統一協会系と思しき学生団体による洗脳合宿について

なぜ統一協会系と判断したかというと、同団体の構成員の発言やビデオセミナー・洗脳合宿といった手法から総合的に判断した結果です。
例えば、こういう発言。
「現代の韓国にイエスムハンマドに続く救世主が現れている」
具体的に、文鮮明だとか統一協会だとか原理研だとか名乗ったわけではありません。

ちなみに以下は1990年代の話なので、今はどうなのかわかりませんが、21世紀型に進化したのが「大学生遊説隊UNITE代表「女性の社会進出には違和感」(NEWS ポストセブン 8月17日(水)16時0分配信 )」なのかも。
あと、前半は「早稲田大学でカルト教団に洗脳されそうになった話」とほぼ同じです(勧誘のきっかけとかサークルボックスの形状・使い方とかも同じ)。大学は違います。

ビデオセミナー

新入生を大学構内で勧誘して、近くのセミナーハウスに連れて行きます。後から考えると社会問題を考える普通のサークルを偽装してた感じです。
誘ってきたのは、友好的な態度で愛想のいい2人組。
セミナーハウスに行くと他にも何人かいますが、話をするのは自分をつれてきた2人がほとんどでそれ以外の人とは、挨拶以外はほとんど話をしない状態。もちろん、他につれて来られていたと思しき新入生と話すこともありません。セミナーハウスへの行き帰りは2人組が同行するので、他の新入生との接点もありません。
セミナーハウスでは、誰か知らない人が社会問題を語るビデオを見たり、2人組とアニメやゲームの話をしたりとそんな感じ。終始友好的な態度で、こちらの話もよく聞いてくれ居心地の悪さは感じません。2人組はビデオの中の人を“偉い先生で僕は尊敬している”などと持ち上げます。ビデオの話に違和感があって、そこを指摘すると2人組は“君は僕の気付かない所に気付いてすごい”と賞賛する一方で、“この先生なら君の疑問にも答えてくれると思うから是非会ってみるといい”とビデオの中の人を持ち上げることも忘れません。

中間考察

ビデオセミナーは新入生を洗脳する第一段階です。洗脳する側は、洗脳対象者たる新入生に終始友好的に接しますが、洗脳対象者が抱く疑問に対して決して正面から向き合おうとはせず「君の疑問に答えられる偉い先生がいる」とかわし、“先生”と会ってみることを薦めます。同時にその“先生”は尊敬されているすごい先生であるという印象を植え付けます。洗脳対象者が抱く疑問が一切解消されないにもかかわらず、友好的な環境の中で、会ったこともない“先生”に対する印象が植え付けられ、最初に抱いた疑問が埋没していきます。
疑問を疑問のまま維持するというのは結構難しく、雰囲気に流されてしまうこともままあります。

洗脳合宿(2Days)

ビデオセミナーである程度の関係性を構築されると、合宿への参加をしきりに促してきます。この団体では「2Days」と呼ばれる二泊三日の合宿とその後に「7Days」と呼ばれる七泊八日の合宿があります。行き先や内容は詳細には知らされません。というか参加後もよくわかりません。他の大学にも同じサークルがあり、その仲間たちも集まるし、“偉い先生”の講義を直接聴くこともできる的な説明だけです。
初日早朝にセミナーハウス前に集まり、バンに乗って出発します。勧誘してきた2人組の他にも新入生らしき人がいましたが、特に突っ込んだ話もできず、とは言え楽しい雰囲気だけは維持されつつ移動します。
地元の大学に進学したわけではありませんので、地理に疎くどこを走っているかわかりません。今にして考えると宝塚近辺と思われますがはっきりしません(大学は京都)。山間部田舎の集落で少し山に入った辺りにある旅館のような建物に泊まりました。
おそらく元は旅館だったものと思われ、それを借りているのか、実際に旅館として運営されていたものを完全に貸切にしたのか、とにかくサークル関係者以外の従業員と思しき人は一人も見かけませんでした。
そこで何をするかと言えば、“偉い先生”の講義やビデオ上映やゲーム、近くの公民館前と思しき広場で体操とか、そんな感じです(記憶が曖昧ですが)。みんなで食事の用意とかして、夜は雑魚寝とかになります。ところが、その「みんな」と話す機会はありません。話す相手は、勧誘してきた2人組だけで、後は“偉い先生”の講義を一方的に聞くだけで、他に集まってきてる新入生らしき人たちと実のある話はできません。
「このサークルどう思う?」「合宿どう?」とかで腹を割った話は出来ません。常に勧誘してきた2人組が傍にいますし、他の新入生にも同じような2人組が付いています。批判的な話ができる雰囲気ではありません。
これまでのセミナーで抱き続けた疑問、講義で新たに抱いた疑問を“偉い先生”に直接聞くこともできません。“偉い先生”は非常に忙しいらしく、一方的に講義したらさっさといなくなり、質問の時間もなかったからです。それについて勧誘してきた2人組に問い詰めると、“偉い先生”は非常に忙しいから、とはぐらかし、次の合宿にも参加すれば聞けるなどと勧誘してきます。同時に、“真面目に聞いて、そういう疑問を抱く君はすごい、自分はそこまで考えられない、是非先生と話してみてほしい”などと持ち上げてきます。
さすがに疑問点や状況を整理したくなり、とりあえずトイレに行って一人で考えてみようと思っても、勧誘してきた2人組はトイレにまでついてきます。“大丈夫?疲れてるみたいで君のことが心配だ”等など。さあ、そろそろ恐怖だ。
とは言っても、別に暴力を振るわれたり脅迫されたりするわけでもなく、ただずっと見えない膜に包まれたような息苦しさがするだけです。

