前回も言いましたが、現在の憲法で良きにせよ悪しきにせよ、立法や行政の運用で対応できないような重要な問題はありません。
文面上は誰がどう読んでも違憲としか思えない自衛隊の存在ですら解釈改憲という行政の運用で対応しているわけです。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
ここまで明確に書かれている非武装条項についてすら行政の運用ですり抜けることができているのですから、9条以外についても改憲しなければ国民生活に多大な損害が発生する、というようなことは皆無と言っていいでしょう。
さて、産経新聞は5回に渡って改憲の必要性を訴えましたが、5回とも改憲の必要性は全く感じられないこじつけばかりでした。
(1)戦車にウインカー 「軍隊否定」の象徴
ウィンカー付戦車は世界的に珍しくないことはさんざん指摘されていますが、それ以外の内容も改憲の必要性とは全く関係ないものでした。
専守防衛が防衛政策の基本なのに、道路や橋は戦車の重さにお構いなしに造られる。高速道路も一部は有事に滑走路に転用できるようにしておけば合理的だが、そんな配慮はない。ミサイル防衛を唱えながらシェルター一つ造らず、原発は、テロはともかく軍事攻撃には備えていない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120428/plc12042822520013-n1.htm
言ってる内容もお粗末きわまりますが、仮に上記のような対応が必要だとしても、建築関連や原発関連の立法措置で対応可能なものばかりです。
(東日本大震災の際)救援・捜索で疲れ切ってはいたが、隊員らは宿営地に戻る際、物資輸送や情報収集といった名目でわざわざ遠回りした。「『迷彩服』の存在を住民の皆さんに示し、安心感を与える」(陸自幹部)ためだった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120428/plc12042822520013-n2.htm
これも行政(自衛隊)の運用(物資輸送や情報収集といった名目でのパトロール)で対応できています。
東日本大震災では、憲法に緊急事態条項がなかったことが問題視されるようになった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120428/plc12042822520013-n3.htm
そもそも東日本大震災で憲法を停止しなければならない事態が生じたのに停止できず問題となったのか、というと、そうではありません。
ちなみに日本国憲法第22条には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」という条文がありますが、福島原発事故に伴う避難指示や警戒区域指定は、ある意味で居住の自由を制限したものになっています。
避難指示は、原子力災害対策特別措置法15条第3項及び災害対策基本法60条1項*1を法的根拠とするものでこちらには罰則はありませんが、警戒区域については、災害対策基本法116条に基づく罰則があります*2。
まあ、災害対策基本法に基づく警戒区域指定が、違憲だという主張もあるにはありますが主流ではありません。
(2)国民の平安祈る存在明記を
民の暮らしをひたすら案じ、その安寧を願う。「民とともにある」という不易な営みが歴代天皇に脈々と引き継がれてきた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120501/plc12050113320023-n1.htm
日本国憲法下での天皇は二人目ですから、「歴代天皇に脈々と」という表現がおかしいです。
大日本帝国憲法下の天皇は、政治や軍事にちょいちょい口を挟んで結構好戦的な発言もあるので、「民の暮らしをひたすら案じ」というのはファンタジーですね。
政府見解は憲法に「元首」との明記がなくとも、元首であることは明らかという立場だ。世界の多くの国も「天皇」を国家を代表する「元首」とみている。だが、国内では依然として「天皇は形式的・儀礼的な行事を行う象徴にすぎず元首ではない」という見解が一方にある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120501/plc12050113320023-n2.htm
国際的に事実上の元首として通用しているので、別に憲法に改めて記載する必要がありません。それ以外の部分は言葉遊びに過ぎず、国民生活に直接かかわる話でもなく、法学者や政治学者が学会で議論すればいいだけの話です。
高崎経済大学の八木秀次教授は「象徴という言葉には出典があり、本来ならば国民を超越して国家の尊厳を担う国家元首を指す言葉であることは明らかだ」としたうえで、こう指摘した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120501/plc12050113320023-n3.htm
