スマイス調査を読む(UPは12月16日)

南京陥落から76年目にあたる12月13日にアップするつもりでしたが、色々忙しく16日になってしまいました。

さて。

南京事件否定論者である田辺敏雄氏はスマイス調査に対して「大虐殺を主張する人に、この調査結果を用いない傾向は見てとれます」*1と言っています。それはその理由を「殺害されたとする民間人が少なすぎたから」と決め付けています。
しかしながら、そもそもスマイス調査は1947年3月の南京軍事法廷の判決でも言及されており、その判決において犠牲者数34万人以上とされ、30万人説の元となっていますので田辺氏の認識は歪んでいると言わざるを得ません。

 国際委員会の組織した南京安全区内の档案 が列記している日本軍の暴行、および外国籍記者ティンパレー が著した『日本軍暴行紀実』 、スマイスの書いた『南京戦禍の真相』 、ならびに当時南京戦役に参加した中国軍大隊長郭岐の編による「南京陥落後の悲劇』 ( 『陥都血涙録』 ) に記述された各節はことごとくあい符合している ( 詳しくは付属文書丙・丁・戊・己、京字九号から一二号の各証拠書類、ならびに当法廷調査・裁判記録を見られたい ) 。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

 国際委員会が組織した南京安全区の档案、外国籍記者ティンパレーの著した『日本軍暴行紀実』、およびアメリカ国籍の教授スマイスの書いた『南京戦禍の真相』はどれも、当時まだ参戦していなかったイギリス・アメリカ・ドイツの人々のために彼らが目撃した情景を記述した日本軍の暴行記録である。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

判決中で「南京戦禍の真相」と書かれているスマイス調査は、原書名「WAR DAMAGE IN THE NANKING AREA December 1937 to March 1938 URBAN AND RURAL SURVEYS」、日本名「南京地区における戦争被害 1937年12月―1938年3月 都市および農村調査」と呼ばれる史料で、1938年6月に金陵大学社会学教授(Professor of Sociology University of Nanking)であったルイス・スマイス(Dr. Lewis S.C.Smythe)*2らによって作成されたものです。
スマイス調査は南京事件直後の1938年3月〜4月に作成された統計調査であり資料的価値が極めて高い史料と言えます。もちろん統計資料を引用する場合に調査方法・背景などを踏まえた解釈が必要であることは、このスマイス調査においても同様です。
よく言及されるのが、市部調査では50戸に1戸の割合で、農村調査では206戸に1戸の割合*3でサンプル調査を行っているという点ですが、それに留まりません*4。この調査結果から何を読み取ろうとするかによって、様々な留意点が発生します。

ここでは南京事件による民間人犠牲者の推定という視点でスマイス調査を読んでみます。

市部調査・2 死傷者、強姦、強制連行

The figures here reported are for civilians, with the very slight possibility of the inclusion of a few scattered soldiers.

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

逃亡四散した中国兵を含むごくわずかな可能性があるものの、市民の犠牲者数をさしている、と前置きをしています。
戦闘行為による死亡者数は3250人(不明を除く)、そのうち2400人は軍事作戦ではない兵士の暴行による犠牲者と書かれていますが、これが市部での虐殺犠牲者数と呼べるかは疑問です。

There is reason to expect under-reporting of deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers, because of the fear of retaliation from the army of occupation.

