1992年以降に吉田証言に言及しているのは否認論者ばかりなんですけどね

1983年以降の国会議事録を確認してみました。
「吉田 慰安婦」で検索して、吉田清治証言に言及してる発言をピックアップすると以下のようになります。

1992年以前

1985年2月14日第102国会 衆議院予算委員会佐藤観樹議員・社会党
1992年2月19日第123国会 衆議院予算委員会(伊東秀子議員・社会党
1992年3月21日第123国会 衆議院予算委員会清水澄子議員・社会党

吉田証言に言及しているのはこの3回のみで1992年の2回については、当時日本国政府相手に提訴した元慰安婦らの証言の方がより多く言及されています。
そもそも吉田証言は1983年から出ていたにもかかわらず、慰安婦問題が日韓間の問題となったのは1990年になってからですから吉田証言の影響力より、1991年の元慰安婦らの名乗り出と提訴による影響力の方が圧倒的に大きいと考えるのが妥当です。
この後、1992年6月には吉田証言に対する疑義が出始め、国会での吉田証言を取り上げる人種が変わります。1992年までは人権を重視する議員が取り上げてきたのに対し、1992年以降は人権を軽視する議員が頻繁に取り上げるようになります。

1992年以後1997年(朝日新聞の訂正記事掲載)まで

1997年3月18日第140国会 参議院予算委員会(板垣正議員・自民党

この時期は、吉田証言に疑義が出ている割には指摘する声がほとんどありません。性暴力被害者を売春婦呼ばわりして侮辱した板垣正議員が言及した1997年3月18日の内容も「吉田清治と称する全く無責任な男」という言及のみで、内容を虚偽だと決め付ける明言はしていません。

そして1997年3月31日に朝日新聞慰安婦問題の特集記事の中で、吉田証言を「真偽は確認できない」として訂正記事を出します。この記事を読んでも“朝日は吉田証言を正しいものと主張した”と解釈するなら日本語読解力が絶望的と言えるでしょうね。

従軍慰安婦、消せない事実 政府や軍の深い関与明白」(朝日朝刊、1997年3月31日、17頁)
 戦時中に山口県労務報国会下関支部にいた吉田清治氏は八三年に、「軍の命令により朝鮮・済州島慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した」とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。
 済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる。
 政府の見解も吉田氏の証言をよりどころとしたものではない。九二年一月、加藤官房長官(当時)は政府として初めて「軍の関与」を認めた。これは直前に防衛庁防衛研究所図書館で日本軍が慰安所の設置などを監督、統制していたことを示す通達や陣中日誌が発見されたのを受けたものだった。河野官房長官(当時)の九三年八月の談話も、政府資料や韓国人元慰安婦の証言などを総合的に判断した結果だった。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140806/1407358491#c

1997年(朝日新聞の訂正記事掲載)以降

1997年5月27日第140国会 衆議院決算委員会第二分科会(安倍晋三議員・自民党
2005年3月31日第162国会 参議院文教科学委員会(中山成彬大臣・自民党
2005年7月20日第162国会 衆議院文部科学委員会中山成彬大臣・自民党
2006年2月24日第164国会 衆議院外務委員会(松原仁議員・民主党
2006年3月15日第164国会 衆議院外務委員会(松原仁議員・民主党
2006年6月7日第164国会 衆議院外務委員会(松原仁議員・民主党
2006年10月6日第165国会 衆議院予算委員会安倍晋三首相・自民党
2007年2月19日第166国会 衆議院予算委員会稲田朋美議員・自民党
2007年2月21日第166国会 衆議院内閣委員会(松原仁議員・民主党
2007年3月5日第166国会 参議院予算委員会安倍晋三首相・自民党
2007年4月20日第166国会 衆議院教育再生に関する特別委員会(中山成彬議員・自民党
2007年4月25日第166国会 衆議院外務委員会(渡辺周議員・民主党

朝日新聞が吉田証言を信用できないものとして訂正すると、堰を切ったように国会での言及が繰り返されるようになります。その先陣を切ったのが安倍晋三議員です。「吉田清治なる詐欺師に近い人物」と特定の個人に対する名誉毀損・侮辱行為という遵法意識に欠けた発言を行います。その後しばらく言及がなくなりますが、小泉政権末期になると再度言及され始め、第一次安倍政権下で絶好調に達します。これらの言及は全て、慰安婦問題否認論に与する文脈での言及です。
1992年以降に言及された回数は13回、うち自民党によるもの8回、民主党によるもの5回。個人別では、松原仁が4回、中山成彬が3回、安倍晋三が3回、稲田朋美1回、渡辺周1回、板垣正1回。
1992年以前にはわずか3回しか言及されていないのに比べると如何に多くの否認論者が吉田証言を宣伝して回ったかがわかります。

