差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す

産経新聞が排外主義と在日外国人差別を推奨しているのは良く知られている事実ですが、このような差別主義者に限って自らの差別的言動が差別とみなされないための言い訳を必死で考え出します。
普通の人なら差別だと指摘されれば、まず自身の言動を省みて差別と解される部分がなかったかを考えるわけですが*1、頭に血が上っている人、差別と言われることを知ってて差別している人、自身が批判されること自体考えられない自己過信の人などは、差別だという指摘に対して「これは差別じゃない」という回答が先に形成されて、後付で”差別じゃない”と言い張るための根拠を探し始める傾向があります*2

この差別正当化の根拠に便利な使われ方をされるのが、「法律」*3です。

  • 1.法律上、同じ権利を持っているから差別じゃないという主張
  • 2.既存の法律が差別じゃないと主張している根拠を借用

「1」は、差別の実態に対応できていない法律文面上の虚像の平等性を利用して、差別ではないと主張するやり方です。在日外国人の就職時における差別などに対するレイシストらの擁護などがこれにあたるでしょう。
一方「2」は、法律そのものが差別的でありながら、過去の判例立法府での議論の中で用いられた「差別ではない」という主張を借用して差別を正当化するやり方です。

なお、「1」にも「2」にも属さない法的にグレーな状態のまま行われる差別の事例としては、朝鮮学校のみ無償化対象から外そうとして行っている様々な妨害行為などが代表的でしょう。朝鮮学校のみを無償化適用除外する法的根拠はありません。差別の実行主体はそれを知っているから法的判断はグレーのまま、妨害を続けて執行を遅らせる手段を取っています。*4


ここでは「2」の差別正当化のパターンを産経新聞の記事から学んでみましょう。

外国人参政権否定は差別」不適切 教科書中止きょう提訴
産経新聞 2月16日(木)7時55分配信
 在日韓国・朝鮮人参政権を認めないことを差別として取り扱っている公民教科書を採用するのは「参政権憲法日本国籍を有する国民に限られる」とした最高裁判決に反し、不適切などとして、福岡県内の医師ら3人が、採用を決めた同県教委と今春から使用予定の県立中学3校を相手取り、採用の決定などの取り消しを求めて16日に福岡地裁に提訴することが分かった。原告によると、外国人参政権についての教科書記述をめぐる訴訟は初めてという。
 訴状によると、県教委は今春からの中学の公民教科書について平成23年8月、日本文教出版と東京書籍の2社を決定し、今春から県立中3校で使用する。
 日本文教版は「在日韓国・朝鮮人差別」の項目の中で「公務員への門戸は広がりつつあるものの、選挙権はなお制限されています」と差別の一例として記述。
 東京書籍版も同様の項目の中で「日本国籍を持たないため、選挙権や公務員になることなども制限されています。日本で生まれ生活していることや歴史的事情に配慮し、人権保障を推進していくことが求められています」と記載している。
 原告側は「参政権の制限は差別ではなく、こうした記述は平成7年の最高裁判決に反する誤った説明。教育基本法にも違反する」と指摘。さらに福岡県議会が22年3月、「永住外国人への地方参政権付与の法制化に慎重に対応する」よう求める意見書を可決したことにも反するとしている。
 原告代理人の中島繁樹弁護士(福岡県弁護士会)は「7社が発行する公民教科書のうち5社で同種の記述がある。全国の中学校の大半がいずれかの使用を決めており、多くの生徒に誤った見解を植え付けてしまう」と話している。
 外国人参政権をめぐっては、2年に大阪の在日韓国人らが選挙権を求めて提訴したが最高裁は7年2月、「参政権憲法日本国籍を有する国民に限られる」として訴えを棄却。ただ、法的拘束力を持たない判決の傍論で「(地方参政権付与は)憲法上禁止されているものではない」とし、推進側の論拠になっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120216-00000107-san-soci

