百田尚樹氏が流布するデタラメに対する指摘・2

既に百田氏は事実上、自身の南京事件否定論を信仰だと認めていますが、ベストセラー作家によって流布される否定論に対し嘲笑だけで黙過するのは現状の安倍政権下では非常に危険なことだと思いますので、続けて百田氏が推薦する久保氏の否定論の誤りを指摘しておきます。
もちろん、こんな場末のブログで指摘しても、百田氏の感染力には全く歯が立たないとはわかっていますが、せめて数人でもデマに騙される被害者を減らせればと思いますので。
百田氏は否定論信仰に殉じているのでしょうから、こんなブログを読んだりしないでしょうし、読んだとしても理解しないでしょう。

南京人口20万人説の虚構

南京に戻ってきた住民

 南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
 日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
 住民が戻ってきました。上智大学渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。
 また占領後、日本軍は、民間人に化けた中国兵と本当の民間人を区別するため、ひとりひとり面接をしたうえで、民間人と認められた人々に「良民証」を発行しています(1937年12月から1938年1月)。60歳以上の老人と10歳以下の子どもは兵士ではないでしょうから、その間の年齢の人々に良民証を発行し、その発行数16万人に達しました。南京国際委員会のメンバーとして南京にいたルイス・スマイス教授は、南京の日本大使館の外交官補・福田篤泰氏に宛てた手紙の中で、「この数によれば南京の人口は25万〜27万人程度だろう」と書いています。
 このように南京占領後、南京の人口は増えているのです。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

70年前から使い古された手ですが、“南京には20万人しかいなかったから30万人殺されることはありえない”という否定論です。ところが陥落直前の南京の人口が20万人だとする根拠は信頼性が低いと言わざるを得ません。
以下はスマイス報告にある陥落前の人口状況です。

One year ago the population of the Nanking Municipality was just over 1,000,000, a figure sharply reduced in August and September, rising again to nearly 500,000 in early November.
(試訳)1年前(1937年)の南京市の人口は100万人以上であった。その数は8月・9月に急激に減少したが、11月上旬になると再び増加し50万人近くに達した。

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

1937年11月上旬の南京市*1の人口が50万人あったとされています。実際、11月23日に南京市政府が国民政府へ送った書簡には11月23日時点でも50万人以上の人口がいたと認識していることがわかります。

南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡
(37年11月23日)
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。」(中国抗日戦争史学会編『南京大虐殺』)
笠原十九司南京事件』 P220

http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/jinkou/jinkou06.htm#batyousyun

さて、久保氏によれば「1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表」したそうですが、この情報元はラーベ日記の以下の記述です。

警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。ここにとどまるかねと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「できるだけ長く」
つまり、ずらかるということだな!

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/251.html

このラーベ日記の記述からでは記者会見だとは判断できません。ラーベが直接やり取りできたことからせいぜい4〜5人の南京在住の外国人が王固盤に状況を尋ねにいったような感じです。王固盤の言った「20万人」という数字がどれほど信頼できるかは怪しいと言わざるを得ませんし、そもそも11月23日時点での50万人以上の人口がわずか5日で30万人も減るのも不自然です。
その他、久保氏が用いている数字は、安全区委員会による食糧要求などに記載された数字ですが、これは安全区委員会が管理している安全区内の人口に過ぎず、それ以外の地域の人口については含まれていません。その意味で論旨を外しています。

「住民が戻ってきました」

では「戻ってきた」住民は南京陥落までどこにいたんでしょうか?
それは安全区委員会などが把握できない地域に隠れていた以外にありえません。南京陥落後に「住民が戻ってき」たことは、陥落前に安全区以外の地域に隠れている住民がいたことの証左に他なりませんが、否定論者はその点から目を逸らし、南京陥落前の人口は安全区内の「20万人」以外に存在しないと言い張ります。

南京の人口問題

人口問題については過去にいくつかのエントリーを挙げています。
南京人口20万人説の出所の検討 - 誰かの妄想・はてな版
南京陥落までの人口動態 - 誰かの妄想・はてな版
南京人口20万人説を広めた”戦史研究家”の罪 - 誰かの妄想・はてな版
そもそも1937年12月1日〜13日の間に南京城区の人口を調査する公的機関が存在しない - 誰かの妄想・はてな版
南京事件当時の南京人口に関する若干の言及(Kuriles氏への回答) - 誰かの妄想・はてな版
値切り派の犠牲者数30万人否定の根拠 - 誰かの妄想・はてな版

陥落直前の南京城区の人口は約50万人。この他に防衛軍の約10万人がおり、軍民合わせて約60万人。南京城周辺で日本軍侵攻の被害を受けた地域人口は軍民合わせて170〜200万人に達します。

まともな南京事件研究者なら当然事件当時の南京人口についても考慮しており、笠原氏の説では事件当時の人口は南京城区で40〜50万人、南京近郊*2で120〜135万人、南京事件の起きた範囲内合計で160〜185万人程度と推定されています。この他に南京防衛軍10〜15万人が存在していましたので、事件当時に日本軍による虐殺の危機に晒された人数は170〜200万人いたことになります。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120329/1333034088

*1:京城区であり、南京事件の起きた範囲の一部