DV被害者は共同親権に反対するはずだという認識だと、DV被害を受けて追い出された別居親の存在が無視されてしまう

この件。
DV被害、追い出し離婚…、共同親権を望む母親たちの声(明智カイト | 『NPO法人 市民アドボカシー連盟』代表理事 10/8(火) 16:00)

私も3年前にこんな記事を書きました。
親子断絶防止法案に反対している人たちが、子どもと引き離されている親の権利はどのように守られるべきだと考えているのかわからない
で、以下のような感じで、DV被害者で、かつ、子どもを引き離されている母親について書きました。

多分、子どもと引き離されている親は全てDV加害者だとみなす暗黙の前提を共有しているのではないかと思うんですが。
まず、以下の2点は最低限押さえておくべき視点です。
・子どもと引き離される親がDV加害者とは限らない
・子どもと引き離される親が父親とは限らない

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20161028/1477675774

これは何度も言ってきたことですが、DV被害者が必ずしも監護親になるわけじゃありません。
DV被害を受けて家から追い出されて、子どもと会えなくなる別居親もいるんですよね。

しかし、こうしたDV被害者である別居母に対してEoH-GS氏は「どうでもいい」*1とか言い放っていましたので、反対派の界隈の闇を感じますね。

DV被害者なのでどうでもいいはずないんですが。



寺町東子弁護士のこの意見もひどい

寺町弁護士はこんなことを言っているようで。

寺町東子‏ @teramachi_toko
虐待のハイリスク要因である「予期せぬ妊娠」を減らすためには、
男 性 へ の 性 教 育

女性に妊娠の容認なく生で射精したら男性に暴行罪の創設

生物学的父(及びその親権者)への養育費の国による徴収
など、
男性の性行動に枠をはめるのが有効ではないかな。

https://twitter.com/teramachi_toko/status/1138629589331193857

男性への性教育については同意なんですが、後半の連座制紛いの制度はどうにも救いがたく、これで弁護士なのかと思わざるを得ません。

「女性に妊娠の容認なく生で射精したら男性に暴行罪の創設」というのも元々、強制性交罪は男性による女性に対する性交のみが構成要件だったのを口淫や肛門性交を含めるように改正したんですよね。
口淫や肛門性交などを強姦として裁けないのはおかしいと言って改正して構成要件を広げたのに、今度は性交のみを特別に処罰する条文が必要だとか言い出しているわけですね。もしそれが認められて刑法に追加されたら、次はその条文に口淫や肛門性交なども含めるように主張し始めそうで、際限が無くなりそうです。

ちなみに前回の刑法改正時に日弁連は、こんなことを言っていました。

行刑法が「姦淫」行為のみを強姦罪として処断する旨定めていることについては,従来,侵襲性や妊娠の危険という意味で他の性的行為と異なる特別の意味がある等の指摘がなされてきたところであり,「姦淫」以外の行為類型に該当する事案の中に「姦淫」よりも可罰性が低い事案があることは否定できないはずである。そうである以上,刑の下限に差が設けられることには合理性があり,これに対して刑の下限を統一することまでを必要とする十分な立法事実が示されたとは認められない。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2016/opinion_160915_4.pdf

これに対して小川たまか氏は「性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ」という記事で、直接的な批判ではないものの、「(1)「強姦」の定義 肛門性交、オーラルセックスは膣への挿入より程度が軽い?」などのサブタイトル表記からわかるように批判的に言及しています。
しかし、寺町弁護士の考え方を適用するなら「虐待のハイリスク要因である「予期せぬ妊娠」」の可能性という点で「肛門性交、オーラルセックスは膣への挿入より程度が軽い」ということになりますね。
小川氏はこの寺町弁護士の考え方を批判するのか、気になるところです。



離婚後共同親権とフェミニズムの関連について考察した1986年の論文

Katharine T. Bartlettによる以下のような論文がありましてですね。
Katharine T. Bartlett & Carol B. Stack, Joint Custody, Feminism and the Dependency Dilemma, 2 Berkeley Women's Law Journal 9-41 (1986)

