韓国併合に関する、いわゆる“当時の価値観”

以前、アメブロ版であげた記事の加筆再掲。
引用は特筆ない限りいずれも「ベルツの日記 下 (岩波文庫 青 426-2)」から。

1904年

(P8)
2月5日(東京)
(略)
 今ではもう、誰も戦争を疑うものはない。事実、いかにしてなお戦争を避け得るかは、もはや推察の限りでない。昨日、イギリス公使と語ったが、公使は、日本がどんな態度に出るかは非常に興味のあるところだ、と述べた。もし日本が宣戦を布告せずにさっさと韓国を占領すれば、ロシアはそれに対して、なんの対抗手段にも出ないだろう。そして多分、「こちらが満州でやったことを、今そちらが韓国でやるのだから、どちらもあいこだ」と称するにすぎないだろう。だとすれば一体、なんのために、日本は宣戦する必要があるのだ?
(略)

開戦直前の記述です。ベルツは対露戦不要と見ています。ロシアが満州を占領するなら、日本が韓国を占領して構わない、との見方です。特に韓国に対する共感などはこの時点では見いだせません。

(P36)
3月8日(東京)
(略)
 日本は韓国と、きわめて重要な協定を遂げた。韓国ならびにその宗室の独立性を承認するも、その施政は、日本の援助によりこれを改善すべきこと。更に韓国は、日本の同意なくしては、なんらの企画、ことに第三国との交渉を行わざることとなった。日本の要求ははなはだ控え目である。まずさしあたりというところか?
(略)

開戦直後、日本が韓国の京城を軍事占領した直後の記述です。「きわめて重要な協定」とは2月23日に締結された日韓議定書を指すものと思われます。これに対してベルツは「はなはだ控え目」と評しています。この時点でも特に韓国に対して共感を抱いている様子はありません。

(P138)
7月26日(東京)
(前略)
 韓国における対日感情の悪化は、日増しに加わってゆく。京城では、日本人の眼の前で、反日示威運動が行われている。そこへ、日本公使が公然と後押しをした、不可解きわまる請願事件が起きて、火に油を注ぐ結果となった。長森某なる者が、韓国全土の未開墾地全部を、五年間免税で払い下げてほしいと願って出たのである。こんなものを要求する厚顔振りにいたっては、まったく沙汰の限りである。韓国政府も一応は簡単に拒絶しておいて、直ちに名目だけの会社を設立し、これに日本人の望んでいた土地をそっくりそのまま譲渡してしまった。こんな前代未聞の要求により、親日感情の最後の残り火まで、日本人が自身で踏み消してしまうのだ。最近のこと、日本側は強制的にある集会を解散させ、幹部を逮捕した。そして今度は、守備隊を増強し、憲兵隊を接収しようとしている。しかもそれでいて、定評のある新聞ですら、韓国は日本から恩義をこうむっている!と称するのだ。

この頃からベルツの態度が変わります。長森藤吉郎が日本公使館に請願し韓国政府に韓国全土の未開墾地を要求した事件は、さすがに占領軍の威圧を傘に来た横暴な要求と感じたのでしょう。この時期、占領日本軍よりむしろ、それに続いて韓国で一儲けしようと乗り込んだ民間の日本人が韓国内で横暴を振るっていました*1。これらの情報は韓国内の外国公使を通じてベルツにも聞えていたでしょう。
実際、日本の韓国駐箚軍司令官は1904年7月2日に軍律を公布して、「軍用電線、軍用鉄道に害を加えたるものは死刑に処す」「情を知りて隠匿するものは死刑に処す」など死刑を頻発させ、さらに被害を生じて加害者逮捕ができなかった場合は村長や保護委員などの責任者を「笞罰又は拘留に処す」と言った連座制まで適用しています*2。1904年7月から1906年10月までの2年間に、軍律により処分された者は死刑35人、監禁および拘留46人、追放2人、笞刑100人、過料74人と言われます。
軍律によるものかどうかは不明ですが、アーソン・グレブストが韓国のドイツ領事から聞いた話として以下のように記しています。

(「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト)
(ドイツ領事)「(前略)
 白い十字架の立っているまさにこの場所は、三人の朝鮮人農夫が日本人に土地を強制没収され、その復讐として最近完成した鉄道の破壊を計画し、それが発覚し無残にも銃殺に処せられた場所です。
 この十字架三本に体を縛られた三人の哀れな<罪人>がここに立ち、でこぼこ道の向こうに日本の軍人と彼らの指揮官が整列していたのです。時間となって射撃命令が出され、軍人たちは五七発の銃弾を浴びせました。朝鮮人たちの体は蜂の巣のようになって死んでいきました。
 死体はここに六日間放っておかれました。死体の運搬は禁じられていたからです。やっと埋葬のため死体を移そうとしたときには、禿鷲と肉食鳥類に顔をついばまれてしまっていて、身元すら確認できないありさまでしたよ」
 私たちはしばし無言でつっ立ったまま、この悲劇の場所を眺めた。いろんな想念が頭を駆けめぐった。朝鮮で見る日本人の印象は、本国でのそれとあまりにもかけはなれていた。本国ではあらゆる物の外面が魅惑的な美しさをもっていて、その裏面を考えさせるような隙がなかった。ところがここではついに、その本当の姿があらわれたのだ。日本の残忍と冷酷を赤裸々にうかがい知ることができた。
 世の人びとが日本は西欧のように開化した国だと思っているとするなら、それはまちがいである。たしかに日本人は早い頭の回転と知恵を生かして大きな力をふるってはいるが、私たち西洋人の見るところ、彼らが西欧文明の到達地点にまでやってくるには、まだ数千マイルも走らねばならないだろう。

