吉田証言に関する朝日新聞の罪を強いて言えば、右翼メディアらによる吉田氏に対するリンチに加わらなかったことくらいでしょうね。

「間違い32年認めず」?どう見ても32年は“盛り過ぎ”

朝日、「間違い32年認めず罪大きい」橋下市長」とか言う主張が出ていますが、1983年時点では吉田証言が間違いだと断言できる状況ではありませんでした。吉田証言に対する疑義が出てくるのは漸く1992年になってからで、その時点でも真偽不明の疑義であって明確に否定できるほどの根拠はありません*1。1992年以降は、名乗り出た元慰安婦らの証言から研究が急速に進んで吉田証言の価値は相対的に低下し、1995年に出た吉見氏「従軍慰安婦」では取り上げられてもいません。
歴史研究分野での吉田証言の価値が下がるのと反比例して右翼論壇では吉田証言が格好の攻撃材料としての価値を高めていきます。安倍晋三議員が国会で特定の個人を「詐欺師」呼ばわりするという侮辱行為を行ったのもこの時期です*2
こうした状況もあり、1997年に朝日新聞慰安婦問題の特集を行った機会に朝日新聞は吉田氏への確認を行いましたが、確証が得られず「真偽は確認できない」と表記しています。
過去に紹介した証言について、疑義が生じ、事実との確認が取れないために「真偽は確認できない」と記載した、一般的にそれで訂正されたことになります。
1997年に吉田証言について「真偽は確認できない」と報じている以上、それ以降も吉田証言を正しいものとして扱ったとみなすのは論理的に間違っています。
1982年から1992年まではそもそも配慮すべき疑惑すらない状態であり、その間に取り上げたことを“意図的に間違いを放置した”かのように表現するのは、後知恵を基準に評価してるに過ぎず、責任を問うに値しません。
後知恵を基準に評価していいのなら、ハンセン病患者隔離という人権侵害の国家責任が「癩予防に関する件」が制定された1907年まで遡って認める必要があるでしょうし*3肖像画の取り違いや史実の誤りなどで多くの歴史研究者が罵倒を受けることになるでしょう。何よりSTAP細胞をもてはやしたメディアは全員、デマの片棒を担いだとしか評しようがありません*4
通常は、当時知り得た情報をベースにし疑うべき合理的な理由がなければ、それを取り上げたことは非難されるべきことではありません。
疑義が出てきてから、真偽不明と明記するまでは、1992年から1997年のせいぜい5年間程度、この期間においては他社も同様に扱っており、朝日だけが吉田証言を前面に押し出していたとも言えません。そもそもこの時期、既に元慰安婦らの様々な証言が出てきており、吉田証言の価値は相対的に低下しています。
そして、朝日新聞が吉田証言を取り上げたのはほとんど1992年以前であって、それ以降1997年の「真偽は確認できない」とした記事まで取り上げていません。

・「吉田清治慰安婦」でヒットする記事は「聞蔵IIビジュアル」で検索可能な全期間で10件。大部分は92年までのもの。それ以降のものは97年3月31日の「従軍慰安婦、消せない事実 政府や軍の深い関与明白」と題する記事に「慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった」としてとりあげられているケースと、2007年3月5日の記事で当時の安倍首相の国会答弁要旨の中で言及されているケース。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20111221/p1

つまり、朝日新聞は吉田証言に疑義が出てきた時点で取り上げることをやめており、“間違いと知りつつ流布した”という認識は誤りとしか言いようがありません。

イラク大量破壊兵器を持っているかどうか疑義があるにもかかわらず「イラク大量破壊兵器を隠していることは確かである」*5(平成14年9月26日付)と断言して、イラク戦争を支持した産経新聞とは、疑義のある情報の取り扱いという意味で異なります。

1997年以降に関しては「真偽は確認できない」と報じている以上、1997年以降のことに関して朝日新聞に何らかの責任が生じるとみなすことはできません。

報道機関の責任

報道機関が報道する場合、報道機関自身が取材して確認したこと以外は通常「○○によると」と言った伝聞として表記します。前者の場合は、報道機関自身に真偽確認の責任が問われるでしょうが、後者の場合は、内容が明らかにおかしいものでない限り、報道機関の責任よりも発信者の責任が問われるのが普通です。
例えば、警察が、取調で被疑者が自白した、などと発表すれば、報道機関は警察発表としてそう報じますが、その自白が事実かどうかまで報道機関が責任を負うことはありません。後に冤罪が自白強要が明らかになった場合、責任を問われるのは報道機関ではなく警察です。