「『象徴にすぎない』『元首はいない』などとする見解による混乱が現にある以上、天皇を国家元首と明確にする意義はある。対外的な代表者が存在しなければ国家として問題で、不毛な混乱に終止符を打つべきだ。ただ、重要なことは天皇はただの元首にとどまらず、わが国の安泰と国民の平安を祈り続けてきた永続的な存在でもある。歴史があって尊厳ある天皇の姿を憲法に位置付ける必要があろう」
言葉遊びの決着のために憲法改正って言われても、憲法はおもちゃじゃありませんので。
「重要なことは天皇はただの元首にとどまらず、わが国の安泰と国民の平安を祈り続けてきた永続的な存在」などと言っているのを見ると、法学や政治学の話ですらなく、宗教の話でしかありません。
(3)不明確な国籍条項 外国人に参政権を付与できるのか
これまで産経新聞は、永住外国人の地方参政権すら違憲だとひたすらキャンペーンを続けてきてましたので、外国人参政権に関して改憲が必要と主張するのは矛盾の最たるものですが、まあ、ダブルスタンダード上等な新聞ですからね・・・。
日本国内の韓国・朝鮮籍永住者は約45万人(平成20年末)。韓国が在外投票制度を整備したことで、仮に日本の永住外国人に地方参政権(選挙権)が付与されれば、彼らの多くは韓国の国政と日本の地方自治体に“二重”の投票権を持つことになる。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120501/plc12050113310022-n1.htm
国政投票権と地方自治体の投票権は、日本人も持ってますが、「“二重”の投票権」という言い方はしません。
付与できるとする根拠の一つが、地方自治体の首長や議員を「住民が、直接これを選挙する」と定める憲法第93条2項の規定で、「『住民』には外国人も含まれる」と解釈されるからだ。7年2月28日の最高裁判決が法的拘束力のない「傍論」で、「永住者等」について法律に基づく選挙権付与が「憲法上、禁止されているものではない」としたことも許容説に拍車をかけた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120501/plc12050113310022-n2.htm
2007年の最高裁判決は許容"説"とかじゃなく明らかに地方参政権については外国人参政権を許容しているわけで、あとは立法措置だけの問題です。
永住外国人の地方参政権の是非については充分に議論されているとは言えませんので、改憲して可能性を排除しようとするのは誠実ではありません。さらに現時点では立法が為されていませんので、改憲の有無に関係なく永住外国人に地方参政権は与えられていません。議論するなら、立法府で是非を議論すればよいだけの話で、改憲の必要性はないと言えます。
(4)家族・教育 「個人」「権利」偏重で荒廃
産経新聞の「ぼくがかんがえるかいけんのひつようせい」シリーズで一番ひどいのはここかも知れません。
平成22年夏、東京都足立区で、111歳の男性が実際には約30年前に死んでいたことが発覚し、男性の年金を不正受給していた家族が逮捕される事件があった。都の1世帯当たりの人数は、今年元日時点で1・99人と、統計の残る昭和32年以降で初めて2人を割り込んだ。「家族がバラバラになりきった感じだ」と石原慎太郎都知事は話す。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050217330009-n1.htm
まず、1ページ目の内容は全く憲法と関係ありません。立法や行政、あるいは司法で対応できる、または対応すべき内容です。
昭和の高度成長期まで、社会を支えていた日本の「家族」。だが、核家族化や非婚・晩婚化、少子化により家族・親族の人数は減少し、互いの関係も希薄化しつつある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050217330009-n2.htm
「家族」の姿は、昭和22年12月、戦前の家制度を廃止した改正民法の公布を契機に大きく変わった。同年7月30日の参議院司法委員会で、鈴木義男司法相は改正理由をこう説明した。
「現行(旧)民法の下では、戸主は家の統率者として、家族に対し、居所指定権、婚姻及(およ)び縁組の同意権、その他各種の権力を認められておりますが、これらはすでに述べました日本国憲法の基本原則と両立しない」
ここで憲法の基本原則として挙げられたのが「個人の尊重」(第13条)、「法の下の平等」(第14条)、「家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」(第24条)だった。
その憲法の基本原則がことさら強調され、個人の「自由」「権利」を絶対視して「義務」を軽視しがちだったのが戦後民主主義だったともいえる。子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”は置き去りにされていった。
