メディアを作る立場で考えてみること

タイトルはメディア・リテラシーの基本です。メディア・リテラシーは学問の一つですが、ネット上では勝手にイデオロギーを持ち込んでいる場合が多いようです。

はてなブックマーク - ニュースな歴史館:古代の北朝鮮は進んでいた- 毎日jp(毎日新聞)」でひどく叩かれている毎日新聞の記事ですが、基本的には叩くようなものではありません。
私自身は「人工衛星を軍事ミサイルと決め付けてること以外、特に問題のある記述とは思えない。」と書いていますが厳密には決め付け表現ではないので、「決め付けを助長する表現」に対する批判が正しいです。ですが、これはあくまで私の個人的意見。
メディアを作る立場で考えれば、また違った意見になります。

誰向けに何を伝えたいのか

言うまでもなく、小学生読者向けに東京芸術大学世界文化遺産高句麗古墳群」の壁画をデジタル技術で復元したというニュースを伝えたいわけです。

しかし、その一文だけ書いても、小学生読者の理解を深めるには足りません。ほとんどの小学生には「高句麗?」で終わりでしょう。
ではどうするか、というと、他の知識とリンクさせる話を持ってくるのが基本でしょう。

自分がその記事を書く立場だったら、どうしますか?という視点で見ている人がブクマには見当たりませんでしたね。批判するのはいいですが、そういう視点を考慮するのも重要でしょう。


東京芸術大学による「高句麗古墳群」壁画復元のニュースを小学生に興味を持って読んでもらうためには、今話題の小学生でも知っているニュースとの関りを示すのが基本的な手段です。
そうすると、高句麗古墳群の場所から北朝鮮人工衛星打ち上げのニュースと絡めるのは当然です。そして、現在の日本と北朝鮮の関りから、古代の高句麗と日本の関係を比較するのは基本的手法でしょう。
そして、奈良の高松塚古墳の壁画と結ぶ。壁画の類似性から古代の日朝関係を把握し、現在の日朝関係と対比して立体的な知識となるように誘導する。

そういう意味で、小学生向けの記事としてはよく出来ていると思います。


意味不明とか言っている人たちは、じゃあ、自分だったら、東京芸術大学による「高句麗古墳群」壁画復元のニュースを小学生向けにこう伝える、という記事を書いてみてはどうかと思いますね。

それを考えるのが、メディア・リテラシーです。

ニュースな歴史館:古代の北朝鮮は進んでいた
毎日小学生新聞 2012年04月13日

 東京芸術大学(とうきょうげいじゅつだいがく)のチームが2月(がつ)、北朝鮮(きたちょうせん)にある世界文化遺産(せかいぶんかいさん)「高句麗古墳群(こうくりこふんぐん)」の古墳(こふん)の壁画(へきが)を独自(どくじ)のデジタル技術(ぎじゅつ)を使(つか)って、世界(せかい)で初(はじ)めて原寸大(げんすんだい)で復元(ふくげん)したというニュースがありました。

 北朝鮮(きたちょうせん)と言(い)えば、「人工衛星(じんこうえいせい)」と言(い)いながら実際(じっさい)は軍事(ぐんじ)ミサイルの実験(じっけん)を行(おこな)うのではないか……と疑(うたが)われている怪(あや)しい国(くに)のイメージがあります。しかし、こうした不可思議(ふかしぎ)な国(くに)になったのは第二次世界大戦後(だいにじせかいたいせんご)のこと。しかも、日本(にっぽん)の戦前(せんぜん)の支配(しはい)も原因(げんいん)の一(ひと)つでした。

 紀元(きげん)3〜5世紀(せいき)ごろに全盛(ぜんせい)を迎(むか)えた「高句麗王朝(こうくりおうちょう)」のころは、日本(にっぽん)よりもはるかに進(すす)んだ文明国家(ぶんめいこっか)があり、仏教(ぶっきょう)などの宗教(しゅうきょう)、学問(がくもん)の中(なか)には当時(とうじ)、高句麗(こうくり)を経(へ)て中国(ちゅうごく)から伝(つた)えられたものもあります。

 復元(ふくげん)された壁画(へきが)は、切手(きって)などでも知(し)られる飛鳥時代(あすかじだい)の高松塚古墳(たかまつづかこふん)(奈良県明日香村(ならけんあすかむら))の美(うつく)しい壁画(へきが)とそっくりなのが分(わ)かるでしょう。当時(とうじ)の日本(にっぽん)は高句麗(こうくり)の美(うつく)しい文明(ぶんめい)をそのまま、コピペしながら輸入(ゆにゅう)し、やがて独自(どくじ)の文化(ぶんか)を生(う)み出(だ)していったのです。【森忠彦(もりただひこ)】

http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20120413kei00s00s015000c.html

ちなみに、もし私が書く立場だったら、やはり軍事ミサイルの件も含めてこのような記事にするでしょうね。軍事ミサイルとの決め付けを助長する表現であっても、この時期に記事にするなら、表現として外せないのは確かですから。
「コピペ」についても、それほど問題とは思いません。小学生にイメージしやすいようにと考えると、ありだと思います。