吉田証言の報道に関しては吉田氏の著作というソースがあり、それに基いて報道する限り、基本的に報道機関側の責任とは言えません。報道機関側に責任が生じるとすれば、その時点で既にソースの真偽を疑うべき合理的な理由が広範に認識されている場合だけです。
例えば「嫌韓流」のように出版当時から内容の誤りが指摘されているようなソースを、真偽の留保もなく好意的に紹介すれば、その報道機関の責任が問われるべきでしょう。

1992年までの10年間は具体的な疑義がなく、1993年から1997年の5年間はほとんど報じず、1997年に真偽不明と報じ、以降一切取り上げていない

吉田証言について言えば、1983年から1992年6月までその内容の真偽を疑うべき合理的な理由が知られていませんでした。具体的な疑義が示されたのが1992年6月の秦郁彦氏の記事でした。前年の1991年には名乗り出た元慰安婦らによる提訴があり、慰安婦問題に関する記述が増え、その中で吉田証言について何度か触れられましたが、中心的な話題は裁判でした。
また、1992年6月に秦記事が出たとは言え、その中で秦氏が吉田証言を虚偽と断定したわけでもなく、まして強制がなかったとも主張したわけでもありませんでしたので、さほど注目もされず、1992年8月には、毎日新聞や読売新聞も吉田証言に言及することになります。
1993年2月には、韓国挺身隊問題対策協議会も以下のように述べて、吉田証言を鵜呑みにしてはいません。

 軍慰安婦がどのような方法によって動員されたのかの問題は、現在軍慰安婦問題において韓日間の非常に重要な争点となっている。これまで発見された軍文書の中に、慰安婦の動員方式を具体的に説明しているものは一件もない。但し、1942年から敗戦まで、陸軍大本部からトラックと軍人等の提供を受け、済洲道に来て朝鮮人女性を強制連行していった吉田清治の証言(3)がある。しかし、それも最近日本内でその信憑性に問題提起している人々がいる。
 当時の国際慣例に従い、「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると把握するならば(4)、本調査の19名のケースは殆ど大部分が強制連行の範疇に入る。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140426/1398480114

その上で、「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行である」と明記して、慰安婦問題を訴えているわけです。

その韓国側団体ですら、吉田証言の採用を留保していた1993年9月になってから、産経新聞も吉田証言に言及しています。

 同年9月1日の紙面で、「加害 終わらぬ謝罪行脚」の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。

http://www.asahi.com/articles/ASG7L7GGWG7LUTIL05Y.html

秦記事が公表され(1992年6月)、韓国側団体ですら吉田証言を鵜呑みにしていない(1993年2月)なかで、産経新聞は「信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」との留保だけで「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じています。
1993年9月時点で、吉田証言は虚偽だと誰しも認識できるほど知られていたのであれば、産経新聞がこのように報じることはありえません。つまり、1993年頃までに吉田証言に言及し紹介することが、報道機関として責任を問われるほど、ソースの真偽を疑うべき合理的な理由が広範に認識されているわけではなかったのです。

朝日新聞は、1991年、1992年の2年間に「慰安婦」というキーワードを含む記事を874件掲載していますが、そのうち「吉田清治」に言及しているのは、たったの6件です*6。1993年以降は、1997年3月31日まで吉田証言に言及して記事が見当たりません*7
教科書問題*8に関連して朝日新聞慰安婦問題についてまとまった記事を書いた1997年3月31日の記事で、吉田証言の「真偽は確認できない」と記載して証言としての価値を否定しています。

(コメント欄「一読者さん 2014/08/09 00:47」)
 四月から中学校で使われる歴史の教科書に、旧日本軍の従軍慰安婦についての記述が登場する。それをきっかけに、従軍慰安婦問題が注目されている。
 従軍慰安婦とは、その名の通り、戦争中に軍隊とともにあって、兵士たちの性欲のはけ口にさせられた女性たちのことだ。慰安婦の出身地は日本や朝鮮半島だけでなく、現在の中国や台湾、フィリピン、インドネシア、オランダなどにも及び、その実態は地域や時期によってさまざまだ。その徴集(募集)から移送、管理まで政府や日本軍が深く関与したことに否定の余地はない。
 問題の本質を突きつめていけば、日本軍の体質はもちろん、植民地政策、そしてあの戦争の意味まで問い直される。戦場で繰り返される女性への重大な人権侵害は、現代に通じる問題でもある。
 重要なのは、何より歴史的な事実だ。まず日本軍の慰安婦をめぐる事実関係を整理する。(従軍慰安婦問題取材班)