まず、平成7年1995年2月28日最高裁判所第3小法廷の判決ですが、「参政権憲法日本国籍を有する国民に限られる」とは言っていないので*5、この点から産経新聞の捏造なのですが、仮に最高裁判決が外国人参政権違憲だとしたとしても、それを差別と呼ぶのは何の問題もありません。

その場合、日本国憲法条文が差別の原因になっている、あるいは、最高裁が差別を容認したとなるだけです。
つまり、法的に差別構造を抱えた近代国家として恥ずかしい状態となるわけですが、上記の産経新聞記事はその差別条項を根拠として在日外国人に対する差別を正当化している、そんな状態です。

かつてのアメリカの黒人差別は、バスの中で黒人は白人の座席に座ってはならない、などが法律の中で条文化されていました。
しかし、法律だから差別ではないなどと馬鹿げた主張に屈せずに戦った反差別主義者たちが、遂には法律を変えさせたわけです。


今回の差別主義者である福岡県内の医師ら3人がどういった背景の人物かはわかりませんが、以下のデタラメな指摘が裁判で通用するとはおそらく思っていないでしょう。

原告側は「参政権の制限は差別ではなく、こうした記述は平成7年の最高裁判決に反する誤った説明。教育基本法にも違反する」と指摘。さらに福岡県議会が22年3月、「永住外国人への地方参政権付与の法制化に慎重に対応する」よう求める意見書を可決したことにも反するとしている。

福岡県内の医師ら3人及びそれに好意的に偏向した記事を掲載する産経新聞の目的は、教師などを萎縮させ教育現場で在日外国人差別を取り上げる機会を減らすこと、と「最高裁外国人参政権を禁止している」というデマを事件報道を装って広げることでしょう。教科書選定時における介入・圧力として効果も狙っているかもしれませんね。



実際には最高裁判決は外国人参政権を禁止していない

「法的拘束力を持たない判決の傍論」というの都合の悪い判決を否定するためのネトウヨや右翼言論の常套句となっています*6

問題の箇所は判決文の「理由」の中に記載されています。

憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg0011-3.htm

この文自体、原告や被告に対して何かせよ、と命じている文ではないので、そもそも日本語文法上「法的拘束力」を持つ持たないの話しではないように思えます。少なくとも立法機関に法律の制定を求めてはいません。
ただし、実際に立法機関が、地方参政権を外国人に与える法律を制定しても、これを違憲として訴えて勝つことはまず不可能でしょう。その意味では拘束力を持っているとも言えます。少なくとも下級審がこれに反した判決を出すことはほぼありえないでしょうね。

ついでに言うなら、国政に対する外国人参政権についてもこの最高裁判決によって別に禁止されているわけではありません。そもそも日本国憲法第15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」という条文の「固有」の意味にしたところで、国民であれば当然に持っている、というくらいの意味で、別に国民が独占し国民以外には保有を許さない権利というわけでもありませんから*7

「固有の権利」の解釈

憲法15条の「固有の権利」に関して、はっきりした定義が明らかになっているわけではありません。
単純に、国民が当然に持っていて奪う事のできない権利、という意味、とする根拠は、1953年3月の人事院任用局高辻正巳部長が任免関係質疑応答集で示したというものです。

2000年11月16日衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会での社民党・市民連合の北川れん子氏の発言。

 それで、今、憲法違反じゃないかというところの集約が憲法十五条第一項ですね。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」今、憲法違反のところで述べられるときにこの一項が引用されるというふうに聞いているのですが、ことしの十月二十九日のサンデー毎日にこの外国人参政権問題が取り上げられ、「国民固有の権利」の解釈の仕方ということが出ていたと思いますので、各提案者の方にこの件でお伺いをしていきたいと思います。
 この議論が、一九五三年ですから、昭和二十八年三月の時点だったというふうに聞いておりますが、これが任免関係質疑応答集というところで、当時の人事院任用局の高辻正巳部長という方のお答えの中にこの解釈が、その「固有の権利」というのは奪うべからざる権利の意味に解するのが正しく、一般に外国人に対して公務員を選定する権利が認められないのは、直接本条から引き出される結論ではないというふうになっておりますね。
 そこで、皆様方にお伺いしたいのです。選挙権、今回は永住外国人の方の参政権問題ですが、憲法問題はこのように解釈の問題でクリアをされていると思うのですが、提案者の皆様はこの点をどういうふうにお受けとめになっているかということをまずお伺いしたいと思います。

