「日本帝国の申し子」に「朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した」と書かれているというデマ

実は前回、この話の根拠資料がわからない、と書いたときに、「朝鮮人識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇」説の根拠候補に、エッカートの「日本帝国の申し子」が挙げられていることは知っていました。

Wikipediaでもそう書いてあるんですね。

併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日本は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は日本政府の財政支援の下で鉄道から医療まで朝鮮半島へ最先端の各種インフラを導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年後の1942年には2553万人とほぼ倍増し、朝鮮人識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した[6]。

6.^ a b c カーター・エッカート 『日本帝国の申し子』 ISBN 4794212755 ※この研究著書は「ジョン・ホイットニー・ホール・ブック賞」(アジア研究協会)、「ジョン・キング・フェアバンク賞」(アメリカ歴史学会)をそれぞれ受賞した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE#cite_note-Harvard-6

ところが記載されているページの表記も原文の正確な引用と思える記載もなく、さらに「日本帝国の申し子」自体が植民地朝鮮における資本主義の発展に関する書籍で特に京城紡績に関する研究だったため、実際に「日本帝国の申し子」に当該記述があるかどうか極めて疑わしいと思っていました。

とは言え、疑わしいだけで否定するわけにもいかないので、「日本帝国の申し子」を所蔵している図書館で閲覧し、とりあえず本文、原注、解説など全て読破してみました。

で、その結果、やっぱり識字率に関する記述も人口や寿命に関する記述もなく、「所得税を免除」だとか上記に引用されている内容は、全く陰も形もありませんでした。

つまり、Wikipediaの上記引用部分の注釈としてエッカートの「日本帝国の申し子」を挙げるのは、全くのデタラメです。


まあ、Wikipediaが歴史関係でデマを流すのは今に始まったことではありませんが、こういう人が真に受けてデマを拡散するのは困ったものです。

日本による朝鮮統治の数的事実を知っていますか?
人口 約2倍
1910年 ・ 1313万人 → 1942年 ・ 2553万人

所得 約2倍
1910年 ・ 58円 → 1938年 ・ 119円

小学校の数 約42倍
併合直前 ・ 100校 → 1943年 ・ 4271校

識字率 (文字をよめる)
1910年 ・ 10% → 1936年 ・ 65%
参考文献 『日本帝国の申し子』 著者 カーター・エッカート (ハーバード大教授)

http://www.matsuura-yoshiko.com/arigatou/arigatoNo8.htm


ちなみにこのデマを拡散しているのは、日本創新党の杉並区議会議員、松浦芳子氏です*1
チャンネル桜系の人なので、この手のデマのテンプレをそっち系の人脈から入手したんでしょうね。

人口、所得、小学校の数、識字率、いずれもエッカートの「日本帝国の申し子」には記載されていませんので、明らかなデマです。

追記(2012/11/27)

一応、私が確認した本の版数を明示しておきます。

草思社、2004年2月12日 第3刷発行

もし、私の見落とし、あるいは別の版には記載があるとか言う場合は、版と記載ページを明示した上でご指摘頂ければ助かります*2

追記2

エッカートの「日本帝国の申し子」ですが、これでこれで良い本です。決して嫌韓レイシストが大喜びするような本ではなく、日本の植民地支配が過酷なものであったことを前提として書かれています。エッカートは工業化を資本主義の条件としていますので、李朝末期の商業活動の活発を持って資本主義の萌芽が見られた、という説を否定していますが、それは資本主義とか萌芽とかをどう定義するかによるでしょう。
工業化という点で見れば、併合後10年間は総督府によって朝鮮での工業化が抑圧されていたことは確かで、エッカートも同書でそのように述べています。

総督府が工業化を推進するようになったきっかけは3・1独立運動であり、その独立運動に農民のみならず実業家など全朝鮮民族を挙げた勢力が結集したことを恐れた総督府宗主国日本が、朝鮮民族を分断し、実業家を体制側に取り込もうとした、というのがエッカートの主張です。

体制に取り込まれることによって、多大な利益を上げれるようになった実業家はやがて民族主義を失い独裁権力である総督府と強く結びつき、民衆と敵対するようになった、という流れです。特に皇民化政策は、朝鮮人の企業として利益を上げることが民族を守ることに繋がるという朝鮮人実業家たちの自己欺瞞とも取れる旗印を奪い去ったことと指摘されています*3

総督府と結びついた朝鮮人実業家たちと一般の朝鮮人農民や労働者の立ち位置や意識が大きく乖離した1945年、日本の敗戦と共に庇護してくれる独裁権力を失った朝鮮人実業家たちは民衆からの糾弾にさらされることになります。しかし、韓国側ではほどなく米軍や軍事政権と結びつき実業家たちは延命し、朴政権の下で植民地時代の人脈と経験、そして外国、特に日本からの資金を利用して経済成長の基礎を築いたと言えるでしょう。ちなみに日韓国交正常化以前から、韓国の実業家たちは植民地時代の人脈を利用し日本の政財界と接触しています。

こういった流れを踏まえると、軍事政権時代の韓国と日本で形成された反共団体の動きや、なぜ当時の左派が日韓国交正常化に反対したのか、なぜ親日派の財産に対する糾弾が起きるのかが理解できます。ちなみに「日本帝国の申し子」ではその研究対象範囲が1945年までなので、そこまで踏み込んではいません。

追記3

エッカートの「日本帝国の申し子」に記載がないのはいいとして、ならば「1910年の識字率10%、1936年の識字率65%」という数字はどこから来たのか、それがやはりわかりません。くどいようですが植民地期朝鮮の公的な識字率調査は1930年のものしかありません。なので、確認可能なソースがないと上記の表現は限りなくデマに近い都市伝説としか言えません。

*1:http://www.nippon-soushin.jp/member/c_matsuura.shtml

*2:もっとも違う版で記載されている可能性も低いでしょうね。本文の内容は識字率や学校の数についての言及が必要なものではありませんので。

*3:この点は同書の主題ではないので、後半部分にごく簡単に書かれているに過ぎませんが。