ベトナム戦争に対する韓国政府の対応

韓国軍のベトナム戦争への関与ですが、1964年8月の医療班130人とテコンドーの教官10人の派遣から始まり、1965年2月に2000人規模の工兵隊、1965年10月に本格的な戦闘部隊18500人と派兵規模が拡大していきました。
1966年には派兵規模は45000人、1967年〜1972年には50000人に達し、8年5ヶ月間の派兵累計は325,517人に及びます。韓国軍が受けた損害は戦死5000人、負傷10000人、枯葉剤被害者20000人など*1

ベトナム戦争終結した後、韓国とベトナムが外交関係を樹立するのは1992年になってからです。
1993年にベトナムを訪れたハンギョレの通信員であった具秀姃(ク・スジョン,Ku Su Jeong)が、1997年から本格的に韓国軍による残虐行為を調査・取材し、1999年にハンギョレ21に記事を掲載しています。この記事に賛同する人たちからハンギョレ新聞社に10万ドルが寄付され、2003年1月にはベトナム国フーイエン省に韓越平和公園が建設されています。

1998年

この間、1998年の時点で韓国大統領金大中は、ベトナム訪問の際にベトナム戦争に関し「「本意とは異なり、ベトナムの国民に苦痛を与えた点について申し訳なく思っている」と初めて公式に謝罪した」*2とされています。実際には“遺憾”程度の表現だったようで(Seoul expressed "regret" over wartime actions *3)、「謝罪した」と言えるかどうかは微妙です。
しかし、1996年にベトナムを訪問した金泳三大統領がベトナム戦争について何も言及しなかったことを考慮すれば、1998年の金大中は踏み込んだ発言をしたと言えるでしょうし、ホーチミン廟を訪問したのも象徴的な意味があったと言えます。

2001年8月23日

ハンギョレ21の記事が掲載された後の2001年、金大中訪韓したベトナム国家主席チャン・ドゥック・ルオンに対して“わたしたちは不幸な戦争(ベトナム戦争)に参加し、本意とは違ってベトナム国民に苦痛を与えたことに対して、申し訳なく考え、お詫びの言葉を申し上げます.” と謝罪しています*4。この謝罪は、ベトナム戦真実委員会などから高評価を受けていますが、一度の謝罪で済むことではない、徹底的な真相糾明が必要だという声もありました。一方で、現大統領である朴槿恵議員(当時)や参戦した元軍人らの団体からは、激しく非難されています。

2004年

2004年には盧武鉉大統領がベトナム訪問の際に謝罪し、ホーチミン廟に献花し、ホーチミンの棺の前で黙祷しています。
しかし、これ以降、韓国政府の態度は消極的になっていきます。

2009年10月21日

2009年にベトナムを訪問した李明博大統領は明確な謝罪を述べることなく、ホーチミン廟への献花のみでした。

2013年9月9日

金大中大統領による謝罪を非難した朴槿恵は大統領となり2013年にベトナムを訪問しましたが、ホーチミン廟への献花とホーチミンの棺への黙礼のみでベトナム戦争に言及することはありませんでした。

概ねの傾向として、日本の論者に当初から反日だと非難されている金大中盧武鉉ベトナム戦争に対する謝罪に積極的であり、当初は親日的とみなされていた李明博朴槿恵は消極的だと言えるでしょう。人道を重んじれば“反日”扱いされ、人道を軽んじれば“親日”扱いされる、日本の論者の韓国観の歪みが現われているようでもあります。
それはそれとして、消極的とは言っても韓国大統領によるホーチミン廟への献花というのは継続的に行われていること自体は、それなりに評価すべき所ではあるでしょう。

少なくとも、一度“謝罪”すれば“謝罪は済んだ”と言って記憶から抹消しようとする日本よりはマシに思えますね。

*1:「韓国軍のベトナム派兵をめぐる記憶の比較研究―ベトナムの非公定記憶を記憶する韓国 NGO―」伊藤正子、東南アジア研究 48 巻 3 号 2010 年 12 月

*2:http://japanese.joins.com/article/819/121819.html

*3:http://patrick.guenin2.free.fr/cantho/vnnews/korea.htm

*4:http://www.altasia.org/hangyore/hangyore01374_2.htm