「憲兵物語」における通州事件に関する記述

通州事件のエントリーに関して以下のコメントを頂きました。

憲兵物語』森本堅吉(構成・三宅一志)によると
通州事件の原因
共産党による長期的な地下工作の成果→事件後関係者は共産軍に逃避
日本側は華北における共産党の浸透ぶりを軽視していて最後まで翻弄された
・中国側の残虐行為
遺体にも残虐行為をする、残虐行為の質は向こうのほうが上→日本軍の残虐行為は
それに対する報復

とされており当時の報道や証言は概ね事実に沿ったものと思われる

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419

憲兵物語」は随分以前に読んだ記憶がありましたが、さすが記憶が曖昧だったので図書館で確認してみました。ですが、

憲兵の森本氏は事件当時の通州にいたわけではなく事件直後に通州に入ったわけでもなく、同じ冀東*1でも主に唐山に勤務していたわけですから、通州事件に関する「当時の報道や証言は概ね事実に沿ったもの」と言える根拠にはなりません。
その他、いくつか「憲兵物語」に書いていないことを補完していると思しきコメントについて指摘させてもらいます(この「憲兵物語」を、一部軍オタの間で通州事件での中共批判の根拠資料に用いているようなので)。

通州事件の原因
共産党による長期的な地下工作の成果→事件後関係者は共産軍に逃避

憲兵物語」で、森本氏は確かに通州事件の原因は共産党による地下工作によると記載していますが、あまり具体的な根拠とはいえません。記述自体は例えば単行本96ページに以下のような記載があります。

 豊潤県は唐山市の北に広がる一等県で、前年七月末の暴動*2で崩壊した親日傀儡政権・冀東政府の一角だ。文化レベルが高く、毛沢東子飼いの共産党幹部が、教師などを装って地下工作をつづけていたのが冀東暴動の原因、と後でわかるのである。

「後でわかる」と言う部分については113ページの記述が対応します。

 埋伏工作
 初の検挙者は韓城鎮の自宅にいた中央直轄忠義救国軍第三路第八師の特務団長(連隊長)である劉振武。これも住民からの情報がもとで、警察隊をひきいて寝込みを襲い、簡単に検挙した。その調べで、中国共産党創始者・李大剣北京大学教授の教えを受けた毛沢東が、李の出身地である冀東地区から国民党の青年二十一人を湖南省長沙につれ帰り、農民講習所を創設して洗脳。古里に帰った青年たちが教職などに就き、「みんなに尊敬される清潔な暮らし」をしながら、党員獲得をつづけ、「目標、三十年後」の一斉蜂起にそなえる「埋伏工作」中途わかった。
(略)
 当初は「国民党の扇動」とされた冀東暴動も、じつは共産党の主導で起こったと、劉振武を調べて初めてわかったのである。

森本氏が劉振武を検挙した時期については明記されていないが、前後の記述から1938年10月以降、おそらくは1939年のことであろうと思われます。この時期、最前線の中国軍では国民党系と共産党系が激しく対立、この忠義救国軍も国民党系の遊撃隊として主として江南でゲリラ戦を展開し、共産党系の新四軍とは激しく対立していました。
忠義救国軍は共産党系部隊攻撃のために、日本軍と結託したとも言われますので、生半可な対立ではありません。
その忠義救国軍の将校である劉振武の証言、特に敵対関係にある共産党に責任を負わせる発言をそのまま信用できるかどうかについてはかなり疑問があります。

また、「毛沢東子飼いの共産党幹部が、教師などを装って地下工作をつづけていたのが冀東暴動の原因」というのも疑問です。というのも毛沢東中共内で主導権を握ったのはせいぜい長征中の1935年の遵義会議以降、実際にコミンテルンの介入を斥けられるほどの権力を持ったのは1942年の整風運動以降です。1937年7月時点で毛沢東の息のかかった共産党員が冀東政府内に何人もいたというのは、無理がありすぎます。
もちろん、1937年時点で華北民衆の間で、共産主義や抗日思想、民族主義などが広まっていたことは確かですが、満州事変以降の日本の侵略や経済的な圧迫に直面した民衆間でそのような思想が広まるのは当然で、別に中共の工作がなければそうならなかったわけではありません。中共がそういった状況を利用したのも確かでしょうが、1936年末までは国民党による掃共戦が継続していましたし、中共とは別の抗日武装組織も華北にありましたから通州事件の原因を中共と断定するには根拠が不足していると言えます。どうも日中開戦後に抗日組織が中共系に集約されていった後からの後知恵に思えてなりません。

さてコメントの「事件後関係者は共産軍に逃避」についてですが、これについては「憲兵物語」に明記された記述が見出せませんでした。通州事件後に警察や教員などの多くの政府関係者が逃げたとは書いてありますが(102ページ)、「共産軍に逃避」とは書いてありません。

共産党の「長期埋伏工作」の連中よ。

とは書いてありますが(103ページ)、別に逃亡者を共産軍内部で見つけたという話ではなく、”通州事件の原因は中共の工作”から”だから、逃げた奴は中共工作員に違いない”といった類推に過ぎません。
森本氏は憲兵時代に、中国民衆との関係を上手く保ち、その結果としてゲリラ部隊の所在確認や工作員らの摘発に成果を挙げましたが、特定の事件の背後関係について厳密に調べた様子は同書からは伺えません。

残虐行為

・中国側の残虐行為
遺体にも残虐行為をする、残虐行為の質は向こうのほうが上→日本軍の残虐行為はそれに対する報復

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419

これに類する表現は例えば52ページなどにありますが、これは単純に比較できるものではありません。

日本軍部隊が侵攻した先で、住民から食糧を取り上げたり、現地女性を強姦したり、抵抗した住民を射殺したりしても、日本兵がいちいち遺体にまで陵辱を加えた事例は少ないでしょうが、これを残虐行為の質が低い、とは言えないでしょう。
見方によっては、中国人を同じ人間とは見ていなかったからこそ、射殺・刺殺で殺した後は死体をモノのように扱って捨てておしまい、という感覚だったとも言えるわけですから。

これに対して侵略を受けた側の住民やゲリラなどが、侵略してきた日本兵に対して殺害した後も遺体損壊などをするのは、侵略された側の感情としては当然のものとも言えます。後に日本本土空爆をし撃墜された米軍パイロットらを日本人住民が虐殺した事例もあることから、単純に民族や文化の差とは言えないことも明らかでしょう。

同様のことはベトナム戦争でも起こっていますので、日本軍が自隊の犠牲者の有様に激高して過剰な報復行為を行ったと言う側面はあるでしょうが、通州事件はそういった話とは違います。

とされており当時の報道や証言は概ね事実に沿ったものと思われる

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419

というのは理解できません。「当時の報道や証言は概ね事実に沿った」かどうかについて森本氏は記述していませんし、通州事件プロパガンダでよく利用されているのは「当時の」証言ですらありません。

憲兵物語」を根拠に、通州事件に関する「当時の報道や証言は概ね事実に沿ったものと思われる」と判断されるのはちょっと理解できないですね。

*1:河北省東部

*2:通州事件を指すと思われる。同書では通州事件を「冀東暴動」と記載していることが多い