外村氏の「朝鮮人強制連行」の本をこんな風に紹介する池田信夫氏はちょっと変

タイトルは控えめな表現です。

外村大氏の「朝鮮人強制連行 (岩波新書)」は、当時の植民地朝鮮の社会背景や日本政府、朝鮮総督府といった行政内部の事情、日本内地の労働力需要など多くの点を踏まえて朝鮮人強制連行について論じている良書です。朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」は古典的な良書であり、被害者側の視点で書かれた記録という意味では現在でも他に譲る所はないと思いますが、動員した側の論点を詳細に踏まえている点で外村「朝鮮人強制連行」は優れていると考えます。

「強制連行という言葉」

2013年05月21日 15:40 その他
韓国はなぜ男性の「強制労働」を問題にしないのか
 慰安婦について「強制連行」という言葉を使うのは、誤解のもとだ。強制連行という言葉は、朴慶植朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた造語で、公式の用語ではない。
 戦時に政府が労働者を動員する方法は募集か徴用であり、後者は拒否すると罰則があったので、これを強制連行と呼んだものと思われるが、これは朝鮮人に限った話ではない。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51857067.html

のっけから「強制連行」は造語だとか「公式の用語ではない」とか言い始めてます。従軍慰安婦問題否認論者が「従軍慰安婦は造語だ」と言ってプロパガンダに利用した故事にあやかったのでしょうが、「朴慶植朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた」というのは嘘です。「強制連行」という語自体は「強制」と「連行」という非常に一般的な用語をつなげただけで「公式の用語」だとかなんだとか言うレベルのことではありませんが、東京都衛生局長が国会発言で使用していますので「公式の用語ではない」というのも嘘と言っていいでしょう。
戦後の国会議事録でもっとも古い使用例は1953年11月19日の参議院法務委員会での与謝野東京都衛生局長の発言で、街娼を検診のため強制連行するという表現で用いています。

実は今年の春の、つまり昭和二十八年度までは同時に車を持つて参りまして、これらの街頭で発見されました街娼と申しますか、これらに対しまして、即日即刻車に強制連行をいたしまして、病院に連れて参りまして、健康診断を実施するという方式をとつて参つたのであります。これにつきましては、法制意見局から意見が出まして、法の十一条というものは検診命令であつて、強制連行して検診する権限を与えてないというものがありましたものですから、私どもといたしまして非常に困りまして(略)

笑える事例としては、池田氏はこの後で中国人強制連行に関連する花岡事件について言及していますが、まさにこの中国人強制連行犠牲者である劉連仁氏*1の件で1958年に国会で社会党田中稔男議員と岸信介首相がやり取りしています。

衆議院外務委員会、1958年4月9日
○田中(稔)委員 まず劉君の身分の問題でありますが、劉君は、御承知のように昭和十七年岸総理が当時商工大臣をしておった東条内閣の閣議決定に基いて、強制的に本人の意思に反して日本に連れてこられた華人労務者の一人であります。この劉君の身分でありますが、強制連行ということははっきりしておるのでありまして、本人の自由な意思に基いて入国したものでないという点は明らかであります。この点につきまして政府のお考えをお聞きしたと思います。

○岸国務大臣 政府として当時の事情を明らかにするような資料がございませんし、それを確かめる方法が実は現在としてはないのであります。あの閣議決定の趣旨は、そういう本人の意思に反してこれを強制連行するという趣旨でないことは、あの閣議のなんでも明らかでありますが、しかし事実問題として、強制して連れてきたのか、あるいは本人が承諾して来たのか、これを確かめるすべがございませんので、政府として責任を持ってどうだということを今の時代になって明らかにすることはとうていできないと思います。

岸首相の姑息な言い逃れ答弁が安倍首相そっくりな点も笑えますが、それはおき、1958年時点で国会内で首相が「強制連行」という用語を用いていることが明瞭にわかります。つまり池田信夫氏の言う「強制連行という言葉は、朴慶植朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた造語」というのは全くのデマです。
また、池田氏は徴用のみを「強制連行と呼んだものと思われる」などと書いていますが、外村「朝鮮人強制連行」には序章(P2-3)という最初に「朝鮮人強制連行の語について見れば、政府計画に基づき本人の意志にかかわりなく労働者としての朝鮮人を動員したことを最低限そこに含めることは共通の理解となっている」と書いており、徴用に限定していません。池田氏は外村「朝鮮人強制連行」の序章すら読んでいないようです。

徴用者616万人のうち朝鮮人が245人?