吉田証言に言及するのはほとんどが慰安婦問題否認派

“吉田証言が日本の国益を損ねた”と主張する連中は、吉田証言を宣伝して回っているのが、むしろ否認論者であることに気付くべきですが無理でしょうね。吉田証言が頻繁に言及されている2007年ですが、批判者のロジックは、“アメリカ下院で慰安婦問題に関する日本非難決議が審議されているのは吉田証言のせいだ”というものが多いのに気付きます。実際のアメリカ下院決議文では吉田証言に依拠した部分はなく、言いがかりなのですが、それとは別に、元慰安婦らが米議会で証言したことに対しても批判しています。そのロジックがすごい。

2007年2月19日第166国会 衆議院予算委員会稲田朋美議員・自民党
○稲田委員 (略)このような観点から見て、非常に憂えるべき事態が、米国の下院の決議案という形で提出されております。昨年の九月にもエバンズ議員の提案、そしてそれが国際関係委員会において全会一致で採択されたということがあります。慰安婦に対する決議案です。
(略)
 資料一でその内容について書かれておりますけれども、こういったことについて、まさにこの公聴会、三人の元慰安婦の方が出てきて証言をされて、聞いている人たちが同情したということですけれども、日本からは何の反論もする機会を与えられず、まさに欠席裁判のようなことが行われているわけです。

慰安婦が証言したことに対して欠席裁判だと非難しているわけで、当然これに対して反論するかと思いきや。

 我が自民党でもこの問題については勉強会が開かれていて、中山成彬元文部大臣、また中山泰秀先生などが、日本の前途と歴史教育を考える議員の会で勉強会を開いております。この会は平成九年に、中川昭一先生が代表、そして今の総理が事務局長で発足した会で、そのころは安倍総理も、この従軍慰安婦問題については強制性について全く証拠がないんだということもおっしゃっていましたし、その証言をした吉田清治なる人物、この証言を本にまでして、朝日新聞などで勇気ある証言だと非常にもてはやされた人物ですけれども、この人物が詐欺師のようなうそつきで、全く根拠がないというようなことも総理は当時認めておられたわけです。

なぜか、当時既に誰も証拠として扱わなくなっていた吉田証言に言及して、それを否定して終わっています。
つまり、元慰安婦証言に対して否定できないために、証拠でも何でもなくなっているものを引っ張り出してそれを否定するというやり方をしているわけで、元慰安婦証言に対しては全く何も否定できていないわけです。要するに、“吉田証言は嘘だ”→“慰安婦証言は全て嘘だ”という論理のすり替えを行っているにすぎません。

ちなみに、上に列挙した否認論者の発言ですが、この中にはいくつも虚偽が含まれていますのいくつか挙げておきましょう。

否認論者による国会でのデマ:“従軍慰安婦と言う言葉、吉田清治がつくった”説

2005年3月31日第162国会 参議院文教科学委員会(中山成彬大臣・自民党
慰安婦という言葉はあったのは事実でございますが、従軍慰安婦という言葉は私は、私の知る限りは、あれは一九八三年でしたか、吉田清治という方が、自分は済州島従軍慰安婦狩りをしたというそういう本を出された、それが大きくキャンペーンで取り上げられたわけでございますが、その後その吉田清治さんという方は、あの本はうそだったというふうに言われたということも聞いておるところでございます。

2005年7月20日第162国会 衆議院文部科学委員会中山成彬大臣・自民党
 詳しく申し上げますと、この従軍慰安婦という言葉が最初に出てまいりましたのは、一九八三年に吉田清治さんという方が、私は済州島従軍慰安婦狩りをしました、こういう本が出まして、これをある新聞が大キャンペーンしたわけでございまして、しかし、その後でこの吉田清治さんという方は、あれはうそだったと言って取り消されたんですけれども、既にそのときにはこの言葉はひとり歩きをしていた、こういうことでございます。

従軍慰安婦」という言葉を吉田清治氏が作ったというデマを中山大臣が流布しています。もちろん、「従軍慰安婦」という言葉自体は、吉田氏の発言(1982年)の10年ほど前からあります。