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

このように、占領日本軍による報復を恐れて日本兵による暴行虐殺が過少申告されている可能性があると明記しています。スマイスは根拠なくこのようなことを言っているわけではなく、直後に、幼児が何からの暴行によって殺されたことを記録した“事故”がかなり多数あったことによって過少申告は明らかだと述べています*5。スマイス自身、市部の虐殺犠牲者2400人は最低限の数字で実態はそれよりかなり多いと判断していたわけです。
負傷については、原因のわかっている負傷者3100人中3050人が、戦闘に巻き込まれての負傷とは別に、明らかに兵士の暴行によるとされています。しかも負傷したものの調査した時期には回復していたような軽傷の場合は報告されない場合が多かったため、やはり実際の負傷者は3050人を大きく上回ることが示唆されています*6
また、3月の調査時に復興委員会に救助を求めた13530家族により報告された負傷は、強姦であり、これは16-50歳の女性の8%に相当すると注釈に書かれています*7。そして、強姦被害に遭った女性は自分の男性家族にも強姦被害を言わないこと、12月と1月はあまりにも強姦が多発したため、人々が強姦を普通のこととして諦めていたこと、強姦被害が落ち着いてきた3月には、家族が強姦被害の事実を隠そうとしたことから、この13530件というのは深刻な過少表示であると指摘しています。さて、否定論者の決め台詞のひとつが「中国兵が虐殺・強姦してまわった」*8ですが、スマイスは死亡者の89%、負傷者の90%は12月13日の南京陥落後に起こったと指摘しており、それ以前の死傷者は軍事行動による犠牲者に分類しているため、中国兵原因説は否定されています。
死傷者以外に報告されているのが日本軍によって連行された被害者で、4200人と記録されています。一時的な拘束や強制労働のために捕らえられたという報告はほとんどなかったと書かれていますので、殺害目的の連行であったことが示唆されます。そして報告書作成直前の6月までに消息がわかったものはごくわずかで、彼ら以外のほとんどは早い時期に殺害されたであろうと思われる理由があるとしています。連行され帰って来なかったのが全て男性であったこと、多くの女性が酌婦や洗濯婦、売春婦として連行され奉仕させられたが、「連行され帰って来なかった者」の中に女性たちはいないこと、から「連行」の深刻さが強調されると書かれています*9
そしてこの「連行」4200人という数字も、調査当初は想定していなかったため「連行」の統計自体が不完全であるとし、最低限の数字に過ぎないことがわかります。

Thus they have an unusual significance, and are more important than the simple figures indicate. Thus, those 4,200 must contribute an important addition to the number killed by soldiers.(1)

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

スマイスも連行された市民が日本軍により殺害されたと判断していますが、さらに注釈として以下のように述べています。

(1). A careful estimate from the burials in the city and in areas adjacent to the wall, indicates 12,000 civilians killed by violence. The tens of thousands of unarmed or disarmed soldiers are not considered in these lists. Among the 13,530 applicant families investigated during March by the Committee's Rehabilitation
Commission, there were reported men taken away equivalent to almost 20 per cent of all males of 16-50 years of age. That would mean for the whole city population 10,860 men. There may well be an element of exaggeration in the statements of applicants for relief; but the majority of the difference between this figure and the 4,200 of the survey report is probably due to the inclusion of cases of detention or forced labor which the men are known to have survived.

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

城内、城壁付近の地域の埋葬記録を調べた結果、12,000人の民間人が虐殺されたと判断しており、これには数万に登る兵士の死体は含まれていません。また、13000家族が連行された男性(10860人)の解放を求めたことを挙げています(ただし、4200人との差約6000人の大部分は拘留や強制労働によるもので殺害されてはいないだろうと評価しています)。

市部調査まとめ

虐殺された民間人2400人以上(戦闘に巻き込まれて犠牲者になった者全体では3250人以上)、これとは別に虐殺された可能性が高い連行被害者が4200人。合計6600人以上の犠牲者の多くは、城壁付近での埋葬された民間人犠牲者12,000人に含まれると思われます。
スマイス調査を引用する際に、都市部犠牲者を2400人と評すれば、連行され行方不明の殺害された可能性が高い4200人を全く無視する事になり妥当ではないでしょう。では、連行された者も含めた6600人ならどうか、と言うとこれも12,000人分の民間人遺体との整合性を考えると過少であると言うべきでしょう*10

*1:http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/nanking-jiken-7-2.html

*2:http://web.cgu.edu/oralhistory/china_missionaries_project.htm

*3:戦争被害の調査のため、主要幹線をジグザグに進み、3つの村を1セットとして、10戸中1戸の農家を調査対象としています。最終的な調査数は905戸5000人超で、調査対象の4県半の人口比で見ると、206戸に1戸の割合となります。調査対象となった地域は地図に書かれています。http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/War_Damage_In_The_Nanking_Area_1937_70.gif

*4:農村調査では県城が対象になっていない、全滅した家族や離散して戻ってきていない家族の被害は調査できていない、など。

*5:「戦災」として申告されなかったためか、データとしては記録されていません

*6:There was a noticeable tendency to ignore injuries from which some sort of recovery had been made.

*7: Among the injuries reported to our Rehabilitation Commission by the 13,530 families applicants for relief, whom they investigated during March, was rape to the extent of 8 per cent of all females of 16-50 years.

*8:例:m-matsuka発言「南京を占拠して徴兵や虐殺を繰り返した中国軍http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20130417/1366223210

*9:The seriousness of "taking away" is underlined by the fact that all so listed are males. Actually many women were taken for shorter or longer service as waitresses, for laundry work, and as prostitutes. But not one of them is listed.

*10:もっとも12,000人の遺体には近隣農村から避難してきて遭難した被害者も含まれる可能性はありますが