1930年代のサラリーマンの給料は、年間1200円くらいもらえば、まあまあ普通から少し上くらいのレベルという相場でした。つまり月100円です。現在なら、月30万円くらいの手取りに相当するでしょうか(戦前は、個人所得税はほとんどなく、年間1200円を超えたら課税されるという税制でした)。
なお、ビルマ侵攻についてはルピー軍票を使う計画*1を早くから立てていたものの1941年12月開戦時点で具体的な侵攻計画がなかったため、物資収集担当者にルピー建で融資する準備がありませんでした。1942年5月時点で南方開発金庫からの具体的な融資計画は、745万ペソ、1775万海峡ドル、1955万ギルダーとされていました*2。このため、当初のビルマでは海峡ドル軍票が使用され、その後ルピー軍票が使用されるようになります。
1942年9月15日にはビルマ貨幣調整令を公布し、1941年12月8日現在の既流通貨幣(戦前からのルピー)と日本軍票(ルピー軍票)を法貨と正式に制定しています。なお、この際に戦前からのルピー、アンナ(1ルピー=16アンナ)、パイ(1アンナ=12パイス)の通貨体系を1ルピー=100セントに変更しています。アンナ、パイの交換レートは以下のように設定されました*3。
8アンナ(銀貨・白銅貨)=0.5ルピー | 50セント |
4アンナ(銀貨・白銅貨)=0.25ルピー | 25セント |
2アンナ(銀貨・白銅貨)=0.125ルピー | 10セント |
1アンナ(白銅貨)=0.0625ルピー | 5セント |
1パイ(銅貨)=約0.0052ルピー | 1セント |
0.5パイ(白銅貨)=約0.0026ルピー | 0.5セント |
これによって、現地既流通貨幣(ルピー、アンナ、パイ)と海峡ドル軍票、ルピー軍票(ルピー、セント)が混在した状況がとりあえず収拾されます。
その後、1943年1月に南方開発金庫が新規に通貨発行できるようになります。この南方開発金庫が発行する南方開発金庫券は、厳密には軍票ではなく、それ以前の外貨軍票(現地通貨軍票)とは異なりますが、一般的には軍票とみなされ、その機能も軍票と変わりませんでした*4。
後に形式上とは言えビルマ独立が為されると、独立ビルマが独自にビルマ国立銀行でルピーの発行を行うようになります。しかし、ビルマ国立銀行は既に膨大に発行されていたルピー表示南発券(外貨軍票を含む)を無制限に等価回収する義務を負わされ、また新ルピー通貨発行開始後は南発券を新規発行しないことになっていたものの手許保有が充分出ないときは南発券新規発行してもよいことにされたため、実態としては日本軍の都合で通貨が乱発されることに変りありませんでした*5。
1942年〜1945年にビルマの日本軍占領下で流通した通貨
戦前通貨(ルピー)に、日本軍のビルマ侵攻によって日本の外貨表示軍票(海峡ドル、ルピー)が加わり、1943年から南方開発金庫券(ルピー)となり、1944年にはビルマ国立銀行券(チャット)が法貨となっています。
わずかな期間に様々な通貨が入り乱れましたが、実態として日本軍が裏づけなく自由に発行できたため全体として「軍票」と評して問題ありません。
日本兵の手記などでは単位を「円」と記載していることが多いのですが、これは、1ルピー=1円(1セント=1銭)とする公式レートの存在から慣用的に「円」と呼んでいたに過ぎません。内地から持参した日本円は、ルピーに交換しない限りビルマでは使用する事ができませんでした。
通貨レートと送金制限
ルピーと日本円は公式レートでは等価でしたが、送金などで交換できる金額には制限がありました。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02032868500、大東亜戦争関係一件/占領地行政関係(B-A-7-0-291)(外務省外交史料館)」にある送金為替等取締令案によると、軍人軍属以外は、1ヶ月あたり200円までとされ、それを超える場合は民政部長官の許可が必要とされました。
1944年10月5日・メイミョーの市場での物価
「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P171
品物 | ルピー額 | 現在換算価値*6 |
---|---|---|
コーヒー1杯 | 1〜1.5円 | 3000〜4500円 |
安全ピン | 0.5〜1.5円 | 1500〜4500円 |
下駄 | 5円 | 15000円 |