否認論者による国会でのデマ:“強制はなかった”説

2006年6月7日第164国会 衆議院外務委員会(松原仁議員・民主党

 つまり、こういった問題というのは、国家が関与したかどうかという点において、国家がそういったものを強制的に連れていって慰安婦として使ったという事実は日本はなかったわけであって、それをあったかのようにうそを言う吉田何がしは、週刊新潮で、本当のことを言ってもしようがないじゃないですか、こう言っている。

2007年4月25日第166国会 衆議院外務委員会(渡辺周議員・民主党

いわゆる、銃剣で駆り立てて、女性を強制的に家からつつき出して、おまえ、慰安婦になれということはなかった。しかし、実際、戦場において慰安所を設けるに当たっては、当然、軍の管理なり軍の関与なりがあって当たり前だ。

もちろんデマです。日本軍が直接強制連行して売春を強要した事件としては、有名なスマラン慰安所事件があります。この将官クラスが関与した強制売春事件に対し、日本軍・政府は戦争に敗れるまで責任を問うことなく、敗戦後に連合国軍が開いた戦犯裁判において漸く裁かれました。当然ながら日本軍が組織的に関与して民間人女性に売春を強要した事件として公文書に残っています。この事件に関して否認論者は都合が悪いためかほとんど言及しません。

否認論者による国会でのデマ:“安倍首相は、従軍慰安婦問題については強制性について全く証拠がないと断言した”説

まあこれは、デマでないとも言えますが。
2007年2月19日第166国会 衆議院予算委員会稲田朋美議員・自民党

 我が自民党でもこの問題については勉強会が開かれていて、中山成彬元文部大臣、また中山泰秀先生などが、日本の前途と歴史教育を考える議員の会で勉強会を開いております。この会は平成九年に、中川昭一先生が代表、そして今の総理が事務局長で発足した会で、そのころは安倍総理も、この従軍慰安婦問題については強制性について全く証拠がないんだということもおっしゃっていましたし、(略)

実際、安倍首相は“慰安婦には全く強制性がない”、だから日本は何も悪くない、と言った論理展開を使っていますし、そう思わせるような言い方をしていますが、後にそれを志位議員(共産党)から追及されて言い逃れをしています。

(2006年10月6日第165国会 衆議院予算委員会安倍晋三首相・自民党))

安倍内閣総理大臣 この河野談話の骨子としては、慰安所の設置や慰安婦の募集に国の関与があったということと、慰安婦に対し政府がおわびと反省の気持ちを表明、そして三番目に、どのようにおわびと反省の気持ちを表するか今後検討する、こういうことでございます。
 当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
 また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。

○志位委員 今、狭義の強制性については今でも根拠がないということをおっしゃいましたね。あなたが言う狭義の強制性というのは、いわゆる連行における強制の問題を指していると思います。しかし、河野談話では、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、」とあるんですよ。政府が自分の調査によってはっきり認めているんです、あなたの言う狭義の強制性も含めて。これを否定するんですか。本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものじゃありませんか。これを否定するんですか、河野談話のこの一節を。

安倍内閣総理大臣 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。

○志位委員 今になって狭義、広義と言われておりますけれども、この議事録には狭義も広義も一切区別なく、あなたは強制性一般を否定しているんですよ。そして、河野談話の根拠が崩れている、前提が崩れている、だから改めろ、こう言っているわけですよ。
 ですから、これも、河野談話を認めると言うんだったら、あなたのこの行いについて反省が必要だと言っているんです。いかがですか。広義も狭義も書いてないです、そんなこと。あなたが今になって言い出したことです。

志位議員に突っ込まれているように、当初安倍議員(当時)は「狭義も広義も一切区別なく」強制性一般を否定していました。首相になってから追及されて始めて「狭義の強制性」などと言い換え責任回避をはかったわけです。もちろん、姑息な言い逃れに過ぎませんが、ありていに言えば、安倍議員は国会で1997年に虚偽の発言をして、10年後にそれを指摘されると、後付で言い逃れをし、謝罪も訂正もせずに逃げたということです。このような卑怯な逃亡劇は安倍議員の得意技と言えますが、メディアに圧力をかけて黙らせるというもう一つの得意技のおかげで政治生命を永らえています。
ちなみに、スマラン慰安所事件や中国占領地の事例など、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」事例はありますので、「狭義の強制性」だという言い逃れを認めたとしても安倍首相は虚偽を述べたことになり、既に17年にわたって虚偽発言を訂正していません。

安倍首相の屁理屈を認めるなら稲田氏がデマを述べたことになりますし、そうでないのなら安倍首相がデマを述べたことになります。