相手の不幸につけこんで慇懃無礼に嘲笑する手法は日本右翼が得意とする手法です。
従軍慰安婦問題ではなぜ“被害者家族の抗議”がないのか? - 山田 高明という記事では、本旨に関係しないセウォル号沈没事故にわざわざ言及し、元慰安婦や支援者らを侮辱する論法を取っています。
さて、この記事の中にいくつか山田氏による捏造がありますので指摘しておきます。
それは沈没事故とは無関係な、例の従軍慰安婦問題についてである。韓国政府および韓国メディアと関連市民団体は、従軍慰安婦問題を次のように定義している。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140430-00010000-agora-pol
「戦時中、20万人に及ぶ韓国の少女・女性たちが、日本軍と官憲によって誘拐され、戦場において性奴隷にされた挙句、その大半が殺害された」
韓国政府が従軍慰安婦をこのように定義しているとは聞いたことがありませんが、山田氏はどのような根拠に基づいているのでしょうか。ちなみに韓国政府がWEBで公開している慰安婦問題のサイトでは以下のように記載されています。
慰安婦に動員された女性の総数については、未だ正確な情報は分からない。強制的に動員して慰安婦にさせられた女性たちの総数を示す体系的な資料が見つかっていないためである。一部の学者たちは、日本軍の「兵士何人あたりに慰安婦を何人おくか」という計画が示された資料や、複数の証言資料に基づき元日本軍慰安婦被害者の総数を推測している。しかし、最低3万人説から最大40万人説と、研究者によってバラツキが大きい。
http://www.hermuseum.go.kr/jpn/sub01/sub010101.asp
日本軍は、慰安所設置の初期段階で主に日本と日本の植民地だった朝鮮、台湾から女性を動員したが、戦争の長期化と戦線の拡大に伴って、日本の占領地だった中国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ミャンマーの女性たちだけでなく、インドネシアに居住していたオランダ人女性も強制的に動員され日本軍慰安婦にされた。慰安婦問題を長期間に渡って研究してきた研究者・吉見義明氏によると、日本軍慰安婦の数は少なくとも8万人から20万人と推定され、その中に占める朝鮮人女性の割合は半分を超えるという調査結果を発表した。
(略)
朝鮮人女性は、就職詐欺、脅迫・暴力、人身売買・誘拐などの方法によって日本軍慰安婦として動員された。「工場に就職させてやる」、「金をたくさん稼げる」などと騙して女性たちを日本軍慰安婦に駆り出したのである。
代表的な関連市民団体である挺身隊問題対策協議会は、以下のような報告書を1993年に出しています。
8万から20万と推定される慰安婦の中、絶対多数を占めるとされている朝鮮人慰安婦の連行は、どのような層に対して行われたのか?
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140426/1398480114
(略)
当時の国際慣例に従い、「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると把握するならば(4)、本調査の19名のケースは殆ど大部分が強制連行の範疇に入る。本調査は、暴行、脅迫、権力濫用を一つに括って暴力的手段による動員と分類し、その他に就業詐欺、誘拐拉致、身売りの場合に分けてみた。暴力による連行は、軍人や憲兵により行われた場合が大部分であり、軍属とみられる(国防色の国民服を着た)人による場合もあった。就業詐欺は、大部分日本に行けば良い仕事を得ることができるという話に誘われたケースであり、最も多くの部分もを占めている。これは大部分民間人によって行われたが、官(官、班長)や町内会の人の勧誘による場合、軍人と軍属によって行われた場合もある。誘拐拉致や身売りの場合も民間人による場合が多かったが、軍人が行った場合もある。民間人による連行の場合にも、軍が船やトラック等の交通の便宜を提供したり、途中で軍人が慰安婦たちを体系的に強姦する等、軍隊の干渉と統制が加えられた。
「20万人に及ぶ韓国の少女・女性たち」などとは韓国政府も挺身隊問題対策協議会も主張していませんし、「日本軍と官憲によって誘拐され」たケースの他に就業詐欺や脅迫のケースが多かったことにも言及しているのが普通です。
「その大半が殺害された」については、韓国政府と挺身隊問題対策協議会は以下のように記載していますので、山田氏の記述はかなり誇張気味と言えます。
