ヘイトスピーチに対する単純な法規制には反対

出遅れ感がありますが、この件。

ヘイトスピーチ国連委、法規制要求…在日コリアン期待

毎日新聞 8月21日(木)22時15分配信
 在日コリアンらを差別的な言葉でののしるヘイトスピーチ(憎悪表現)に対し、国連の人種差別撤廃委員会が20、21両日の対日審査で、日本政府に法規制を強く求めたことを受け、在日コリアンらからは期待する声が上がった。
 2009〜10年に京都朝鮮第一初級学校(当時)周辺で「在日特権を許さない市民の会在特会)」らによる街宣行動を受けた被害者の教員、金志成(キム・チソン)さん(46)は「ヘイトスピーチを規制する法律があれば、警察はあの街宣をもっと積極的に取り締まることができたし、民事裁判をするまでもなく、彼らの活動に歯止めをかけられる」と話す。
 学校側は10年夏に在特会メンバーらを相手に損害賠償などを求めて提訴し、今年7月には2審の大阪高裁判決も1審を支持して街宣の違法性を認定したが、在特会側の上告で裁判はまだ続いている。
 今月18日、インターネット上のヘイトスピーチで名誉を傷つけられたとして、在特会などを相手に損害賠償を求めて大阪地裁に提訴したフリーライターの李信恵(リ・シネ)さん(43)は、対日審査の様子をネット中継で見守った。
 李さんは「個人が裁判でヘイトスピーチと闘うのは経済面で大きな負担で、2次被害の覚悟も必要。被害者の犠牲があまりに大きい」と強調。法規制に期待はしているが、「逆にマイノリティーが声を上げることも抑圧される危険性がある。ヘイトスピーチ批判の声が各地で上がればそれが抑止につながるのでは」と複雑な胸の内をのぞかせた。【松井豊、後藤由耶、斎川瞳】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00000114-mai-soci

これまでも何度か表明してきましたが、私はヘイトスピーチを法で禁止するのは基本的に反対の立場です。
理由は、ヘイトスピーチか否かを判断するのは市民であるべきで、安易に法で定義して禁止するのは公権力による言論抑圧につながると考えるからです。もちろん、ヘイトスピーチを言論のひとつとみなしているわけではありません。何がヘイトスピーチか判断することを公権力に委ねた場合、判断の線引きが市民の感覚とずれる可能性が高く、市民感覚で規制されるべきヘイトスピーチが法的には言論とみなされて黙認されたり、許容されるべき言論がヘイトスピーチとして規制されたりすることを懸念しているわけです。
司法の判断基準と市民の判断基準がずれた場合、市民が積極的に司法や立法に働きかける必要がありますが、今の日本にそれができるほどの市民の力はありません。今現在蔓延しているヘイトスピーチにさえ、まともにヘイトスピーチを差別と認識した報道がなされていませんし、それを批判する市民も極めて少数です。何がヘイトスピーチなのか、それにどう対するべきか、それを市民レベルで理解できていないのに、司法に判断を丸投げしても上手くいきません。

とは言え、いかなる法規制にも反対するというわけではありません。
ヘイトスピーチの行為者に刑事罰を科すような法規制は現時点では絶対に反対しますが、損害賠償のような民事罰であれば検討の余地はあります。また、直接的な行為者に対して罰するのではなく、その行為を許容・放置した行政側の責任を問う法律であれば同意できます。つまり、ヘイトスピーチの常習団体にデモの許可を出したり、公共施設を集会に提供したり、あるいはデモ中にヘイトスピーチを始めたことを認識しているにも関わらず、それを止めなかった場合、許可を出した行政機関や漫然と「警備」し続けた警察の責任を問うことができる法律であれば賛同できます。
さらに良いのは、国や公的機関としてヘイトスピーチに反対し少数者の権利を擁護する理念を明言した法律で、明示的な罰則の無いものですね。これであれば賛成します。何がヘイトスピーチかは行政職員や市民*1が個々の良心にしたがって判断することになります。

まあ、私自身は今の日本の市民にあまり期待していません。群馬県の強制連行犠牲者慰霊碑に対する排外差別団体の策謀とそれに漫然と応じた群馬県庁の事なかれ主義を市民としてどれほど監視できたと言えるのか、を省みると期待できるなんて言えたものではありません。
排外差別を掲げる団体が市民と称して行政を動かしているのを止めることもできないわけですから。事実上、排外差別団体を市民代表として認めたに等しいですよね。
そのような市民がヘイトスピーチか否かの判断すら“お上にやっていただきましょう”的に丸投げするようなヘイトスピーチ禁止法に賛同するのは、民主主義の自殺行為だと思いますね。

権威ある誰かから判断基準を示されなければヘイトスピーチか否かの判断もできないような市民は市民ではなく、愚民ですよ。
個々の市民が主体的に判断基準を持ち、左右を見たり空気を読んだりするのではなく個々人の判断でヘイトスピーチを批判できるくらいの民度があって、初めて厳格にヘイトスピーチを法規制することに意義が生じるものだと私は思います。

ヘイトスピーチ「禁止法が必要」 国連委、日本に勧告案

朝日新聞デジタル 8月21日(木)23時17分配信
 国連人種差別撤廃委員会による対日審査が20、21両日、スイス・ジュネーブで行われ、在日韓国・朝鮮人らを対象にしたヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)に関連して、「包括的な差別禁止法の制定が必要」とする日本政府への勧告案をまとめた。今後、この案を基にした「最終見解」を公表する。
 審査の冒頭、日本政府側は、ヘイトスピーチを禁止する法律の制定や、インターネットなどでの外国人差別や人種差別が発生した場合の法の運用について、「民法上の不法行為にも刑事罰の対象にもならない行為に対する規制に対しては、憲法が保障する『表現の自由』などの関係を慎重に検討しなくてはならない」と述べた。
 多くの委員は、審査前に日本でのヘイトスピーチの様子をビデオで視聴。右派系市民団体が「出てこい、殺すぞ」などと叫ぶ様子について「これに対応することは表現の自由の保護と抵触しないのではないか。スピーチだけではなく実際に暴力を起こすような威嚇なのではないか。非常に過激でスピーチ以上のものだ」との指摘が出た。警察の警備の様子についても「(ヘイトスピーチをする)加害者たちに警察が付き添っているかのように見えた。多くの国では、こういうことが起こった場合には逮捕するものだ」と批判した。
 傍聴した有田芳生参議院議員民主党)は「日本の人権感覚は外国からすると(時代に)逆行しているようにみえるのだろう」と述べ、ヘイトスピーチなどに対応するための「人種差別撤廃基本法」の早期制定を目指す考えを示した。
 委員会には「在日特権を許さない市民の会」と「なでしこアクション」がそれぞれ、「在日韓国朝鮮人は日本で特権を得ている」などと主張する報告書を事前提出している。(ジュネーブ=松尾一郎)
朝日新聞社

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00000038-asahi-soci

*1:行政職員の判断が適正であるかを市民として監視するという意味