南京事件当時の南京人口に関する若干の言及(Kuriles氏への回答)

(コメント欄)
Kuriles 2012/03/25 07:09
すみませんが、ネトウヨと議論している時に南京事件の時の南京の人口が34万人と相応してないと言うんですが、どういうことでしょうか?
回答よろしくお願いします_(._.)_

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120322/1332430428

返答が遅くなりました。

ネトウヨに限らず南京大虐殺完全否定派や小虐殺派といった”30万人説だけ否定して中国に捏造のレッテルを貼りたい”と望んでいる歴史修正主義者が用いる30万人説否定の根拠が、南京事件当時の南京人口です。

これら歴史修正主義者の当時の南京人口観は、ごく単純に言えば、南京城内の安全区内における難民数20万〜25万人だけが、事件当時の南京人口の全てだったというものです。
この説の根拠は安全区を運営した外国人たちの日記や記録だけで、言うまでもなく南京城内の面積的には8分の1でしかない安全区内の人口以外はまるで考慮されていません。このため、南京事件の範囲とされる南京城およびその周辺の人口の根拠にはなっていません。

実際には20万人規模の難民を収容した安全区の他にいくつかの難民を収容した区画が城外にありましたし、安全区以外の南京城内にも少なからず住民が残っていました。日中間の戦闘を予想し南京城内から一時避難した住民たちが近郊農村部に留まっていた蓋然性も高く、また、上海方面から避難してきた避難民や上海から敗走中に軍から離脱した元中国兵も数万人規模で南京近郊に存在していたはずです*1

まともな南京事件研究者なら当然事件当時の南京人口についても考慮しており、笠原氏の説では事件当時の人口は南京城区で40〜50万人、南京近郊*2で120〜135万人、南京事件の起きた範囲内合計で160〜185万人程度と推定されています。この他に南京防衛軍10〜15万人が存在していましたので、事件当時に日本軍による虐殺の危機に晒された人数は170〜200万人いたことになります。
このため、人口的には30万人が虐殺されたとしても特に矛盾は生じません。

歴史修正主義者の手口

ネトウヨなどの歴史修正主義者の目的は、とにかく中国側の主張を否定したいという欲求で動いていますので犠牲者数検証のために必須な人口問題について誠実な検討を避ける傾向が強いと言えます。
彼ら否定派の主張は、安全区を運営した外国人が20万人と言っているから20万人だ、に尽きます。それ以上の検証はしていません。安全区以外にも住民や敗残兵がいた可能性についてはほぼ意図的に排除しています。
この傾向はガチの否定論者だけでなく小虐殺論者でも同様で、秦郁彦氏に至っては「神のみぞ知る」*3と言って歴史学的な検討を放棄しています*4

東中野氏と同レベルの軍事史学会

南京事件当時の人口問題になると、日本軍事史学会防大系研究者のレベルは東中野氏と同レベルに低下します。
別途エントリーを上げたいと思いますが、基本的に軍事史学会防大系研究者は、20万人説や30万人説を当時の人口を考慮すればありえない、と切り捨てています。もちろん当時の南京の人口について検討した形跡はなく、安全区人口を機械的南京事件範囲の人口と決め付けているだけです。

*1:上海方面で戦った中国軍は約70万人。このうち死傷者20万人を除く50万人のうち半数が杭州方面に撤退したとし、残り半数のうち15万人が南京防衛軍に組み込まれたとしても10万人程度が残ります。

*2:南京特別行政区のうち、南京城区を除いた6県のうち、南京事件が起きた4県半

*3:「現代史の対決」

*4:秦氏は一方で、「南京事件」(中公新書)の中で犠牲者数について「神のみぞ知る」と表現しながら、犠牲者数推定をしていますので、当時の南京人口について選択的に推定を放棄していると言っていいでしょう。