「徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめている」と考える国際政治学者の思考回路

三浦瑠麗氏というおかしな国際政治学*1が、「徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめていることは確かだ。」などと言ってます。
三浦氏のようなリベラルを偽装したりあるいはリベラルならこう考えるはずだと言った決め付けで、徴兵制に賛同する意見というのはいくつか見られます。徴兵制に賛同するからダメだということは無いんですが*2、三浦氏のような低レベルな主張では賛同する余地はありません。

「徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめている」?

要するに徴兵制になれば政治判断による被害を自分たちが被るのだから慎重になるであろうという論法です。
しかし、そもそも軍隊組織というのは民主的ではありませんので、この論法は成り立ちません。
百歩譲って、軍隊の指揮官を兵士たちによる選挙で決めるという20世紀初頭の共産主義軍隊なら、その論法が成り立つ余地もあるでしょうが、そんな軍隊は共産国家内でも早々と消滅してしまっていますから、それを復活させようというなら正気の沙汰ではありません。

1981年に初版が出ている大江志乃夫氏の「徴兵制」で、こういった議論は出尽くしていて、今さらながらに持ち出されている三浦氏のような主張に対しては、以下の記述で否定されています。

徴兵制 (岩波新書 黄版 143)
(P193-194)
 それでは、徴兵軍隊はどうか、コーリーはスペインにおける人民戦線政府と軍隊との関係を分析し、「このスペインの経験に照らしてみれば、万人に兵役をみとめるからといって、徴兵制度というものが必ずしもそれ自体として、民主的軍隊の基盤としてふさわしいものとはいえない事情が理解されるであろう。わずか二年しか兵役に服さないスペインの兵隊にしてかくのごとくである」とのべている。そして、「このようなわけで徴兵制軍隊は、進歩的民主主義の立場からみれば、反革命にたいしてすら十分な保障とはならないのである」と結論づけている。コーリーによれば、職業軍隊にせよ徴兵軍隊にせよ、軍隊の政治的態度を決定するのは将校団であり、「われわれは実際、現代の徴兵制軍隊の兵隊たちが、将校に反抗することを期待するための歴史上の前例をもっていないのである。」
 徴兵制軍隊が国民の生命と権利を守るための十分な保障でありえないだけでなく、民主主義態勢への最大の暴力的敵対者となる強い可能性をも持っていることは、韓国における一九八〇年五月の光州事件とそれにつづく一連の政治過程、金大中に対する軍事裁判、全斗煥軍事独裁政権の確立の過程における、徴兵軍隊の政治的機能に見出すことができる。

ここで韓国の事例が挙げられていますが、徴兵制軍隊である韓国軍は国民弾圧に加担し「徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめて」などいないことが歴史的に証明されています。最近の事例では、同じく徴兵制のタイで軍によるクーデターが発生(2014年5月)し軍事政権となっている事実もありますね。

タイ軍政 批判者を次々に軍事裁判所送り

「徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめて」いるというより、徴兵軍隊が非民主的暴力的手段で、民主的政権に武力弾圧というタガをはめている状態です。

こんなことも知らない国際政治学者なんて何の役に立つのでしょうか。
ああ、政府批判にタガをはめることには役立つかもしれませんね。

*1:ある意味、暗黒太陽並みの出来。

*2:国家に対する抵抗権を担保する上で市民に軍事訓練を施すという意図での徴兵制ならわからなくはないんですけどね。