こんな感じで三日目になり、やっと帰れるとほっとしていたものの夕方になっても移動する様子もありません。三日間ずっとそうでしたが、事前に予定が伝えられることがありませんでした。“次はこれだよ”という案内が来て言われるままに動くという感じです。最終日もいつ帰るのかの説明が全くなく、雰囲気で察するしかありませんでしたが、それでも日が暮れ始めるとこっちも焦ります。
勧誘してきた2人組に問い詰めても、車が遅れてるみたいという曖昧な回答と車が来るまでの間に次の「7Days」に参加しないかという勧誘が続きます。
さすがにこれを七日間もやられれば間違いなく洗脳されてしまうと認識していましたので、申し込みを渋っていると、初めて他の新入生がやってきて、“君も「7Days」に参加しようよ”とにこやかに誘ってきます。“三日間一緒にいたはずなのに、私はあなたと一言も話した記憶ありませんけど?”と内心思ってますから、その勧誘は無意味でしたが、とにかく帰りの車が来ない、と言う状況が続き、“これはサインするまで帰れないな”と諦め、最終的に「7Days」参加申し込みにサインしました。すると、程なく車が到着し帰途につくことになりました。
これがサインするまで帰さないという意図的なものか偶然かはわかりませんが、当然ながら自分の中では不信感MAXです。

その後、無事帰宅してからは、セミナーハウスに行くのを止め、勧誘してきた2人組が家に来た時に「7Days」に参加しないと伝えますが、しばらくは勧誘が続きました。気分は耳なし芳一牡丹灯篭。大学の授業にまで付回されましたが、一ヶ月ほど拒絶を続けていたら諦めたらしく連絡が来なくなりました。
というなかなかの恐怖体験でしたね。

考察

20年以上前の話で当時は携帯も普及していない時代でしたから、今も同じやり方をしてるとは思えませんがスマホの時代に合わせたやり方がおそらくあると思います。
GPSで現在地もわからない、携帯電話もない、という状況で帰りの車が来なかったのでかなり焦りましたが、今ならスマホが使える状態なら何とかなるでしょう。逆に今だとスマホを使わせないように仕向けるSTEPがどっかに入ってるのかもしれません。

自分と対話する相手は勧誘してきた2人組のみ、新入生同士のつながりは皆無、“偉い先生”は一方的に講義するのみ、抱いた疑問は延々と保留、自分ひとりで考える時間も与えられず、常に勧誘してきた2人組の監視下。
これだけで精神は結構参ります。
思考を整理する時間が必要ですが、予定が全く伝えられない状態でただ言われたまま動くしかなく、空いた時間は常に勧誘してきた2人組と話してる状態では思考の整理すら困難で講義や合宿に対する疑問は解消されることなく埋没しそうになります。友好的雰囲気というのも逆に怖く、敵対的な雰囲気であれば自分と周囲の間に精神的な壁を作れますが、友好的雰囲気の中で自分から敵対的な態度を示すというのは困難です。周囲の友好的な雰囲気に飲まれ、自分と周囲の境界が曖昧になると、本来解消すべき相手に対する疑問が見えなくなっていきます。それを見失ってしまうと洗脳完成です。

これは今から考えても、洗練された洗脳手法だったと思いますね。

洗脳回避の分岐点

“講義”に対して抱いた疑問点を維持し続けたことが大きいと思ってます。講義は歴史の内容などもあったのですが、個人的に世界史をよく調べていたので、デタラメとか曲解に容易に気付くことができ、それをメモに書きとめたことで疑問を維持できました。
講義のテーマは“歴史は繰り返す”というもので、世界史上の様々な出来事を並べて何百年かの周期で同じことが繰り返されている、と説明し、救世主も同じように周期的に現れる、と展開し、モーゼ、イエスムハンマドに続く救世主が現代に現れる、と主張する荒唐無稽なものでした。
この最初の世界史上の様々な出来事を並べて何百年かの周期で同じことが繰り返されているという説明の時点で、おかしな点がいくつもありまして、その一つが、バビロン捕囚が繰り返されたのが、教皇のバビロン捕囚だという説明です。
バビロン捕囚と教皇のバビロン捕囚では、字面は同じですけど出来事としては全く異なりますから、そりゃおかしいだろと思ったわけです。しかし、その初歩的な疑問すら、友好的雰囲気での監視下で延々保留されると維持するのが厳しいんですよね。