 戦時中は、国家総動員法にもとづいて国民徴用令が出され、616万人が軍需工場などに徴用されたが、厚生省によれば、そのうち朝鮮人はわずか245人(すべて男性)だった。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51857067.html

池田氏は新聞を読解する能力に欠けているのか、徴用者616万人のうち朝鮮人が245人とかデマをばら撒いています。

(資料16・1959年7月13日朝日新聞記事)
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、

http://wiki.livedoor.jp/gurugurian/d/%bb%f1%ce%c1%a3%b1%a3%b6%a1%a61959%c7%af7%b7%ee13%c6%fc%c4%ab%c6%fc%bf%b7%ca%b9%b5%ad%bb%f6

読めばわかると思いますが、外務省が1959年時点での在日朝鮮人61万人について関係各省で来日の事情を調査した結果として徴用だったのが245人だったのであり、この時点で日本におらず帰国したり死亡したりしていた朝鮮人徴用者はこの人数に含まれていません。
そもそも、外村「朝鮮人強制連行」のP213には「ここでの「徴用労務者」*2は、国民徴用令の発動以前に動員計画によって日本内地に配置された朝鮮人を含まない。だが「日本政府が強制的に労働するためにつれてきた」という朝鮮人をそのような意味での「徴用労務者」に限定して論じることは適切ではない」と書かれており、外村氏は内地に労務動員された朝鮮人を「四十数万人程度と推算」(同書P210)しています。

要は池田氏は、外村「朝鮮人強制連行」の結論部分も読んでいないわけです。

朝鮮人ブローカーが募集した?

これは戦時労務動員計画で「半島人の徴用は避けること」という方針が出され、官斡旋による募集という形式がとられたことによる。これは朝鮮人ブローカーが募集して国内の炭鉱などに連れて行くのだが、その募集や輸送は政府が管理していた。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51857067.html

これもデタラメで、P112-116の「官斡旋による要員確保」の節では、日本人の労務補導員が集めてまわった事例が紹介されています。
つまり、池田氏は外村「朝鮮人強制連行」の本論部分も読んでいないことになります。

中国人強制連行と混同?

 ただ募集は誇大広告が多く、実際の労働条件が悪いために脱走する労働者が絶えなかった。特にひどいのは炭鉱で、秋田県の花岡鉱山では800人の中国人労働者が暴動を起こして400人以上が殺された。この花岡事件については被害者が損害賠償訴訟を起こし、2000年に和解が成立して鹿島が5億円を支払った。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51857067.html

ここに至っては、池田氏自身、朝鮮人強制連行と中国人強制連行との区別すらできずに混同しています。外村「朝鮮人強制連行」を読むとかそれ以前に池田氏には基礎的な知識が欠けていることが明白です。なお、中国人強制連行の場合は、華北に展開した北支方面軍が現地中国人を軍事作戦として狩りだし軍民問わずに捕えて日本へ強制連行したもので、朝鮮人強制連行とは別の人権侵害・戦時犯罪行為です。
ところで、池田氏の「花岡鉱山では800人の中国人労働者が暴動を起こして400人以上が殺された」という書き方はまるで暴動の最中に400人が死んだように書かれていますが、実際には連行された980人のうち、蜂起以前に140人が過酷な強制労働の中で死んでおり、蜂起自体は2時間程度で終わり逃亡した中国人強制労働被害者らは、官憲だけでなく民間人からまで追われ、日本刀や竹槍などでなぶり殺しにされ、生きて捕えられた中国人も3日間で100人以上が拷問・虐待死しています。さらに強制労働はその後、敗戦後になっても続き、1945年10月までにさらに170人が死んでいます。一方、「暴動」で犠牲になった日本人(管理側についた中国人1人含む)はわずか数人で、日ごろから強制労働で中国人らを虐待していた人たちでした。

池田氏の文章はさらに続きますが、一段落どころか一文ごとにデタラメが書かれている始末で対応しきれませんので、とりあえずここまでにしておきます。

*1:1944年に日本軍により山東省から北海道の明治鉱業昭和鉱業所へ強制連行され炭鉱作業を強制されたが、1945年に脱出し戦後の1958年に山中で発見保護された。

*2:前段に1959年の外務省が報告した在日朝鮮人61万人中徴用者は245人という記述あり