多分の既知の史料である「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」(1938年2月7日)のこと。

この件。

「婦女子を誘拐して慰安婦として動員せよ」 文書発見

7/10(月) 9:22配信 中央日報日本語版
1930年代、日本軍が女性を誘拐して慰安婦として送り込んでいたという内容が記されている日本政府の内部公式文書をkbc光州(クァンジュ)放送が入手したと9日、明らかにした。
この日、kbcによると、1937年、和歌山県知事で警察部長が内務省に送った文書第33号の写本では「誘拐」という単語が2回登場する。
この文書には、「日本人青年3人が日本軍の指示を受けてタネバリ地域(田辺地域とみられる)から婦女子を誘拐して慰安婦として送った」という内容が書かれている。ここで登場するタネバリ地域は強制徴用によって多くの朝鮮人女性が暮らしていた場所だ。また、世の中の事情に疎い女性を誘拐して慰安婦として連れていったという陳述が含まれている。
女性を誘拐して慰安婦に送り込んでいた事実が日本公式文書を通じて確認されたのは初めてだとkbcは伝えた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170710-00000013-cnippou-kr

これは、おそらく新史料ではなく、既知の史料で和歌山県知事から内務省警保局長宛に出された「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」(1938年2月7日)と思われます。文書の番号は第33号ではなく第303号。「田辺」を「タネバリ」としているのは、日本語の原資料を翻訳する際の誤記でしょう。「誘拐」と言う文言も出てきます。中央日報記事では「1937年」とあり、実際に「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」文書にも「昭和十二年二月七日」と書かれていますが、これは公文書自体の誤記で、実際には昭和13年(1938年)2月7日です。

http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf
PDFでP63〜82/581、文書に振られた番号ではP27〜46の文書に相当します。

内容はこんな感じ。

5.時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件[同右]

1938.2.7
和歌山県知事
内務省警保局長
軍部の命令で「上海皇軍慰安所」に送る酌婦募集にきたと述べる二人の大阪の貸席業者が婦女子誘拐の疑いで取調を受けた件の報告。照会して得られた長崎県外事警察課長の回答(1938年昭和13年1月20日)を付す。そこには、1937年昭和12年12月21日在上海総領事館警察署長より長崎水上警察所長あてに来た軍慰安所設置への協力依頼が付されている。この依頼状には領事館、憲兵隊、武官室の任務分担が説明され、女性に書かせる承諾書の文案も添えられていた。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130731/1375286771

中国に派兵された日本軍用の慰安婦を調達するよう、日本軍当局から依頼された業者が日本国内で誘拐紛いのことを行って警察に取り調べられたという内容で、日本軍当局の依頼だと主張した業者に対して警察は当初、日本軍が慰安婦調達の依頼なぞするはずがない、と考えていたものの紹介してみたら、実際に日本軍当局の依頼であったことがわかった、と言う話です。その後、日本軍が慰安婦調達を依頼しているなどということが、国内に広く知れ渡ると体裁が悪いということで、日本軍の依頼であることを殊更吹聴しないようにというよく知られた「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日)という通牒を出すにいたるわけです。

この和歌山県知事の文書を含めた一連の詳細については、永井和教授が「日本軍の慰安所政策について」としてまとめて公開されています。
まあ、中央日報記事やkbc光州放送は、文書そのものの理解としてはさほど間違ってるとはいえませんが、「日本公式文書を通じて確認されたのは初めてだ」というのは少なくとも日本では既知の史料であることを考えると間違いですね。

日本では既知の文書が韓国で再発見されるのは以前にもありました。
塩田兵団が慰安婦連行を要請した文書は割と知られている文書
歴史修正主義者を排した上で日韓共同で慰安婦問題を研究できる場があればいいんですけどね。