「強制連行」という言葉は1958年に国会で使われています

戦争中に日本軍が中国人を強制的に日本国内に連行し強制労働を強いた事件は、中国人強制連行として知られ、あまりに過酷な労働環境に耐えかねて暴動を起こしたものの数百人の中国人が虐殺される結果に終わった花岡事件がよく知られています。
劉連仁氏はその犠牲者の一人であり、1944年に山東省から北海道の明治鉱業昭和鉱業所へ強制連行され炭鉱作業を強制されたものの、1945年に脱出し戦後の1958年になってから山中で発見保護されています。この事件に関連して国会で、田中稔男議員(社会党)が岸信介首相(自民党)に追及しています。

衆議院外務委員会、1958年4月9日

○田中(稔)委員 まず劉君の身分の問題でありますが、劉君は、御承知のように昭和十七年岸総理が当時商工大臣をしておった東条内閣の閣議決定に基いて、強制的に本人の意思に反して日本に連れてこられた華人労務者の一人であります。この劉君の身分でありますが、強制連行ということははっきりしておるのでありまして、本人の自由な意思に基いて入国したものでないという点は明らかであります。この点につきまして政府のお考えをお聞きしたと思います。

○岸国務大臣 政府として当時の事情を明らかにするような資料がございませんし、それを確かめる方法が実は現在としてはないのであります。あの閣議決定の趣旨は、そういう本人の意思に反してこれを強制連行するという趣旨でないことは、あの閣議のなんでも明らかでありますが、しかし事実問題として、強制して連れてきたのか、あるいは本人が承諾して来たのか、これを確かめるすべがございませんので、政府として責任を持ってどうだということを今の時代になって明らかにすることはとうていできないと思います。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130523/1369260107

田中議員も岸首相も「強制連行」という言葉を使っています。
池田信夫氏は「強制連行という言葉は、朴慶植朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた造語」*1などといつも通りデマをばら撒いていますが、朝日新聞まで以下のように書いてしまうのは少し残念ですね。

強制連行 自由を奪われた強制性あった

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注(2)。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注(3)=、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。
 注(2) 外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)
 注(3) 朴慶植朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)

http://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html

朝日記事では 朴慶植「「朝鮮人強制連行の記録」ではじめて使われたとまでは言っておらず、マヌケな池田氏と比較すれば遥かにマシで誠実ですが、そう読める文脈になっていますので、一応指摘しておきます。