百田尚樹氏が流布するデタラメに対する指摘・3

南京入城に際し、新聞記者たちも同行

 南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
 アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
 また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
 それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

久保氏の「ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。」という記載は典型的な予防線が含まれています。「30万人の大虐殺」という文言がそれです。被害者数が30万人に上ることがわかったのは戦後、南京が日本軍占領から解放された後の調査によってです。事件直後の時点で規模が把握されていたわけではありません。

ですが、大規模な虐殺があったことは事件直後から欧米で報道されています。

一九三七年十二月十八日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う
F・ティルマン・ダーディン
(略)
 何千人という捕虜が日本軍に処刑された。安全区に収容されていた中国兵のほとんどが、集団で銃殺された。市は一軒一軒しらみつぶしに捜索され、肩に背嚢の痕のある者や、その他兵士の印のある者が探し出された。彼らは集められて処刑された。
 多くが発見された場所で殺害されたが、なかには、軍とはなんの関わりもない者や、負傷兵、怪我をした一般市民が含まれていた。記者は、水曜日の二、三時間の間に、三つの集団処刑を目撃した。そのうちの一つは、交通部近くの防空壕で、一〇〇人を越す兵隊の一団に、戦車砲による発砲がなされた虐殺であった。
 日本軍の好みの処刑方法は、塹壕の縁に一〇人ほどの兵隊を集め、銃撃すると、遺体は穴に転がり落ちるというものである。それからシャベルで土をかけると、遺体は埋まってしまうというわけだ。
(略)

http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html

一九三八年一月九日
中国軍司令部の逃走した南京で日本軍虐殺行為            
F・ティルマン・ダーディン
◇南京侵略軍、二万人を処刑
◇日本軍の大量殺害 ― 中国人死者、一般市民を含む三万三千人
◇征服者の狼籍
◇暴行、根深い憎悪を浸透さす ― 中国軍による放火、甚大な被害をもたらす
(略)

http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html

一九三七年十二月十五日
南京大虐殺
◇日本軍、何千人も殺害
◇目撃者の語る"地獄の四日間"
◇通りに五フィートも積もる死体の山
 A・T・ステイール

http://www.geocities.jp/yu77799/steele.html

ゆうさんのサイトには、この他にも以下のような報道が紹介されています。
スミス記者の講演
「タイムズ」 マクドナルドの記事(1937.12.18)


この他には1938年1月17日のTIME誌でも日本軍による虐殺があったことが報道されています。

(TIME誌1938/1/17「In Nanking」より抜粋)
Before the Japanese encircled Nanking, the gunboat Panay—day before it was sunk—evacuated most foreigners from the doomed city and the Chinese defense commander, General Tang Sheng-chi, fled, leaving his officers and men to their fate. During the four terrible days between the departure of the Panay and the arrival of the Japanese fleet, Nanking was a flaming chaos without government, without telephones, electricity or water supply. Not many more than a score of white men, most of them Americans and most of the Americans missionaries, remained during the siege in which the Japanese slaughtered 33,000 Chinese soldiers (20,000 by execution), and wounded some 5,000, as well as thousands of civilians who, according to Timesman Durdin, "hobbled about, dragged themselves through alleyways, died by the hundreds on the main streets."

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10026677016.html

また、国連でも報道を引用する形で、日本軍による南京での虐殺事件が報告されています*1。日本語はこちらで読めます。

件名標題(日本語) 国際連盟理事会関係一件 第十一巻 分割3
階層 外務省外交史料館>外務省記録>B門 条約、協定、国際会議>9類 国際連盟国際連盟理事会関係一件 第十一巻

レファレンスコード B04013944900
言語 jpn
作成者名称 藤村 代理公使||外務大臣 廣田弘毅
資料作成年月日 昭和13年2月18日
規模 89
組織歴/履歴 外務省

p.59(右真ん中)
(quote)
Another authentic account of the atrocities perpetrated by Japanese soldiers at Nanking and Hangchow based on the reports and letters of American professors and missionaries is to be found in the Daily Telegraph and Morning Post of January 28th, 1938. The number of Chinese civilians slaughtered at Nanking by Japanese was estimated at 20,000, while thousands of women, including young girls, were outraged. The American Chairman of the Emergency Committee of Nanking University, writing to the Japanese Embassy on December 14th, 1937, stated in part: ”We urge you, for the sake of the reputation of the Japanese Army and Empire, and for the sake of your own wives, daugters, and sisters, to protect the families of Nanking from the violence of your soldiers”. The correspondent added that ”in spite of this appeal, the atrocities continued unchecked”.
(unquote)

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070620/p2

つまり、久保氏の言う南京事件を当時報じたメディアがないというのは嘘だということです。
否定論信仰の徒である百田氏には、この久保氏の嘘が嘘だと理解できないようですが。

*1:下記コメント欄でのid:Stiffmuscle さんによるコメント