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115592625.html

(P166)
9月5日(東京)
(前略)
韓国では、今や日本人はすこぶる思い切った行動に出ている。かれらは韓国政府から、軍事上の目的に土地を提供させた−つまり強制的に、そうせざるを得ぬようにしたのである。そして今度は、はなはだ重要な協約が発表された。この協約によれば韓国は−
 一、日本人の財政顧問を一名任命し[目賀田]、その同意なしでは、どんな方策をもとらないこと
 二、日本政府の推薦する外国人の外交顧問を一名任命し、重要事項は、すべてその意見を徴すること[この顧問には、旧知ステーヴンスが任ぜられた]
 三、外国との条約等の締結および外国人に対する特権譲与に関しては、日本政府と協議すること
これでいて、日ごろの決まり文句は、韓国の主権を侵害しない!である。この協約により、韓国は日本の属国となるのだ。
(後略)

1904年8月22日の第一次日韓協約に関する記述です。「軍事上の目的に土地を提供させた」というのは日韓議定書第四条で韓国に合意させている内容ですが、本格的に占領軍の強占が始まり、それがベルツの耳にも届いたのでしょう。日韓議定書に対して「はなはだ控え目」と評していたベルツは自己の認識が甘かったことを自覚したかはわかりません。
少なくとも第一次日韓協約が、日本により韓国の独立が侵害され属国化される内容であることをこの時期には理解したわけです。

(P168-169)
9月11日(東京)
(略)
 日本人は韓国人の感情を、全然意に介しないように見える。かれらは平然と自己の道を進み、自己の意思を韓国人に押しつけている。一週間前に『日日新聞』の掲げた報道によれば、日本は諸外国に駐在する韓国公使の召還を目論んでいるが、「これにより、もちろん外国公使の京城駐在も無用になるだろう」と。しかしこれは、あまりにもはっきりと内幕をさらけ出したものだ。その翌日、『ジャパン・タイムス』は強硬な否認記事を掲げていわく、そんなことをすれば、日本の最も誠実に尊重する韓国の主権を奪うことになるからであると。ところで、実際はどうであろうか?日本は、韓国政府の外国との交渉全般の監督を要求しているではないか。だが、どの強国も、こんなことを容認しないだろう。そうなれば、本当に外国公使は引揚げるかも知れない。

あまりもの日本の横暴により、親日的なベルツでさえ韓国に対して共感を抱き始めています。日本が韓国の主権を奪うなど他の強国が許さないだろう、とベルツは記述していますが、現実の国際社会はベルツの認識よりも厳しいものでした。のちに列強は日本の韓国支配を容認することでそれぞれ自国の植民地政策に対する日本の支持を得るという取引をすることになります。

(P182)
9月19日(草津
(前略)
韓国に『コリア・デーリー・ニュース』という、日本の息のかかった新聞が発行されている。この新聞が、図々しくも主張していわく「日本は数百万の金と、幾千の人命をなげうって、韓国の独立のために戦っている!!」と。その韓国の自主性を、日本が今ではもう、あっさりと奪ってしまっているのに。
(後略)

ベルツの苛立たしさが伝わってくる記述です。

(P206-207)
10月9日(東京)
(略)
 議会で第二の勢力を有し、最も活動的な党派である進歩党は、仮面を脱ぎ捨てた。政府の韓国における政策を、あまりにも軟弱だと称するのだ。そして、直ちに行政、財政、司法ならびに対外代表権を、日本自身の手に収めるよう要求している。換言すれば、韓国をさっさと併合せよというのだ。日ごろ、あんなに立派な口をきいていたではないか−「われわれは、韓国の独立のために戦うのだ」と。

日本国内での恥知らずな併合推進論をベルツは非難しています。

(P235)
10月31日(東京)
(略)
 夜、アメリカ公使館一等書記官ハンチントン・ウィルソンのもとで会食。主賓は、韓国政府外交顧問として京城に赴任する自分の親友ステーヴンスである。非常に重要な任務だが、またすこぶる面倒で扱いにくい任務でもある。もちろんステーヴンスは、もっぱら日本の委任で行くのだ。かれはすでに二十五年間も、日本で顧問をやっている。かれが選ばれたのは、日本人でなく、外国人がこれに就任する方が、外部に対して体裁が良いからである。ステーヴンスは気が進まないのだ。かれは、理性のあるものなら誰でも同じ意見だが、韓国で日本は穏便な態度に出るべきだとの見解である。しかしこれは、容赦ない行動を望んでいる日本の政策とは合致しない。
(略)