これ、1986年の論文です。こういうのを見つけると日本はどんだけ遅れてるのかと思わされます。
タイトルが“Joint Custody, Feminism and the Dependency Dilemma(共同親権フェミニズム、依存性のジレンマ)”で、離婚後共同親権フェミニズムの関連について30年以上前にこういう研究がされていたわけですからねぇ。

全文は大変なので、とりあえずIntroduction部分のみ記事末尾に転記しました。機械翻訳でもして読んでみてほしいところです。
個人的には以下の部分を離婚後共同親権に不安を抱いている日本のフェミニストに読んでもらいたいという思い*1

(略)we explain that much of the detriment suffered by women under joint custody statutes is attributable not to joint custody statutes themselves, but to the holdover of traditional attitudes and practices about child custody. We argue that we should direct our efforts toward improving the circumstances for women within which custody decisions are made and toward purging the stereotype-bound premises which continue to pervade the resolution of these disputes, rather than rejecting joint custody altogether.

(訳)
共同親権制度で女性が被る損害の多くは、共同親権制度そのものに起因するのではなく、子の監護に関する伝統的な態度と慣習が残っていることに起因する。共同親権制度を拒絶するのではなく、むしろ親権の決定が下される女性の状況を改善し、これらの紛争の解決を先延ばしにしているステレオタイプに縛られた前提を一掃することに私たちの努力を傾けるべきである。

https://scholarship.law.duke.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2383&context=faculty_scholarship

これ、現在の日本でもそのまま当てはまる指摘だと思いますよ。




Joint Custody, Feminism and the Dependency Dilemma

Introduction

Dependency is a dilemma for women. Women's dependency, which arises largely from their status as caregivers, can be both a strength and a source of vulnerability and exploitation. The dependent relationships which women form are often coercive and degrading, but at the same time they may satisfy the needs of women for affirmation and influence. Efforts to overcome the oppressive aspects of dependency, while successful in some respects and for some women, may exacerbate the problem in other ways.
The issue of joint custody illustrates the contradictory nature of women's dependency. Joint custody has the potential both to help women develop more independence and to aggravate the problematic aspects of dependency inn women's lives. Although joint custody was expected to help women, it has had mixed effects, benefiting some women, hurting others, and for still others, helping and hurting at the same time.
This article examines joint custody as an example of the complicated nature of women's dependency. In Section I, we set the movement toward joint custody in the context of the egalitarian goals of women's rights groups in the 1970's. We then describe the emergence of the feminist critique of this movement in the 1980s.
In the next two sections of the Article, we explore the shortcomings of the joint custody critique. In Section II, we examine different areas of women's dependency, including the relationships of women to men, to children, and to the state. Within these areas, we analyze differences in the experience and consciousness of situations of dependency in which women find themselves. These differences, based on race, social class and generation, may affect how women respond to changes in custody rules. We conclude that in assuming a single yardstick for evaluating the effects of joint custody on women, the feminist critique of joint custody is incomplete and inconclusive, overlooking the differences which structure women's relationships to the state, to the courts, to public and private patriarchy, and to race and social class.
In Section III, we examine the relationship between custody norms ideology, emphasizing both the importance of law in forming ideology and the importance of ideology in changing social attitudes and practices. We conclude that the critique of joint custody errs in ignoring or underestimating both of these factors and that joint custody is ideologically a desirable alternative to sole custody.
Finally, in Section IV, we explain that much of the detriment suffered by women under joint custody statutes is attributable not to joint custody statutes themselves, but to the holdover of traditional attitudes and practices about child custody. We argue that we should direct our efforts toward improving the circumstances for women within which custody decisions are made and toward purging the stereotype-bound premises which continue to pervade the resolution of these disputes, rather than rejecting joint custody altogether.
We note that the effect of joint custody upon women is not the only, or even the most important, focus in evaluating joint custody. A more complete approach would necessarily examine the effects of joint custody and other custody alternatives on children. There is already some evidence supporting the view that joint custody offers substantial benefits over other alternatives for many children. Further studies may offer more guidance in this area, but they are unlikely to moot the debate over the impact of joint custody on the interests of women. The results of studies designed to ascertain the welfare of children are rarely, if ever, conclusive. Moreover, they take place in a political and social context which affects both an assessment of the evidence and what we might say about the primacy of the child's best interests. Thus, how we interpret the interests of children inevitably will be influenced by how we evaluate the interests of mothers and fathers as well. This Article focuses on the interests of mothers.

