過ぎないにしても、それが李下であれば責任を取るのが政治指導者のあるべき姿でしょう。
市民の政治活動を締め付ける一方で政治指導者には過剰な信教の自由を認めるどこぞの国の風潮をうらやんではいけません。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140910/1410282867

この認識は特に変わっていません。