「個人の尊重」(第13条)、「法の下の平等」(第14条)、「家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」(第24条)が重要な原則であることは言うまでもなく、ここを変える必要性は皆無でしょう。
「子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”」については、「子供を産む」義務などは論外ですが、それ以外は民法上の「扶養の義務」に該当します。
ちなみに日本国憲法上に「子供を育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”」は記載されていませんが、大日本帝国憲法にも記載されていません。
「扶養の義務」は現行民法第877条に記載がありますが、旧民法第954条*3にも、同様の「扶養の義務」が記載されていますので、戦後になって「子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”は置き去りにされていった。」というのは、法律の条文上は、明確に間違った内容です。
「家族」は国や社会を構成する基礎単位であり、憲法に保護・尊重条項を設けている国は多い。しかし、日本国憲法にはその家族条項がなく、家族の“崩壊現象”に歯止めがかからない。しかも、民主党政権は、社会保障や税について「世帯単位から個人単位へ」という基本原則の大転換を打ち出し、配偶者控除など「家族」優遇制度の廃止を進めようとしている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050217330009-n3.htm
大日本帝国憲法にも家族に関する条項はありませんでしたし、アメリカ合衆国憲法*4にも大韓民国憲法*5にも特に見当たりません。
ドイツ基本法(憲法に相当)には第6条に家族に関する規定がありますが*6、「(1) 婿姻および家族は、国家秩序の特別の保護を受ける。」と言った内容で、日本国憲法第24条2における「(略)婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」という記載と大差ありません。
第24条2は、旧民法のような戸主の独裁を認めた旧民法のような「個人の尊厳と両性の本質的平等」を無視した立法から、家族を守るための条項と言えます。
民主党政権の社会保障政策や税制については立法の話であって、憲法の話じゃありません。
「一人一人の意思や能力に応じた個性重視の教育」を理念とする行き過ぎた「ゆとり教育」が学力低下を招いた。過度の校則自由化や教師の「指導」の制限は、授業が成り立たない「学級崩壊」など学校の秩序崩壊につながっている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050217330009-n3.htm
高崎経済大学の八木秀次教授は「家族も教育も、個人の『権利』『自由』を絶対視する憲法学が生み出した風潮で壊された。自主自立の精神や公共心の重要性を明記せず、国家観もない憲法の欠陥が、そうした解釈を許し、教育現場を縛って害している」と指摘する。
ここに至っては、憲法など全く関係なく教育行政の話です。
八木氏の発言も支離滅裂で、「自主自立の精神」を重要と言っていながら「個人の尊厳」は軽視するという自己矛盾に陥っています*7。
ちなみに、家族関連で言うなら改憲などより民法の一部に申し訳程度に書かれた家族関連部分*8ではなく、ちゃんと独立した家族法を制定することが重要でしょう。
(5)平和主義条項 柔軟な改正、世界の潮流
一巡してネタがなくなったのか(1)と重複する内容を言っています。
言っている内容がトンデモだと言うことまで重複しています。
だが、日本は消極的だ。憲法との絡みで「紛争当事者間の停戦合意」など国連平和維持活動の参加5原則を満たす必要があるからだ。元航空自衛隊幹部で軍事評論家の佐藤守氏は「そもそも平和維持活動の参加に『現地の安全が必要』というのはおかしな話。平和を勝ち取るという発想が9条にはないためで、隊員は浮かばれない」と嘆く。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/plc12050308060010-n1.htm
自衛隊出身の評論家や政治家にトンデモが多いのはそういう仕様なのかよくわかりませんが*9、「平和維持活動の参加に『現地の安全が必要』」とは、国連平和維持活動参加5原則には書かれていません。
我が国は国際平和協力法に基づき、次の基本方針に従い国連平和維持隊に参加することとしている。
1.紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/pko_sanka.html
2.当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
3.当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