https://scholarship.law.duke.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2383&context=faculty_scholarship

(※タイポがかなりあると思うので、おかしいと思ったら原文を確認してください)

*1:まあ、“scopedogが英語を引用するのはコケ脅し”だとか言って読もうとすらしないEoH-GS氏には何も期待していませんが

雑感

朝鮮新報「2019年は朝鮮半島非核化協議の最後のチャンス」(10/9(水) 11:58配信 ハンギョレ新聞)

まあ、何度か言ってきたことですが北朝鮮の意向としては、終戦交渉はするが降伏交渉はしないということであって、アメリカ側がそれを受け入れられるかどうかという点こそが焦点なんですよね。

完全な核放棄をやるまでは終戦も制裁解除も拒否っていうのは、北朝鮮に全面降伏を迫っているに等しいわけで、そんなことは客観的に明らかなのに、誰もそれには言及しない不自然さ。



離婚後共同親権に肯定的ないくつかの記事について

離婚後の共同親権は制度改定だけでは不十分(10/8(火) 18:08配信 ニューズウィーク日本版)

冷泉彰彦氏のコラム。ハーグ条約の理解にナショナリズム的な偏見が垣間見えます*1が、「制度への社会的な理解が必要」という点については同意できます。
法律の文言を共同親権に変えただけでは意味がありませんからね。
再婚相手に関する記載も大筋として同意できますが、「社会として「血の繋がりがない」場合に、愛情が注げないことへの「許容」がまだ残っているように見られます」という表現には違和感を覚えます。
むしろ、継父・継母が“継子に愛情を注げないこと”は許容しつつ、年少者に対する年長者としての配慮をこそ求めるべきだと思います。
一緒に生活してきた実子と実父・実母の関係は実子の年齢に等しい年月を通じて形成されてきたもので、再婚してから構築される関係でそれを超えるのは容易ではありません。愛情・愛着は共に過ごした年月を積み重ねることで形成されていくものですから、継父・継母が“継子に愛情を注げないこと”は特に再婚初期においては当然として、社会としてはそのような継父・継母と継子が適切な愛着関係を育てていけるようにサポートするべきです。冷泉記事には、そのような視点が欠けているように思いました。
ただ、全体としてはまずまず良記事だと思います。

DV被害、追い出し離婚…、共同親権を望む母親たちの声(明智カイト | 『NPO法人 市民アドボカシー連盟』代表理事 10/8(火) 16:00)

離婚後共同親権反対派が“同居親=DV被害者”といった誘導をしきりに行っているため、DV被害を受けて追い出された別居親の存在が長く知られてこなかった*2ので、こうして記事化されるのは非常に良いことだと思います。

私も以前取り上げたのですが、その時は反対派のEoH-GS氏は「どうでもいい」*3とか言われてへこみましたよ。

明智氏の記事自体は一方当事者の証言のみに寄っている印象があり*4、その点は若干詰めが甘い気はします。それでも、DV被害者は必ずしも同居親であるわけではないことを周知した意味で良記事だと思います。

*1:「国際結婚が破綻した場合に、日本で離婚裁判を行うと単独親権という判決が出ることから、欧米圏出身の配偶者の場合は、そもそも日本での裁判に応じないという実情があります。その結果として、外国人の側の親は自分の国における離婚裁判を強硬に主張して、日本人の親に不利な結果を引き出す傾向があります」と言う部分とか。そもそも、元の居住国で裁判せよというのはハーグ条約の基本的な考え方であって、外国人親の都合であるかのような書き方は誤解と偏見を招き、不適切です。

