百田尚樹氏が流布するデタラメに対する指摘

スマイス調査が証明する「日本軍による民間人死者は少なかった」

 最後に、南京の金陵大学教授ルイス・C・スマイスによる戦争被害調査(『南京地区における戦争被害:1937年12月〜1938年3月』)をみてみましょう。これは南京城内とその周辺地域における人的・物的被害を調べたものであり、加害者が日本軍か中国軍なのかを特定していないものの、被害の実態を知るうえで貴重な資料です。
 調査方法は、市術地では50戸に1戸、農村部では約250世帯に1世帯を抽出し、彼が中国人助手と共に面接調査したものです。大雑把な調査ではありましたが、南京における唯一の学術的調査といっていいものです。これは「南京大虐殺」を肯定するものでしょうか。否定するものでしょうか。
 このスマイス調査によれば、南京市街地での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、さらに南京周辺部(江寧県)での暴行による死者が9160、計15,760人が民間人の被害ということでした。これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です。また、これは「犯人」を特定せず、被害だけの数字であり、その中には、じつは日本軍による死者よりも、中国軍による死者のほうが多数含まれているのです。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

百田尚樹氏が推薦する久保有政氏の記述ですが、典型的な詐欺的手法を使っています。
まず、スマイス調査による都市部の民間人推定犠牲者数が2400人とされているのは確かですが、スマイス調査では犠牲者が発生した日についても記録しています。推定犠牲者数2400人は全て12月12日以降に生じており、12月14日以降に絞っても2150人です。この日付からSoldier's Violenceによる死者のほとんど全てが日本軍によるものであることは明白です。これは拉致された者についても同様で、拉致の全ては12月12日以降、うち4000人が12月14日以降に拉致されています。12月13日に陥落した南京で4000人からの民間人を拉致できるのは日本軍以外に存在しません。
つまり都市部の民間人被害者推定6600人を殺害したのは日本軍以外にありえません。
農村調査に関しては、百田尚樹氏が推薦する久保有政氏はなぜか江寧県の推定犠牲者9150人しか挙げていません。スマイス調査では江寧県の他に、句容県で8530人、溧水県で2100人、江浦県で4990人、六合県(半分のみ)で2090人の犠牲者が推定されており、合計で26860人に上ります。久保有政氏はなぜ江寧県に限定し、2万人近い民間人犠牲者を隠蔽したのでしょうか?言うまでもなく、できるだけ数字を小さく見せたかったからでしょうね。
このような隠蔽工作を行った久保有政氏は続けて「これは「犯人」を特定せず、被害だけの数字であり、その中には、じつは日本軍による死者よりも、中国軍による死者のほうが多数含まれている」と書いています。しかし、これもデタラメです。
スマイス調査には以下の記述があります。

For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces - whether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.

http://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938#Foreword

この通り、スマイス調査で対象とした期間における民間人に対する暴行の加害者は日本軍であると、スマイス調査に明記されています。
中国軍による死者のほうが多数含まれている」というのは、久保有政氏の捏造に過ぎません。

百田尚樹氏も久保有政氏のサイトを鵜呑みにするのではなく、ちゃんと一次資料であるスマイス調査を読むべきでしょう。


ちなみに久保有政氏のサイトは上記に続けて以下のような記載があります。

 というのは、ダーディン記者の記事にもあったように、中国軍は、南京城外の農村地区のほとんどを焼き払いました。そこでは、多くの中国人が死んだのです。また、安全区の中国人が証言していたように、中国軍は働ける男をみれば拉致して兵士にするか、労役に使いました。またエスピーの報告にもあったように、中国兵は軍服を脱ぎ捨てて民間人に化ける際、服を奪うために民間人を撃ち殺すことも多かったのです。このようにスマイス調査が示す民間人死者のうち、その大多数は中国軍による死者と言ってよいのです。
 すなわちスマイス調査は、日本軍による民間人の死者はわずかであった、ということを証明していると言ってよいでしょう。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

中国軍が防衛戦に備えて南京城周辺の民家などを焼き払ったのは確かですが、日本軍を迎え撃つ陣地作りが目的である以上、広大な「農村地区のほとんど」を焼き払う必要はありません。「そこでは、多くの中国人が死んだ」などというのも捏造です。
エスピー報告の件も誇張ですね。「市民の服欲しさに、殺人まで行った」という報告があるのは事実ですが、「多かった」とは書かれていません。しかもエスピー報告は続けて、「日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖統治が開始されることになった。十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた」とあります。さらに「内の通りや建物は隈なく捜索され、兵士であった者および兵士の嫌疑を受けた者はことごとく組織的に銃殺された。正確な数は不明だが、少なくとも二万人がこのようにして殺害されたものと思われる。」と日本軍による虐殺行為に言及しています。久保有政氏はエスピー報告から都合のいい部分だけをトリミングして捏造しているわけです。

そして愚かな百田尚樹氏は、久保有政氏による初歩的な捏造・トリミングにまんまと騙されたというわけです。

エスピー報告)
 しかしながら、ここで触れておかなければならないのは、中国兵自身も略奪と無縁ではなかったことである。彼らは少なくともある程度まで、略奪に責任を負っている。日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った。
 この時期、退却中の兵士や市民までもが、散発的な略奪を働いたのは確かなようである。市政府の完全な瓦解は、公共施設やサービス機能をストップさせ、国民政府および大多数の市民の退却は、市を無法行為に委ねることになり、混乱を招いたようだ。このため、残った市民には、日本軍による秩序の回復を期待する気持ちを起こさせることになった。
 しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖統治が開始されることになった。十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた。
 城内の中国兵を「掃討」するため、まず最初に分遣隊が派遣された。市内の通りや建物は隈なく捜索され、兵士であった者および兵士の嫌疑を受けた者はことごとく組織的に銃殺された。正確な数は不明だが、少なくとも二万人がこのようにして殺害されたものと思われる。(P241-P242)

http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/espi.html