鉛筆1本 | 3円 | 9000円 |
散髪 | 3円 | 9000円 |
マスコット(煙草20本) | 20円 | 6万円 |
大根1本 | 2円 | 6000円 |
マッチ1箱 | 5円 | 15000円 |
ガピー(魚塩辛)1ビース | 80円 | 24万円 |
醤油1本 | 20円 | 6万円 |
塩干魚1ビース | 160円 | 48万円 |
焼飯、焼ソバ | 3円 | 9000円 |
米1ビース | 15円 | 45000円 |
天ぷら1個 | 0.5円 | 1500円 |
砂糖1ビース | 20円 | 6万円 |
油1ビース | 70円 | 21万円 |
ビースは、ビルマでの重量の単位で、1.5〜1.6kg程度。米なら1升とほぼ同じ*7。ビルマは米などの農産物に関しては比較的豊富な地域でしたが、それでも高騰していることがわかります。
(「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P176)
一〇月一八日 晴
(略)朝、部落に市場ありて、各将校、餅、バナナ等を買ひ来るも、一〇〇円の月給取には、これら一〇円単位の食物は、とても買ひ続ける事が出来ぬ。(略)(「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P178)
一〇月二三日 曇後雨
(略)餅一枚二円、バナナ一たば一〇円、コーヒー一杯五円。
1945年3月・メイミョー、ピンダレー、パトゴエ、タジ
半年後の状況ですが、品目・地域によるばらつきが見られるものの、現在の価値観では煙草1本3000円程度にまで高騰しています。コーヒー1杯は大体5ルピー(約1万5000円程度)です。
(「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P210)
三月三日
(略)酒一本一〇〇円、砂糖一ビース一二〇円、餅一〇〇円等、物価頗る高し。(略)三月四日
(略)馬鈴薯、玉葱、豆腐、玉子<一個六円>わたる。
(「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P213)
三月九日
(略)砂糖一ビース二〇円、鶏五〇円、酒二〇円。大分物価も安い。(略)
(「軍医のビルマ日記」1994/10/1 第1版第2刷、塩川優一、P224)
三月二九日(パトゴエ)
(略)砂糖一ビース五〇円、セレ<ビルマ煙草>一本一円五〇銭。(略)(同書・P225)
三月三〇日(タジ)
(略)酒一本六〇円、砂糖一ビース一〇〇円、卵一個五円、コーヒー一杯五〇円、玉葱一ビース一五円、煙草一本一円なり。(略)
1945年初頭時点
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10035706576.html
太田常蔵『ビルマにおける日本軍政史の研究』(吉川弘文館、1967年)
コーヒー 5ルピー
背広1着 1万ルピー
シャツ1枚 300-400ルピー
絹ロンジー1着 7000-8000ルピー
参考
戦前ビルマの農家(4〜5人家族)の年収は50〜200ルピー、支出は150〜250ルピーで苦しい生活だったようです(戦前はインド人地主の下でのビルマ人小作農が多かった)。
米価は1ピコル=60kgで82ルピー。1ビース=1.5kgなら約2ルピー。
*8
*1:南方外貨表示軍票として他に、ペソ、海峡ドル、ギルダー、を考慮
*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01000345600、昭和17年「陸亜密大日記 第20号 2/3」(防衛省防衛研究所)」
*3:新聞記事文庫 貨幣及兌換銀行券(17-172) 中外商業新報 1942.9.19(昭和17)「「ビルマ貨幣調整令」を公布 アンナとパイを廃止」
*4:発行の裏づけが、臨時軍事費特別会計以外に、現地軍政部会計も加えられています。
*5:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120397100、ビルマ独立関係文書綴 昭和17年7月〜20年2月(防衛省防衛研究所)」
*6:3000倍
*7:升は体積単位ですが、米の重さにすると約1.5kgです。
*8:新聞記事文庫 東南アジア諸国(16-059) 大阪毎日新聞 1942.9.13(昭和17) 「中間搾取を排除し我が高度技術で育成 ビルマ農村の建設方針 桜井顧問談」