*2:離婚後親子交流の問題をちょっとでもまともに調べれば知ることはできますし、論理的に考えてもいて当然の存在ではあるんですがね。

*3:http://scopedog.hatenablog.com/entry/20161031/1478019853

*4:ただ、反対派の方が一方当事者の証言を全面的に事実扱いしていることが多い印象ですけどね。

現日本政府にとってはともかく、日本市民にとっては朝鮮半島統一は歓迎すべきだと思うんだけどね

この反吐が出そうな記事の件。
泥沼が続く日韓  最悪のシナリオは朝鮮半島の南北統一〈週刊朝日〉(9/20(金) 10:06配信 AERA dot.)

ナチスドイツに侵略されたフランスやポーランドベネルクス三国などが東西ドイツ統一に懸念を示すというならまだ理解は出来ます。

しかし、もともと朝鮮半島は日本に侵略され植民地とされた挙句、戦後は分断を強いられたわけで、そのような分断国家に対して、侵略した日本で南北統一を「最悪のシナリオ」とか主張するのはどれだけ恥知らずなんですかね。

記事中では「日韓関係に詳しい大使経験者」*1と称する嫌韓バカがこんなことを言っています。

 日韓関係に詳しい大使経験者も、こう分析する。
「韓国内では、文在寅(ムンジェイン)政権への不満分子も多く、政権は盤石ではない。韓国のWTO提訴は、国内の不満を反日感情へと誘導するためのポーズでしょうね」
 日本にとって脅威となるのは、文在寅大統領が朝鮮半島の南北統一を実現するとの構想を打ち出している点だという。朝鮮半島の統一政府となれば、独裁体制が確立している金正恩(キムジョンウン)政権が保守と革新で分裂する韓国をのみ込む可能性があると、大使経験者は指摘する。在韓米軍が撤退することになれば、脅威はさらに増す。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190919-00000098-sasahi-kr&fbclid=IwAR2MGl_ahPoqiazwX8jGFUq1y8YOWH_VpG2nOo-B6-s0GGxGtV6UA1crY60

まず今回の韓国の反日感情は、安倍政権が徴用工判決に対する報復として貿易戦争を仕掛けたことに起因します。そもそも韓国市民の大半は別に日本による戦時強制動員問題に興味を持っているわけじゃありません。日本による植民地支配による被害であるという認識はあっても、それだけで日本に対する反感などを持っていない市民が大半です。日本市民の大半が原爆被害を米国による残虐行為だと認識していても、それだけで米国に対する反感を持ったりはしないのと同じです。

しかし、貿易戦争という理不尽な攻撃を仕掛けられたことによって攻撃された側の韓国市民は反日感情を抱いたわけです。「韓国のWTO提訴は、国内の不満を反日感情へと誘導するためのポーズ」だとかいうのは、自分たちが何を招いたのかすら理解していないアホのたわ言です。

そもそも「朝鮮半島の南北統一を実現するとの構想」なんて別に文政権じゃなくても、金泳三政権時代の1994年から民族共同体統一方案(민족공동체통일방안)*2という形でありますよ。「日韓関係に詳しい大使経験者」のくせにそんなことも知らないんですかね?
朝鮮半島の統一政府となれば、独裁体制が確立している金正恩(キムジョンウン)政権が保守と革新で分裂する韓国をのみ込む可能性がある」というのも脳みそが光速で逃避でもしない限り、信じたりはしない与太話です。
東西ドイツの統合で主体となったは西ドイツですが、当時のドイツはキリスト教民主・社会同盟と社会民主党で分裂してましたよね。

その馬鹿げた話に森永卓郎氏も乗っかるという体たらく。

 森永氏も言う。
「韓国という友好的な隣国が消滅し、朝鮮半島全体が『北朝鮮化』する可能性はあります。現在のソウルは、平和に見えても、核シェルターをいくつも構築しており、『戦時下』にあるんです。日本だっていつ、(朝鮮半島の統一政府と)緊張状態になるかわかりませんよ」
 最悪の近未来にならぬよう……。(本誌・永井貴子)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190919-00000098-sasahi-kr&fbclid=IwAR2MGl_ahPoqiazwX8jGFUq1y8YOWH_VpG2nOo-B6-s0GGxGtV6UA1crY60