しかし、多くは日本軍によって殺されたため帰ることができず、ひどい病気にかかってまともに歩けない状態だったり、故郷に帰るすべを知らず、遠い他国に残されたままの場合も数多くありました。
http://www.hermuseum.go.kr/jpn/sub01/sub0104.asp
そのため、今も中国には、多くの日本軍「慰安婦」被害者たちが残っているわけです。「慰安婦」生活をしていたことが家族に分かれば追い出されると、とうとう故郷に帰ることを放棄し、残ってしまった慰安婦もいました。これまで「慰安婦」として連行された女性たちが何人で、戦争が終わった後生き残った人は何人なのか、またそのうち帰国したのは何人か、正確に把握されていません。
本調査の元慰安婦中、終戦前に慰安所から出てこられたケースが8名になる。このうち2名は脱出したケースであり、1名は性病がひどくて送還され、残りの4名は格別に親しかった将校の助けによって帰国証明書を受け、また1名は慰安所の主人とともに帰国できたケースである。このうち1名は再び慰安所に行くこととなり、12名全部が終戦後に帰還した。敗戦時、日本軍隊が慰安婦をつれて帰郷したケースはほとんどない。上の12名中1名のみが日本軍人と一緒にトラックに乗って慰安所を発ち、残りの者たちはある日から突然軍人が慰安所に来なかったと証言した。軍人が逃げて遺棄された慰安婦たちは多くの困難を経ながら自分で帰国したり、米軍の収容所にいて帰国した。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140426/1398480114
山田高明氏が捏造する架空の問題設定と架空の上に架空の反応を積み上げる手法
山田氏は「韓国政府および韓国メディアと関連市民団体は」「戦時中、20万人に及ぶ韓国の少女・女性たちが、日本軍と官憲によって誘拐され、戦場において性奴隷にされた挙句、その大半が殺害された」と従軍慰安婦問題を定義しているというデマを設定した上で、それを揶揄するといういわゆるわら人形論法を用いています。
「彼らはこのような告発を行い、かつ国際社会に対して宣伝して回っている」などと堂々と嘘を述べる有様を見ると、山田高明氏は天性の嘘つきか詐話師か、と驚かされるほどです。
仮にこの通りだとするなら、終戦直後にいったいどれほどの騒動が持ち上がっていたのだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140430-00010000-agora-pol
おそらく、激怒する数十万もの被害者家族が、旧朝鮮総督府を取り囲んで猛抗議していたに違いない。ソウルの中心部を圧する大群衆は、竹槍を持ち、拳を振り上げ、涙を振り絞って、口々に絶叫していただろう。「日帝よ、わが娘を返せ!」と。
沈没事故における遺族の凄まじい抗議を見て、私の脳裏には、以上のような終戦直後のソウルのイメージが浮かんできた。ところが、フシギなことに、そういう抗議運動が起こったという記録はまったくない。いや、それどころか、慰安婦少女の両親や兄弟を名乗る人が現れたことすらない。戦中はおろか戦後も、誰一人として、である。ついでに日本軍が少女を誘拐する犯行現場を見たという「目撃証人」も現れたためしがない。
勝手に定義を捏造して、その捏造した定義に合致しないと騒ぎ立てるという、教科書に載せたいほど典型的なわら人形論法です。
「慰安婦少女の両親や兄弟を名乗る人が現れたことすらない。戦中はおろか戦後も、誰一人として、である。」というのも嘘ですが、そもそも元慰安婦らは生還後も以下のような境遇にありました。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140426/1398480114帰還後の生活
帰郷後元慰安婦たちは、慰安婦であったという自激之心、慰安婦生活でもらった病気、周囲の目等によって正常な結婚生活をすることができなかった。本調査の19名中6名が結婚したが、そのうち5名は後妻であり、6名全てが結婚に失敗した。8名が同居または第2夫人として家庭を持った経験があるが、大部分失敗した。5名は全く結婚しなかった。現在、2名のみが自分が産んだ子息と一緒に暮らしており、1名が養子と、他の1名がつれてきて育てている孫と一緒に暮らしている。残りの15名は全て一人で暮らしている。経済的また健康面で非常に困難な生活をしている。
過酷な体験の後、それ故に家族を持てなかった被害者に対し、「慰安婦少女の両親や兄弟を名乗る人が現れたことすらない。」とあげつらうのが歴史修正主義者の特徴と言えます。