10月末、第一次日韓協約で規定された外国人の外交顧問として、ベルツの友人であったドーハム・スティーブンス*3の歓送会の記述です。スティーブンスは1883年から日本外務省に雇われています。25年とベルツは書いていますが、外務省に雇われる以前から来日していたのかもしれません。ベルツによると、スティーブンスは日本の対韓政策はもっと穏便であるべきとの意見だったようですが、雇い主である日本政府の要求には逆らえなかったのでしょう。
結果的にスティーブンスは韓国の外交顧問の肩書きで韓国を中傷する逆宣伝を行い、日本の内政介入、統監府政治を擁護し、韓国併合へ向けた宣伝戦の一翼を担わされています。当然、スティーブンスは韓国民からの恨みを買い、伊藤博文はスティーブンスを韓国からアメリカに逃がし、アメリカ国内での宣伝戦を担当させられることになります。しかし、韓国の志士、田明雲、張仁俊らによって1908年3月23日、スティーブンスは暗殺されてしまいます。日本が韓国を植民地化するための宣伝道具として使われたスティーブンスは、買わなくて済んだはずの恨みを買わされたわけです。

1905年

(P289-290)
1月10日(東京)
(略)
 日本は韓国で意のままに行動している。先般、同国の警察をあっさりと接収した−全く無力であるとの理由で。事実、そのとおりではあるが、この新しい措置が韓国の独立の法外な侵害であるという事実もまた、同様に否定できない。もはやこの独立も、名ばかりのものになってしまった。

「先般、同国の警察をあっさりと接収した」というのは、1905年1月に韓国駐箚軍司令官が漢城とその付近の治安警察権を奪い、言論・出版・結社・集会を統制したことを指します*4。法的根拠はほとんどありません*5が、占領軍の軍事的威圧によって強制したものです。



詩趣も騎士道も幻滅

(P89)
1904年6月2日(東京)
軍隊が大阪を通過したとき、婦人たちは停車場で、その衣服のあらゆる切れ端を兵士に分配した。。これは、まるで中世紀における騎士の婦人崇拝のようにきこえる。がしかし、その説明はどうか?「女性なるものは、天性不浄である。ところで金属元素は、ことに不浄を忌むものであるから、弾丸はよけて通るのである」と。これで詩趣も騎士道も、すべて幻滅である!

『袖の下』が横行する日本

(P212-213)
1904年10月14日(東京)
 今日、元駐日英国公使の令息ヒュー・フレーザー君にあった。かれは、南阿戦争に中尉として従軍したが、今では転業を志し、ある英国の会社の日本代理人をやっている。代理を委任した連中は、おそらく、かれの父親の関係が役に立つものと思っているらしい。二ヶ月前、かれは自分を訪ねて来た。日本人は非常に近づきにくいと、かれがいったので、自分はこたえた。「商売やその方法については、わたしは門外漢だが、世間の噂によると、この国では『袖の下』を使わないと、官、民両方面ともに、商売がやれないそうだ」と。今日、かれは笑いながらいった。「仰せのとおりでした。これをやらないと(と、かれは金を、手から手へ、数えて渡すような身振りをした)当地ではなにもできません。だがこれさえ判れば、もう占めたものです」と。
 しかしそいつは、役人や社員にとって、すこぶる危い芸当ではないか、と述べたところ、かれのこたえていわく「いいえ、ちっとも。といいますのは、表面上、先生方はその内証事と、なんのかかわりもないからです。だが、それぞれ橋渡しを持っています」−「しかし、それを見つけるのは、なかなかむつかしいだろう?」−「いいえ。誰かが、どこかの役所かまたは会社と取引しようと望んでいることが、一度知れわたりさえすれば、そんな仲立人の方でやって来るからです。奴さんたちは、要路の連中に顔がきくから、その顔で、用命や注文を引受けてやってもよいことをほのめかします。なにしろ、自分が責任のある地位を占めているわけではなく、単に私人として働くだけですから、その骨折りに対して報酬を受取るのに、遠慮する必要がないのです」と。−日本でこの誘惑が非常に大きいわけは、ろくな恩給制度がなく、しかも役人や勤め人、しばしば、なんの理由もなくくびにされて、その家族と共に路頭に迷うことがあるからである。

*1:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115100646.html

*2:海野福寿「韓国併合岩波新書、P136

*3:参考:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10052177902.htmlhttp://ameblo.jp/scopedog/entry-10053020694.html

*4:海野福寿「韓国併合岩波新書、P137

*5:日韓議定書第六条を極めて拡大させた解釈上はあるとも言えますが。