●経緯 新学期から教科書に 戦後、長く問題置き去り
 従軍慰安婦の存在については、戦後、雑誌に公表された手記などで触れられていたが、そのほとんどは兵士らの体験談や伝聞の域を出なかった。元慰安婦や軍関係者の証言を発掘した千田夏光氏の「従軍慰安婦」(一九七三年)などが話題を呼んだことはあったものの、日本の社会は長く、この問題に正面から向き合うことはなかった。
 マスメディアで繰り返し取り上げられるようになったのは、韓国人の元慰安婦らが九一年末、日本政府に補償を求める訴えを東京地裁に起こした前後からだ。とくに、原告の金学順(キム・ハクスン)さんがテレビや新聞に実名で登場し、その体験が大きな反響を呼んだ。
 戦時中に山口県労務報国会下関支部にいた吉田清治氏は八三年に、「軍の命令により朝鮮・済州島慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した」とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。
 済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる。
 政府の見解も吉田氏の証言をよりどころとしたものではない。九二年一月、加藤官房長官(当時)は政府として初めて「軍の関与」を認めた。これは直前に防衛庁防衛研究所図書館で日本軍が慰安所の設置などを監督、統制していたことを示す通達や陣中日誌が発見されたのを受けたものだった。河野官房長官(当時)の九三年八月の談話も、政府資料や韓国人元慰安婦の証言などを総合的に判断した結果だった。
 九七年四月から中学校で使われる歴史教科書七冊すべてに慰安婦の記述が登場することになった。検定結果が発表された直後の九六年夏ごろから、一部の日刊紙や月刊誌でこれらの教科書に「反日的」などという批判が加えられ始めた。政府見解も「謝罪外交」と批判された。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140806/1407255006

報道機関としての責任が問われるような報道はしていない

朝日新聞は1983年11月10日に吉田証言を紹介していますが、この時点では吉田証言を疑うべき合理的な根拠がありません。少なくとも秦記事が出る1992年6月までについては、紹介したことによる責任が問われるべきではないでしょう。
“結果的に間違っていた”から責任を負え、という人は、袴田さんを殺人犯とした警察発表を批判なしに報道したことのある全てのメディアの責任を同じように問うべきでしょう。もちろん支援活動が始まった1979年時点から態度を変えたメディアに対しても同じ責任を問うべきです。支援が始まった時点で既に逮捕(1966年)から13年経ってます。ちなみに朝日新聞袴田事件を冤罪として報道したのは1984年です。他のメディアも似たようなものでしょう。
吉田証言が疑わしいとの主張が出てきた1992年の時点でも虚偽と断定されたわけでもなく、吉田証言を取り上げるメディアは朝日の他に毎日、読売、産経とありました。この時点で取り上げたことが責められるなら、朝日だけを追及している現状はかなりおかしいということになります。
その後、1997年に朝日新聞が吉田記事に言及した時は、吉田証言を証言としての価値を否定する内容であり、これが責任を問われる記述とはなりません。記事の訂正としてはこれで十分であり、これ以上の対応が求められるのは異常です。
今回の慰安婦記事で特に謝罪や改めての訂正が必要な話でもありません。1997年に訂正しているのに2014年に同じ訂正を繰り返す必要などありませんし、1997年に訂正されている以上謝罪が必要なことでもありません。もし謝罪が必要だというなら、毎日、読売、産経など軒並み謝罪すべきですし、他の多くの記事で同じように謝罪が必要になります。

結局、今現在、吉田証言の取扱について朝日新聞を叩いている産経や自民党などは、吉田清治氏に対する右翼政治家・メディアらの罵倒・侮辱といったリンチ行為に朝日新聞も加わらなかったことが気に入らないから、朝日を叩いているのでしょう。

*1:1992年6月に秦郁彦氏の主張が出ていますが、ここでも明確に否定してはいません。「元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認した。」と「らしい」と留保していますし、「済州島での事件が無根だとしても、吉田式の慰安婦狩がなかった証明にはならないが」とも述べています。秦氏のこの論説だけで、当時、“強制連行”はなかった、と断定するのは偏った先入観を持っていない限りありえません。

*2:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140313/1394720851

*3:1998年の熊本地裁判決は1960年以降の隔離に対して責任ありと判断。

*4:STAP細胞の存否に関しては私は判断できませんので評価を留保しますが、世間的にほぼデマとして扱われていることを踏まえて比較事例として示します。

*5:http://longlive.hatenablog.com/entry/2012/06/19/234409

*6:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130721/p2

*7:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20111221/p1

*8:安倍晋三議員が、教科書に介入して「慰安婦」の記述を削除させようと画策した事件。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140313/1394720851 参照