2016年7月12日中比仲裁裁判判決全体に関する感想

全体的に、どちらかをとっちめてやろう、みたいな感じではなく南沙諸島の領有権紛争を解決させるための道筋を苦心して作った感じです。
無数の島岩礁のあちこちを中国、台湾、フィリピン、ベトナム等が領有権を主張し、実効支配している状況を解きほぐすのが容易ではないことは間違いありません。歴史的経緯も複雑ですし、半世紀の間に積み重ねられた既成事実も無視できません。さらには中国と台湾は公式には「一つの中国」を考慮する必要がありながら、当事者としては二つに分裂しているわけで、混乱にさらに拍車をかけています。
歴史的経緯を踏まえれば中国・台湾に有利となる一方で、実効支配を考慮すればフィリピン・ベトナムに有利になります。しかし、歴史的経緯を優先しても中国と台湾のいずれに帰属されるべきかの判断は極めて困難になりますし、実効支配を優先しても複雑に錯綜するEEZや大陸棚をどう区切るのかが難題となりますし、そもそも実効支配を優先することは法の支配の考え方となじむのかと言う問題*1もあります。
“中国を追い出せ”的な思考回路の人はネット上だけに限らず、あちこちにいますが、それこそ偏った意見で裁判所になじむ考え方ではありません。今回の判決で“中国ざまぁwww”としか考えられなかった人は自らの偏りを自覚した方がいいと思います。
特に歴史的経緯に関して言えば、中国の主張にも一考の余地は十分にありますし、フィリピンの主張に首をかしげるところも少なからずあります。

判決の評価できる点

それはさておき、この極めて複雑なパズルを解決する方法として仲裁裁判所が持ち出したのが海洋法上の「島」の定義でした。それも極めて厳格に判断することで南沙諸島には法的な「島」は一切存在しないと裁定したわけです。
こうすることで南沙諸島にかかるEEZは主にフィリピンのみとなり、南沙諸島の島は法的に「岩礁」とされることでEEZを持たないことになりました。この結果、個々の「岩礁」の領有権がいずれの国に帰属したとしても、その影響は限定的となり、当事国が互いに譲歩しやすい環境ができたと言えます。極端な話、現時点で実効支配している「岩礁」を個々の当事国が話し合って交換するということも難しくなくなったとも言えます。A国が実効支配する「岩」とB国が実効支配する「岩」を交換する、と言うのは、EEZ基点とならない地形としての価値が等価に近いことを踏まえるとありえない話ではないでしょう。

いずれかの国により既に実効支配し領有主張されている「岩礁」についてはなかなか難しい問題です。フィリピンEEZ内の低潮高地については本来フィリピンに帰属するわけですが、今回の判決以前にはEEZ境界がグレーな状態でしたから、現に実効支配され領有を主張している国を退去させるのは難しい問題ですし、そもそも今回の判決をもってしてもフィリピンEEZ内の低潮高地から他国を退去させるのは可能なのかと言う問題もあります。ちなみにフィリピンEEZ内の低潮高地を実効支配しているのは中国だけではなく、ベトナムもそうです(Alison Reef等)。
これが「岩」の場合はもっと複雑です。「岩」には領海が発生しますのでフィリピンEEZ内であっても、「岩」の領有権がどこに帰属するかによって領有国の領海が発生するからです。
今回の判決では、フィリピンEEZ内にあり、中国が実効支配するJohnson Reef(赤瓜礁)が「岩」だとされましたので中国の領有権が認められれば、ここに中国の領海が発生します。同じことがベトナムが実効支配するPigeon Reefでも(判決で特に言及されてませんが「岩」とすると)言えます。つまり、フィリピンEEZ内でありながらPigeon Reef周辺12海里にベトナムの領海が発生するわけです。
仲裁裁判所は領有権について取り扱っていませんので、これらの問題がどう決着するかについては今後の課題ということになります。しかしながら、これらは極端な話、対象となる岩礁の実効支配国とフィリピンとの二国間協議で解決できる内容であって、今もって難しい問題であることは確かですが、南沙諸島島嶼EEZ基点を認めた場合よりは遥かに簡単になったのも事実でしょう。

“フィリピン勝った”“中国負けた”という視点ではなく、南沙諸島の領有権争いに解決の道筋をつけた、という点で非常に高く評価できる判決だと思います。

判決の問題点

一方で問題点というか懸念もあります。
最初に書いた記事で指摘した点ですが、「島」の定義の厳格さについてです。判決の評価点の肝の部分ですからまさに裏表になりますが。

Under the Convention, islands generate an exclusive economic zone of 200 nautical miles and a continental shelf, but “[r]ocks which cannot sustain human habitation or economic life of their own shall have no exclusive economic zone or continental shelf.” The Tribunal concluded that this provision depends upon the objective capacity of a feature, in its natural condition, to sustain either a stable community of people or economic activity that is not dependent on outside resources or purely extractive in nature.

http://thediplomat.com/wp-content/uploads/2016/07/thediplomat_2016-07-12_09-15-37.pdf

「島」は200海里EEZと大陸棚が発生するが、“人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。”という海洋法条約121条3の規定に対し、仲裁裁判所は「this provision depends upon the objective capacity of a feature, in its natural condition, to sustain either a stable community of people or economic activity that is not dependent on outside resources or purely extractive in nature. 」という解釈を与えたわけです。
自然の状態で、外部の資源に依存しない人間の安定的な共同体もしくは経済活動が維持できる地形が「島」であると言っているわけですが、この条件を満たすとなるとDASH島でギリギリセーフか下手すりゃアウトでしょう。

沖ノ鳥島はもちろんアウト、独島(竹島)もほぼ間違いなくアウトですね。日本以外にもこのような島はいくつもありますから、それぞれにこの判決が影響する可能性があります。特に沖ノ鳥島については、つい最近も台湾によって「岩」だと主張されて日台公船が対峙するような状況になりました。沖ノ鳥島は中国、韓国、台湾が関わる問題で、それこそ日本の“国益”に関わる問題ですから“中国ざまぁwww”で思考停止していては話にならないでしょう。

*1:裁判所が実効支配を追認するだけなら、裁判になる前に実力行使すべき、という傾向を助長することになります。