自称中立連中に便利に利用されている観のある朴裕河氏の「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」ですが、内容的には初歩的な史料の誤認などが目立ち、最新の研究成果も踏まえておらず、レベルとしては低いと言わざるを得ません。
まあ、ステレオタイプな性奴隷視や極右的なただの売春婦視とは違う、慰安婦を自立した人格として捉えようとする意図は何となくわかるんですがレベルが低すぎてその域に達していないんですよね。未だかつてそういう見方をした研究が無かったなら、意味もあったでしょうけど、そういう見方をした研究というのも既にありますからね。
で、まあ、個々の誤りを指摘していくとキリがありませんし、既に多くの人が指摘していますから屋上屋を架すのはやめておき、逆にそれなりに評価できる箇所をあげておきます。
「帝国の慰安婦」を“評価”してみせている連中の多くは、ただ史実派が批判しているから逆張りしてるだけで、当人は碌に読んでもいないでしょうが、そういう連中に以下の記述に同意しているのか確認してみたいところ。
「慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた「国家」」
例えば、こういう記述。
(P32)
日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。軍が募集のやり方を規制したことをもって、慰安婦問題に対する軍の関与を否定する意見があるが、不法な募集行為が横行しているということを知っていながら、慰安婦募集自体を中止しなかったことが問題だった。つまり<巨大な需要>に誘拐やだましの原因を帰せずに、業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない。慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍専用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような<黙認>にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた「国家」である。
朴氏は一応、こんな感じで日本軍や日本政府に重い責任があると指摘しています。「帝国の慰安婦」を評価している人たちは、これに同意するんですよね?
ちなみにこの部分、私としては同意できないんですよね。慰安婦募集における日本軍の主体性があまりにも軽視されすぎていて。
「慰安所とは、人間が人間を<手段>に使っていいとする「野蛮」を正当化した空間」
他にはこういう記述もあります。
(P221)
慰安所は、占領地の女性を強姦しないためとの名目で作られた。そのことをもって、慰安所を作らないで強姦を繰り返した他国のことを野蛮な国とする人もいる。しかし、「野蛮」(非管理)に対照される「文明」(管理)的場所としての慰安所は、貧しさやその他の理由で<もの>として扱われやすかった女性が集められた場所であった。そのような暴力を<公式に>容認した場所でしかないのである。つまり、慰安所とは、人間が人間を<手段>に使っていいとする「野蛮」を正当化した空間でしかない。性病の管理をしっかりと行ったと言う意味で、いたって「文明的」な顔をした、野蛮で暴力的な場所というほかないだろう。
この手の正当化を行なう論者は山ほど見かけますが、そういう連中が「帝国の慰安婦」を推しているのは、単純に“サヨク”の逆張りでしかないでしょうね。