「「毛が主導した文革などで数千万人が死んでおり、唯一の正しい行いは1976年に死んだことだ」という趣旨の書き込み」が事実なら「毛沢東批判」の範疇を超えるとは思うのだが。

この件。

学者や公務員、毛沢東批判で次々とクビに 中国

朝日新聞デジタル 1/29(日) 20:40配信
 建国の父と言われる一方で、文化大革命などで国を混乱させたとの評価もある毛沢東を批判した学者や公務員が、熱烈な支持者の抗議に遭い、職を解かれる例が中国で相次いでいる。「言論の自由の範囲内だ」と擁護する動きもあるが、党批判に厳しい姿勢の習近平(シーチンピン)指導部の下で、そうした声はかき消されている。
 香港紙・星島日報などによると、山東省の山東建築大学に今月4日、「毛粉」と呼ばれる毛の支持者ら数十人が集結。毛の肖像画を掲げ、「全国の人民に罪を認めろ」などと抗議した。矛先は、ブログで毛や共産党に批判的な内容を載せていた同大芸術学院の訒相超・副院長だった。
 毛の誕生日の昨年12月26日、「毛が主導した文革などで数千万人が死んでおり、唯一の正しい行いは1976年に死んだことだ」という趣旨の書き込みを転載。これが怒りを買った。
 訒氏は省政府の役職も務めており、抗議を受けた翌日の5日に省政府が解職を発表。大学も「教師の身分で社会活動に従事した」との理由で処分した。訒氏を応援する文章を発表した河南省のテレビ局員も停職処分になった。
朝日新聞社

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170129-00000045-asahi-int&pos=4

まあ、解職が適切な対応だったかと言えば、その点は検討の余地があると思いますが、訒相超氏の投稿内容が「「毛が主導した文革などで数千万人が死んでおり、唯一の正しい行いは1976年に死んだことだ」という趣旨の書き込み」だったなら、「毛や共産党に批判的な内容」というレベルではなく誹謗中傷にあたるんじゃないですかね?
慰安婦関連の記事を書いた記者が日本国内でどんな制裁を受けたかを考えれば、日本で公職にある者が「裕仁が起こしたアジア太平洋戦争で数千万人が死んでおり、唯一の正しい行いは1989年に死んだことだ」とか発言したら、今回の中国と同じレベルのことが起きると容易に想像できるんですが。

毛沢東批判も昭和天皇批判も自由に出来るべきだとは思いますが、殊更に人格を否定するような言説は批判の範疇を超えるとも思いますよ。

ちなみに個人的には、文化大革命を評価するのに死者数を用いることは文革の被害を認識する上で不適切だと思ってます。文革被害の重大な点は処刑や武闘による死者よりも、暴行により身体的な障害や精神的な障害を負った者、下放によって教育の機会を失った世代やそれによる経済損失、親兄弟親戚を失った者、民衆間の相互不信、政府に対する不信など多岐にわたる社会的損失の大きさにこそ焦点が当てられるべきと考えます。
死者数ばかり強調しようとするとそれらが見えなくなるので、個人的には良くないと思ってます。

あとですね、山東建築大学芸術学院副院長という立場はそれなりの立場だと思うのですが、「唯一の正しい行いは1976年に死んだことだ」という言い方は誰に対してであれ適切だとは思いませんよ。
まあ、日本社会が昭和天皇に対する同様の物言いを、大学の要職にある者が言っても言論の自由として容認し解職を求めたりしないというのなら一貫してますが、そんなわけありませんしね。

どうも最近、中国や韓国の言論の自由の状況を問題視する論調が強い一方で、日本国内の言論の自由がおろそかになっているように思えてならないんですよね。