ちなみに、文大統領にしても2019年8月15日の演説で「遅くとも2045年の光復100周年には平和と統一で一つになった国(One Korea)へと世界の中でそびえ立てるよう、その基盤をしっかりと整えていくことを約束する」と言った程度で、文政権の認識でさえ、現時点では統一朝鮮の基盤すら整っていないということを意味しています。

そもそも日本側の論者がことごとく、統一朝鮮は日本と軍事的に対立すると信じたがっているのがホントに救いがたいです。外交は何のためにあると思ってるんでしょうかね?

で、現状で朝鮮半島の将来は大きく二つのパターンしかありません。

一つは大きな混乱を伴わない平和的な統一。もう一つは、戦争や国家崩壊などの大きな混乱と犠牲を伴う軍事的な統一です。強いて言えばもう一つ、延々と対立と緊張を長引かせ分断の恒久化と拉致問題解決の放棄を伴う先延ばし がありますけどね。

平和的な統一以外の将来が日本にメリットをもたらしたりはしません。まあ、戦争や対立を煽って利益を得る安倍政権・自民党公明党・その他宗教カルトや極右団体やそれに乗っかるメディアにとっては別ですが。いや結構メリットを得る人が多いのかな?
嫌韓を煽られて、韓国・朝鮮を罵倒してストレス解消できる日本の一般市民にもメリットかも知れませんね。日本国内の政治的抑圧や経済的停滞によって蓄積したストレスを外国や弱い人間にぶつけて発散する行為に自己嫌悪を感じないくらい麻痺していることが前提になりますが。

平和的な朝鮮半島統一が実現した場合の日本にとってのメリットをいくつか

北朝鮮が米国などから攻撃されないという保障を平和条約などの形式で確立した上で、韓国と北朝鮮による南北連合が成立した場合、さらに統一国家が成立した場合に日本にどんなメリットがあるかをザクっと考えてみます。言うまでもなく実現には様々な困難がありますが、その辺はここでは考えないことにします。

1.北東アジアにおける戦争勃発の火種が一つ減る

現在、北東アジア地域で最も軍事的に不安定な地域は、朝鮮半島台湾海峡ですが、そのうちの一つが減ります。戦争したい人や韓国人・朝鮮人が犠牲になったら嬉しいと感じる人非人には残念でしょうが、そうでない人たちにはメリットですよね。
軍事的脅威の低下は、軍縮の機運を醸成します(軍官僚は抵抗するでしょうけど)。韓国は強大な陸軍を保持する必要が無くなり、北朝鮮は核保有を維持する必要が無くなります。日本も現在の防衛費を維持する必要がなくなりますし、中国やロシアも少なくとも朝鮮半島方面に備えた軍備については現状を維持する必要が無くなります。

2.環日本海経済圏の成熟による利益を享受できる

南北朝鮮が統合した場合、釜山から欧州までの鉄道でつながり、朝鮮半島、中国、ロシア、日本が日本海を内海とした経済圏で結びつくことができます。北朝鮮地域に対するインフラ需要の他、経済発展に伴い、中国、ロシアの関連地域にも需要の拡大が見込まれますよね。当然、日本の日本海側にも波及した効果が見込まれます。

3.拉致被害者の生存者や家族が自由に会えるようになる

南北連合の段階では会える場所は板門店など限定されるかも知れませんが、韓国と北朝鮮にいる南北離散家族と同様に会うこと自体の制約は相当程度緩和されるでしょうね。さらに統一国家が成立すれば、場所の制約もなくなり、自由往来が可能になるでしょう。



*1:あの嫌韓ネトウヨの武藤氏がまず思い浮かぶんですけどね・・・。

*2:http://scopedog.hatenablog.com/entry/2018/03/12/073000