美济礁/ミスチーフ礁/Mischief Reefに関する若干の情報

ミスチーフ礁南沙諸島の一部で、現在は中国が実効支配している環礁です。
位置は北緯9度55分、東経115度32分になります。

1930年代に日本が南沙諸島(当時の名称は新南群島)を占領して植民地台湾に所属する島嶼としていった際に、新南群島の一部はフィリピン領ではないかとの指摘がありました。

新聞記事文庫 外交(147-198)
大阪朝日新聞 1939.4.18(昭和14)

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新南群島の管轄決定きょう公告

(略)
なおフィリッピン諸島のうちに属するとの所論も見うけられたがこれについては一八九八年の米西講和条約第三条をみれば比島領域中本島嶼に最も近接せる部分は北緯七度四十分、東経百十六度より北緯十度、東経百八十度*1の一線であるゆえこの度のわが方の範囲とは牴触しない
(略)

米西戦争講和条約であるパリ条約(1898年)でフィリピンの範囲が指定されていることを根拠として、日本は新南群島南沙諸島)はフィリピン領にあらずと主張したわけです。

Article III. Spain cedes to the United States the archipelago known as the Philippine Islands, and comprehending the islands lying within the following line:

A line running from west to east along or near the twentieth parallel of north latitude, and through the middle of the navigable channel of Bachi, from the one hundred and eighteenth (118th) to the one hundred and twenty-seventh (127th) degree meridian of longitude east of Greenwich, thence along the one hundred and twenty seventh (127th) degree meridian of longitude east of Greenwich to the parallel of four degrees and forty five minutes (4 [degree symbol] 45']) north latitude, thence along the parallel of four degrees and forty five minutes (4 [degree symbol] 45') north latitude to its intersection with the meridian of longitude one hundred and nineteen degrees and thirty five minutes (119 [degree symbol] 35') east of Greenwich, thence along the meridian of longitude one hundred and nineteen degrees and thirty five minutes (119 [degree symbol] 35') east of Greenwich to the parallel of latitude seven degrees and forty minutes (7 [degree symbol] 40') north, thence along the parallel of latitude of seven degrees and forty minutes (7 [degree symbol] 40') north to its intersection with the one hundred and sixteenth (116th) degree meridian of longitude east of Greenwich, thence by a direct line to the intersection of the tenth (10th) degree parallel of north latitude with the one hundred and eighteenth (118th) degree meridian of longitude east of Greenwich, and thence along the one hundred and eighteenth (118th) degree meridian of longitude east of Greenwich to the point of beginning.The United States will pay to Spain the sum of twenty million dollars ($20,000,000) within three months after the exchange of the ratifications of the present treaty.

http://en.wikisource.org/wiki/Treaty_of_Paris_(1898)

実際、パリ条約第3条に記載されている北緯7度40分東経116度から北緯10度東経118度を結ぶと、南沙諸島はその外側に位置し、北緯9度55分、東経115度32分のミスチーフ礁も外側になっています。
日本敗戦後に最も早く南沙諸島の実効支配を開始したのは中華民国で、1946年にはイツアバ島(旧・長島)を占領し、1950年に一度中断したものの、とあるきっかけで1956年からは常駐させるようになります。ベトナムが実効支配を開始するのは1973年以降で、中華人民共和国の実効支配も1960年代〜70年代から始まります。
フィリピンは、パリ条約(1898年)の解釈上は南沙諸島に対する権原を持たないはずでしたが、戦後面白い経緯が発生します。
フィリピンのビジネスマンで弁護士のトマス・クロマ(Thomas Cloma)が、1947年に南沙諸島を「新発見」し、1956年に40人の仲間と共にここに新国家樹立を宣言してしまいました。国家名は“Free Territory of Freedomland”で全世界に向けて新国家樹立を宣言しています。首都をパタグ島(Patag、旧・亀甲島、別名Flat Island)に置きます。
もちろん、当時において南沙諸島は既に知られていましたので、「新発見」などと主張するのは無理がありましたが、クロマは、南沙諸島は“Freedomland”のさらに西にある島のことで“Freedomland”とは違うと主張しました。後にフィリピン政府はこのクロマの主張に乗っかるのですが、この当時は曖昧な態度を取っていました。
しかし、クロマの「新国家」に対して、強硬な態度で否定してきたのが中華民国(台湾)です。

台湾にとっては南沙諸島は自国領ですから、そこを勝手に「新発見」し、「新国家」を樹立するなど、ふざけるな、という話でしかありません。
一時は撤収していたイツアバ島を再占領して、そこを拠点にしてクロマの「新国家」を包囲して圧力をかけるに至ります。
その後、1974年にクロマはフィリピンの独裁者マルコス大統領に“Freedomland”の権利を譲渡*2させられ、フィリピンは南沙諸島の領有権を主張することになります。フィリピンは1978年にこれらを“Kalayaan”とし、フィリピン主権下のパラワン県の一部に編入しました。
とはいえ、実効支配したのは、Pag-asa、West York、Lankian Cay、Loaita、Nanshan、Flat、Commodore Reef、そしてMischief Reefの8島嶼でした。

後日談

1994年から1995年にかけて、フィリピン海軍の隙を突いて、中国がミスチーフ礁に構造物を建設し実効支配を図りました。在比米軍が撤退したことに乗じた動きだと言われていますが、米比相互防衛条約ミスチーフ礁に適用しなかった理由として、ミスチーフ礁はパリ条約(1898年)におけるフィリピン領の範囲外であること、米比相互防衛条約を結んだ1951年の時点ではフィリピンはミスチーフ礁の領有権を主張していなかったことが挙げられています。

(P8、pdf:12/34)
Washington's position is that the Spratly Islands are not part of the metropolitan territory of the Philippines, defining the metropolitan territory as that recognized by the 1898 Treaty of Paris. At any rate, the Philippines did not claim the islands when the United States and Philippines signed the 1951 treaty.

http://www.dtic.mil/cgi-bin/GetTRDoc?AD=ADA309432


日本では、無垢なフィリピンから悪辣な中国が、米国がいない隙を狙って強引にミスチーフ礁を奪い取った、という理解が一般的ですが、フィリピンがミスチーフ礁をはじめとする南沙諸島の領有権を主張し始めた経緯を見ると、そういった理解が余りにも一方に偏した見方であることがわかるかと思います。

*1:テキストは「東経百八十度」だが、画像は「東経百十八度」

*2:1ペソ