韓国における消滅時効の考え方の一例

韓国における過去清算の最近の動向 - 立命館大学

司法府は,事実的権利行使の障碍事由に対して厳格な姿勢を見せる一方で,例外的に債権者の帰責事由がなかったり,債務者側の背信的行為がある場合には,消滅時効の抗弁を斥けた(大法院2002年10月25日宣告,2002タ32332判決,大法院2011年1 月27日宣告,2010タ78852判決)。これが信義則に基づいた消滅時効排除論である。裁判所は,国家暴力の巧妙さや隠蔽性に注目して,信義則を適用し始めたのである。チェ・ジョンギル事件(1973年)*1,金オップン事件(1986年)*2 は,その始まりであった。ただし,この判決は下級審判決であった。
驚くべきことに,2011年,大法院は1950年の朝鮮戦争期の蔚山地域で行われた集団虐殺事件*3に信義則を適用した(大法院2011年6 月30日宣告,2009タ72599判決)。この判決は,国家暴力の時効問題に関して記念碑的判決となった*4
大法院は,この事件において,国防省が死亡経緯や死亡者に関する真相を継続的に隠蔽したために,事件当事者である国家は,信義則に基づけば消滅時効を主張することができないと判断した。また,国家には国民の生命を保護する義務があるということにも言及した*5。真実和解委員会は,国防省が第3 等級の国家機密として分類し,管理してきた処刑者名簿や左翼傾向者名簿などにもとづいて,1950年8 月5 日頃から1950年8 月26日頃までに殺害された蔚山地域保導連盟事件の関係者は407人であった事実を確認したが(2007年11月27日),裁判所はその日までは消滅時効は開始しないという法理を展開した。真実和解委員会によって真実が究明された聞慶*6と丹陽の保導連盟事件においても,同じ趣旨の判決が続いている。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/12-2/LEEJaeseung.pdf

*1:18) 中央情報部は,1973年,ソウル大学校法科大学のチェ・ジョンギル教授が,ドイツ留学中にスパイ活動をした嫌疑をかけて,拷問捜査を強行し,その最中にチェ・ジョンギルが死亡した。しかし,事件関係者は,チェ教授が恥を忍んで自殺したと虚偽の発表を行い,真相を徹底して隠蔽した。疑問死真相調査委員会は,この事件の真実を究明し,遺族はこれに基づいて国家を相手どって訴訟を行い,勝訴した。大統領所属疑問死真相究明委員会「疑問死真相究明委員会第1 次報告書(2000年10月∼2002年10月)」第2 巻(2003年)40∼85頁参照。この事件の判決は,ソウル高等法院2006年2 月14日民事5部判決である。

*2:19) 金オップンは,香港在住の韓国人女性であったが,彼女の夫によって殺害された。しかし,彼は金オップンの死体を隠滅し,彼女が北朝鮮スパイであるという虚偽の申告を行った。国家安全企画部は,真相を知っていながらも,この事件を政治的に活用するために,彼女をスパイとして発表した。それ以降,彼女の兄弟姉妹たちの人生は完全に破壊された。裁判所は,この事件に対する時効の適用を排除して,巨額の賠償を決定した。ソウル地方裁判所第41民事部(2002カ合32476)。

*3:20) 国民保導連盟とは,1949年に左翼運動から転向した人々によって組織された反共団体である。1948年12月に施行された「国家保安法」によって左翼思想に染まっていた人々を転向させ,保護し,そして導くという趣旨で結成され,日帝占領期の「時局対応戦線思想保国連盟」の体制を模倣したものである。1949年末,加入者数は30万人を数え,ソウルだけで約2万人ほどの加入者がいた。主として左翼思想の持ち主であった人々から構成されていたが,そのような思想ではなかった人も多くいた。朝鮮戦争が勃発するやいなや,軍隊と警察が無差別的に検束し虐殺したためである。2009年,真実和解委員会は,4934名の保導連盟員が軍隊と警察により虐殺されたことを公式的に認めた。

*4:21) 消滅時効に関する根本的批判は,チョ・ヨンファン「歴史の犠牲者と法――重大な人権侵害に対する消滅時効の適用問題」『法学評論』第1巻(2010年) 8∼109頁。

*5:22) この点だけを単独で強調すれば,信義則とは無関係に消滅時効排除論を確立することができるであろう。

*6:23) 大法院2011年9 月8 日宣告,2009タ66969判決。