4.上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
5.武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。
いずれも中立性の維持、侵略性の防止のための当然の内容であって、これをおかしいと言う方(具体的には佐藤守氏のことですが)がおかしいのです。
軍事力を敬遠するだけで、平和な世の中が保てるのか。自らの安全と生存、主権や独立を守る備えが、こうした諸国民の「公正と信義に信頼」することだとする憲法前文と現実との乖離(かいり)は誰の目にも明らかになりつつある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/plc12050308060010-n2.htm
現に、現憲法下で自衛隊が存在しているのに、そこを無視するのは右翼のいつもの論法ではあります。
世論調査で憲法改正の反対理由の上位に「現行憲法は世界に誇る平和憲法だから」と挙げられることが多い。「日本国憲法は世界で唯一の平和主義の憲法」という“神話”も存在するからだ。だが、世界各国を見ると、平和主義は日本固有の規定ではない。憲法9条の「武力による威嚇または武力の行使」などの文言は1945年6月に制定された国際連合憲章の影響とされ、憲章制定後の各国憲法では、平和主義条項を盛り込むのがむしろ一般的だ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/plc12050308060010-n2.htm
平和主義条項が一般的なら、今の憲法のままで良い、という話にしかならないはずですが、産経新聞は改憲しろというわけのわからない主張をするわけですね。
まとめ
結局、下記いずれも改憲しなければならない理由とは言えず、なぜ改憲しなければならないのかさっぱり分かりません。
(1)戦車にウインカー 「軍隊否定」の象徴
(2)国民の平安祈る存在明記を
(3)不明確な国籍条項 外国人に参政権を付与できるのか
(4)家族・教育 「個人」「権利」偏重で荒廃
(5)平和主義条項 柔軟な改正、世界の潮流]
産経新聞に限りませんが、改憲を主張する人たちで、なぜ改憲が必要なのか、立法や行政運営で対応できないのか、を明確に示している人たちを見たことがありません。
はっきり書いた方がすっきりする、と言った非常に感覚的で、曖昧な主張も少なくありません。
ちなみに個人的には、天皇に関する条項は改善した方が良いとは思います。理由は、政治的野心を持った人物が天皇になった場合、かなり面倒なことになるからです*10。とは言え文面上の権限がそのまま行使できれば、の話で現実的にはほとんどありえない話でしょうから*11、必須でもありませんけど。
*1:http://www.ichiben.or.jp/shinsai/qa/qa10.html#qa1
*2:http://www.ichiben.or.jp/shinsai/qa/qa10.html#qa2
*3: 第八章 扶養ノ義務 第九百五十四条 直系血族及ヒ兄弟姉妹ハ互ニ扶養ヲ為ス義務ヲ負フ 2 夫婦ノ一方ト他ノ一方ノ直系尊属ニシテ其家ニ在ル者トノ間亦同シ http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/m4_o.htm
*4:http://members.tripod.com/sapporo_3/ho/usaj.html
*5:「第36条? 婚姻及び家族生活は、個人の尊厳及び両性の平等を基礎として成立し、維持されなければならず、国は、これを保障する。」が家族に関する条項とは言え、両性の平等を示した条項という意味が強い部分です。http://www.geocities.jp/KOREANLAWS/kenpou.html
*6:http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/
*7:まあ、国家は個人を尊重しないが個人は国家を尊重しろというDV夫真っ青の自己を国家に投影した上での歪んだ自己愛なのでしょうが。
*8:民法にある家族関連条項は、家族内における権利・義務の記載というより、婚姻や親子親族関係が財産相続などにどのように影響するか定めている程度の内容で極めて不十分です。子どもの権利などと言ったものも皆無です。
*9:そうでないまともな人もいるとは思いますが、目立たないんですよね。悪目立ちするより遥かにマシですが、その結果として自衛隊出身者の評判は悪くなっているようにも思います。
*10:例えば、天皇が第7条の国事行為を拒否した場合、国家運営が大きく滞ります。国政に関する権能がない(第4条)とは言っても、天皇の首相に対する個人的好悪によって、国事行為が左右されれば、事実上の政治権力を行使することになります。
*11:天皇の人柄を褒める人も多いですが、仮に現天皇が好人物だったとしても、将来に渡ってそのような人物が天皇の地位につく保証などありません。