これに対する当時の与党・公明党冬柴鉄三氏の発言(冬柴氏は地方参政権には賛成の立場*8)。

 そういう国政レベルの選挙権につきましては、先ほど委員が読み上げられました憲法第十五条一項の、公務員を選定しまたは罷免することは国民固有の権利であるというところにつながるわけでございまして、私は、その観点から、国政レベルの選挙権及び被選挙権については、これは日本国民に限られるべきである、このように思います。しかし、その英訳では譲るべからざる権利ということだということの答弁があったことも事実でございます。

続く民主党北橋健治氏の発言。

先ほど、憲法十五条一項で、国民固有の権利との関連で御指摘がございましたが、これを、一部の学者の方には、国民だけが持っているんだ、日本人、国民に特有の権利だ、そういう理解を主張される方もおりますが、私どもは、基本的に、そう解釈すべきではなくて、国民が当然に持っている権利というふうに理解をしております。

北川氏の発言。結局、憲法15条の解釈について意見の相違があるため、1953年の高辻正巳見解を出して欲しい、との意見。

○北川委員 冬柴提案者からは、憲法十五条一項に対しての見解というのを述べる前の部分の方が長くてちょっと残念だったなという感じがするんですが、今、憲法違反だと言う人の、一応集約されていくところは憲法十五条の一項の解釈の仕方だろうと思いますので、ここはすごく大事だと思いますが、一九五三年の高辻正巳部長のおっしゃったこの見解の文書をぜひ出していただきたい。本当にどういうふうに、この任免の本の中にはとりあえず解析、分析はしてあるんですが、どういうふうな形でそれを高辻部長というのが出したかということで、この文書のありかと、これを提出していただくということをお願いしたいと思うんですが、この件に関してはいかがでしょうか。

対する答え。

○冬柴議員 次回提出させていただきます。

この後、資料が提出されたかどうか、国会議事録で検索してもわかりませんでした。
民主党公明党共産党など基本的に外国人の地方参政権に賛成ながら、微妙な解釈・法案の違いもあって今も審議未了が続いています。それをいいことに反対派は憲法に反するというデタラメを振りまいています。

参考:http://www.gaikokujinsanseiken.com/

*1:その上で、反論するなり、受容したりする。

*2:一部には差別して何が悪い、と開き直る人もいますが

*3:ここでは、明文化された法律の他に、適切な法律の不存在によって生じる状況も考慮に入れています。

*4:実際に適用除外が確定して裁判を起こされたら、朝鮮学校のみを除外する法律でも作らない限り、国が負ける可能性が高いでしょう。

*5:最高裁判決は、憲法15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免する」権利の保障が在日外国人には及ばないものと解するのが相当と述べていますが、在日外国人にその権利を与えてはならないとは言っていません。また、憲法93条の「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」権利についても、在日外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない、とのみ述べて、ここでも在日外国人にその権利を与えてはならないとは言っていません。

*6:左派の場合は不当判決とはっきり主張しているように思えます。「傍論〜」などと姑息な否定をしている左派は見た覚えがありません。

*7:http://www.geocities.jp/yyyyeeeessss3006/

*8:「この「住民」は、私は、もうるる説明は避けますけれども、日本国民たる住民を憲法上は保障している。しかしながら、これに対して、立法政策として国会が、日本国民と生活実態において変わりのない定住者、最初、定住者というのと通過外国人と分けるために定住者と申しましたけれども、今永住権を持っている人、そういう人たちには当然に与えていいんではないか、こういう考えでございます。」との発言