死刑廃止論者なのでちょっと書いておく

この件ね。

モトケン‏@motoken_tw
なんの落ち度もない善良な市民を100人虐殺した人でも死刑にしてはいけない、と言えない人は死刑廃止論者ではない。
17:02 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783094879916216320

モトケン‏@motoken_tw
さらに言えば、何回有罪判決を受けても機会があれば殺人を繰り返す人間であっても死刑にしてはいけないと言えなければ死刑廃止論者ではない。
17:08 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783096537081536512

いずれの場合も死刑にすべきではないと考えてますよ、もちろん。

ところで死刑容認論者が特に気にすべきことと思いますが、例えば後者(何回有罪判決を受けても機会があれば殺人を繰り返す人間)の場合って心神喪失とか心神耗弱とかの可能性をどう考えるんですかね?

 刑罰法規に触れる行為をした人の中には,精神病や薬物中毒などによる精神障害のために,自分のしていることが善いことか悪いことかを判断したり,その能力に従って行動する能力のない人や,その判断能力又は判断に従って行動する能力がが普通の人よりも著しく劣っている人がいます。
 刑法では,これらの能力の全くない人を心神喪失者といい,刑罰法規に触れる行為をしたことが明らかな場合でも処罰しないことにしています。また,これらの能力が普通の人よりも著しく劣っている人を心神耗弱者といい,その刑を普通の人の場合より軽くしなければならないことにしています。
 これらは,近代刑法の大原則の一つである「責任なければ刑罰なし」(責任主義)という考え方に基づくもので,多くの国で同様に取り扱われています。

http://www.courts.go.jp/saiban/qa_keizi/qa_keizi_21/

だって、「なんの落ち度もない善良な市民を100人虐殺」するとか「何回有罪判決を受けても機会があれば殺人を繰り返す」とか、まさに「自分のしていることが善いことか悪いことかを判断したり,その能力に従って行動する能力のない人や,その判断能力又は判断に従って行動する能力がが普通の人よりも著しく劣っている人」なんじゃないですかね?

死刑の是非以前に刑罰の対象にすらならないように思いますけど、モトケン‏@motoken_tw はその辺、どう考えているんでしょうかね。

死刑の有無の影響

モトケン‏@motoken_tw
死刑廃止論者は、死刑を廃止しても殺人事件(つまり殺人事件で命を奪われる人)は増えない、と考えているか、死刑を廃止して殺される人が増えてもかまわない、と考えているかのどちらかですよね?
17:31 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783102186658025472

そういう視点を気にしたことがありませんけど、どちらかと言えば前者ですね。死刑の有無が殺人事件を有意に抑止してはいないと思いますので。
逆に死刑容認論者は、死刑の存在が殺人事件を抑止していると考えてるわけですよね?
だったら何故、他のすべての犯罪、例えば強姦や窃盗、暴行、監禁などの犯罪に対しても死刑を認めるべきだと主張しないんですかね?死刑を導入しても事件は減らないと考えているか、死刑を導入しないことで、強姦、窃盗、暴行、監禁などの事件は減らなくてもかまわない、と考えているかのどちらかですよね?
あるいは、すべての犯罪に死刑を導入すべきだと考えてるんですかね。

更生の可能性

モトケン‏@motoken_tw
.@potimarimo 私が言っていることは、凶悪無比で残虐で更生の可能性が皆無の常習殺人犯であっても死刑にはしない、と言うのが死刑廃止論だ、ということです。死刑賛成論者は、そういう犯人は死刑にすべきだ、と言っているわけで、「人を殺してやりたいと思って実行に移す人」ではない。
22:22 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783175347546132482

「凶悪無比で残虐で更生の可能性が皆無の常習殺人犯」なるものが仮に存在するなら、上述した通り心神喪失心神耗弱であろうと思いますけど、そもそも更生の可能性が皆無って判断できるものなんですかね。もちろん裁判所がしばしばそういう判断を下していることは知ってますが、更生の可能性が“少ない”ではなく“皆無”って言いきれるものではないと思うんですけどね。

どうにも、死刑になる犯人は、生まれつき殺人行為に快楽を覚える普通の人間とは異質の存在であるかのような考え方には賛同できないんですよね。
普通の人間が様々な環境や本人や周囲の性格・関係性、さらには偶然の出来事などが複雑に絡み合った結果として犯罪行為に至る、というのが私の犯罪理解なので、「凶悪無比で残虐で更生の可能性が皆無の常習殺人犯」なるもの自体、空想の産物にしか思えません。

いや、元検事に言わせれば、“生まれついての犯罪者なるものは空想でなく実在する”ということなのかも知れませんけど、もしそのような“生まれついての犯罪者”が存在するのなら、最善の手段は生まれた直後に死刑にするか、強制的に堕胎にするべきということになりますかね。

価値観の表明?

モトケン‏@motoken_tw
死刑制度というのは、他人の命を奪えば自分の命も奪われる、つまり他人の命は自分の命と同じく大事だ、という価値観の表明と見ることもできる。
16:50 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783091968196870144

傷害事件の犯人には、傷害を負わせるべきということでしょうかね。賛同できませんけど。

制度論であり政策論であり法律改正論

モトケン‏@motoken_tw
死刑存廃論は、制度論であり政策論であり法律改正論なので、死刑を廃止するためには、国民の多数が死刑廃止を望み、国会議員の多数が死刑廃止を支持しないと実現しない。
19:55 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783138405362171904

うーん、法律改正という点では国会議員の多数の支持が必要なのは確かですけど、国民の多数が死刑廃止を望むかどうかは制度論・政策論・法律改正論的にはあまり関係ないと思いますよ。
あと、死刑存廃に必ずしも法律改正は必要ありませんね。裁判所が死刑判決を出さなくなれば、法律上は死刑の規定が残っていても事実上、死刑は廃止されている状態になりますから。
ですから、国民の多数が死刑存続を望み、国会議員の多数が死刑存続を支持したとしても、司法がいかなる場合も死刑を適用すべきではないという判断を堅持すれば、死刑廃止は事実上ではあっても実現はしますよ。

もっと極端な例を言うなら、法務大臣が死刑執行に同意しないという状態を続けることでも事実上の実現はします(まあ、死刑囚の待遇問題が残りますが)。