朝日新聞の社説は確かにひどい。

12月19日の朝日新聞の社説は従軍慰安婦に関するものでした。
法華狼さんのブログコメント欄*1で、坂本真一さんが批判しているように確かにひどい内容ですが、私がひどいと思う理由は坂本さんとは少し異なります。

坂本さんの批判対象はこの部分かと思います。

日本と韓国―人道的打開策を探ろう
(略)
 ただここで、韓国の人たちに知ってほしい点もある。
 国交正常化で日本が払った資金を、当時の朴正熙(パク・チョンヒ)政権は個人への償いではなく経済復興に注いだ。それが「漢江の奇跡」といわれる高成長をもたらした。
 また、元慰安婦への配慮がなかったとの思いから、日本は政府資金も入れて民間主導のアジア女性基金が償い事業をした。
 この事業は日本政府の明確な賠償でないとして、韓国で受け入れられなかったのは残念だったが、当時の橋本首相ら歴代首相のおわびの手紙も用意した。韓国は韓国で独自の支援をしたけれど、日本が何もしてこなかったわけではないのだ。

http://www.asahi.com/paper/editorial20111219.html

これに対する坂本さんの批判は以下のような内容で、これ自体には全く共感します。

ここであきれたことに国民基金を持ち出して正当化しています。国民基金が被害者当人や支持団体から大反対を受けたことにはまるで触れていないし、歴史修正主義国会議員や分断の少なからぬ有力者(まあこれには疑問符がつくでしょうが)が堂々と主張してはばからないことに関しても全く無視しています。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111219/1324314277#c

しかし、朝日新聞社説の一番の問題は、そこではありません。私が問題だと感じているのは社説の次の部分です。

 野田首相は李大統領との会談で「人道主義的な見地から知恵を絞っていこう」と語った。
 問題を打開する糸口は、ここにあるのではないか。65年の協定で解決したかしていないかではなく、人道的に着地点を見いだしていく。
 それは行政ではなく、政治の仕事だ。日韓の政治がともに探る。そういう時期にきている。

http://www.asahi.com/paper/editorial20111219.html

日本政府としての謝罪決議や談話、あるいは賠償のための特別立法などは確かに政治の仕事です。
しかし、1990年代の河野談話アジア女性基金でなぜ解決できなかったのか。それは日本社会そのものが、元慰安婦という被害者に寄り添うことを拒絶し、形ばかりの謝罪と現金だけで被害者を視界から排除しようとしたためです。
さながら、強姦魔の父親が、被害女性に尊大な態度で謝罪し現金を渡して、後は黙ってろ、と威圧したようなものでした。そしてその威圧は今も続いています。

1992年の加藤談話*2、1993年の河野官房長官談話*3、1994年、1995年の村山首相談話*4、1996年の橋本首相のお詫び*5と確かに日本政府は形式的には謝罪しています。
しかし、一方で1996年に「慰安婦は商行為」と居直った奥野発言が出て以降、小林よしのりや産経系文化人などの右翼がこぞって元慰安婦に対するセカンドレイプを始めています。当初は、性的な内容を学校で教えるのはいかがなものか、的な性的なことを隠蔽すればそれでよしとする保守的思考に訴えかける内容が少なくありませんでしたが、一方で従軍慰安婦制度の犯罪性そのものを否定する工作も右翼論壇を中心に進められ、インターネットの普及と共に、世間の良識を打ち破る発言に快感を覚えたネット利用者によって元慰安婦に対するセカンドレイプが一気に展開されました。
とは言え、1990年代後半から2000年代前半は今以上にネット上における良識的な反論が少なく、セカンドレイプは野放しでしたがネットの影響力自体もまた今以上に限定的でした。問題はリアルにおける対抗言論です。学問上での対抗言論は専門とする研究者らによって継続的に続けられていましたが、所詮は専門性の高く、それ故に狭い領域での話にすぎません。
専門的に学ぶ機会を持たない一般大衆に訴えかけるには、何といっても映画やドラマなどで取り上げられる必要があります。しかし、私の知る限り、NHKですらろくに取り上げることなく、従軍慰安婦がどのような実態であったかを一般大衆にイメージできる形で訴えるようなことはありませんでした。
一般大衆にとって、従軍慰安婦とは、詳しくは知らないけど苦労した人、程度の認識しか持ち得なかったでしょう。その程度の薄い認識は、1990年代後半から明らかに後退局面に入った日本経済の中で、そんなことより我が身が大事、とばかりに忘れ去られてしまったわけです。
そして連立政権内で社会党を侵食した自民党は、1990年代後半に政権を奪回し靖国のように愛国教育に利用できない戦争被害者を無視・排除する傾向を強めていきました。
それを容認したのは、日本社会そのものであり、戦争被害から目を反らしてしまった日本のメディアでした。

だからこそ2007年のアメリカ下院における決議121号では以下のように日本政府に求められたのです。

(3) should clearly and publicly refute any claims that the sexual enslavement and trafficking of the `comfort women' for the Japanese Imperial Armed Forces never occurred; and
(3)日本政府は、日本帝国軍のための「従軍慰安婦」の性奴隷化と人身売買がなかった、といういかなる主張に対しても、明確かつ公式に否定すべきである。

(4) should educate current and future generations about this horrible crime while following the recommendations of the international community with respect to the `comfort women'.
(4)日本政府は、「従軍慰安婦」に関する国際社会の勧告に従って、この恐るべき犯罪について、現在と未来の世代に教育すべきである。

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10031011920.html


まず絶対にありえないでしょうが、仮に今、野田政権が万難を排して、元慰安婦に対する謝罪決議と救済のための特別立法を国会に通したとしても、一般大衆が従軍慰安婦の実態について知ろうともしないし、知る機会も与えないという状況が続くなら、慰安婦問題は終わりません。「民主は売国」的という極右発言から「元慰安婦は騒ぎすぎ」的な自称中立発言まで、慰安婦問題を理解しないが故のセカンドレイプが、一般大衆の無知を土台にはびこり続けるだけでしょう。

 それは行政ではなく、政治の仕事だ。

http://www.asahi.com/paper/editorial20111219.html

朝日新聞社説のこの台詞は、慰安婦問題を政治に押し付けるだけの卑怯な逃げ口上に過ぎません。

政治だけの仕事ではないのです。