嫌韓サイトの旅、今回は嫌韓ブログから「3・1運動」を眺めます。
前回と同じサイトですね。
嫌韓バカの基本的な主張として、「韓国併合は韓国人自身が望んだ」「日本の朝鮮支配は善政だった」というものがあります。
これを主張する際に、嫌韓にとって最も困るのが「3・1運動」の存在です。
辞書での説明はこんな感じ。
さんいちどくりつうんどう 【三/一独立運動】
1919年(大正8)3月1日を期して始まり、一年以上にわたって、日本の植民地支配に反対して展開された朝鮮独立運動。独立万歳を叫んでデモ行進したので万歳(まんせい)事件とも呼ばれた。運動は都市から農村に拡大したが、軍隊を投入した日本により弾圧された。三・一事件。三・一運動。
まともな人ならすぐ理解できると思いますが、もし、「韓国併合は韓国人自身が望んだ」「日本の朝鮮支配は善政だった」が事実なら、こんな独立運動が起こるはずがありませんね。
困った嫌韓はどういい逃れるか?
簡単に言えば、「3・1運動は、独立運動ではなく、単なる暴動!」という暴論で言い逃れようとします(似たような論法をつい最近、中国がチベットで使っていましたね。)。
【バ韓国?】 アジア独立運動と3・1節
・1919年に朝鮮でおきた「3・1独立運動」は、アジア各地の独立運動家に大いに勇気を与えたんだそうな・・・。▼2/27 蔚珍タイムズ(韓国語) 引用元:2NN
http://blog.goo.ne.jp/topgun04087488/e/dd79a5935bda953d8af4ef785fead52d
【〔韓国】3・1節の意味をもう一度振り返る・・・日帝圧制への抵抗がアジアの独立運動に影響を及ぼした】
URL:http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1204148319/-100
◆補足・要点◆
・日帝治下の弾圧の中でも民族の独立のために闘った「3・1独立運動」に参加した人々の精神に学び、「竹島は日本領だ」と騒ぐ日本の野望を阻止しよう!
◆ひとこと◆
・高校時代の世界史の教科書は、”悪名高き?”山川出版のものだった。「3・1運動」は、記載されてはいたが、それがどんな規模だったかは記されていなかった。
・「3・1運動」の規模及びその真実を知る日本人は、極めて少ないだろう。実際、僕も初めて知った時は、愕然としました。
・韓国人は、「3・1節」が、アジアの独立運動に多大な影響を与えたと思っているようですが、アジアの人がそのようなことを言っているのを聞いたことは一度もありません。誰か影響を受けたとする人物がいたのなら、教えてほしいものです。
・「3・1独立運動」の真実を知りたい方は、こちらをどうぞ
▼ブログ『散歩道』さん
「「三・一独立運動」の真実」
http://kuyou.exblog.jp/1705248/
山川出版と言えば、高校歴史教科書の採択率トップを誇る大手です。それだけに実績に裏づけされた信頼があるわけですが、「”悪名高き?”」などとつけるのは、よほど歴史の試験に嫌な思い出でもあるのでしょうかね?
とりあえず突っ込んでみましょう。
「3・1運動」は、記載されてはいたが、それがどんな規模だったかは記されていなかった。
世界史の教科書は猿人の時代から現代までをわずか300ページほどで記載している。「3・1運動」に関する記載はせいぜい1〜2行程度。そこに規模が記していないのがそんなに不自然か?
ちなみにミッドウェー海戦についても規模は書いていない。太平洋戦争の転換点となった重大事件だけどね。
あと、同じく山川出版「日本史B用語集」(2000年版)には「三・一独立運動」について以下のように記載されている。
1919年3月1日、日本の植民地支配に反対し、「独立万歳」を叫んだ朝鮮全土にわたる朝鮮民族独立運動。ソウルのパゴダ公園で独立宣言が読み上げられた。総督府・朝鮮駐留軍・警察によって弾圧された。
教科書以外の資料集などにはちゃんと規模が書かれてます。やれやれ。
・韓国人は、「3・1節」が、アジアの独立運動に多大な影響を与えたと思っているようですが、アジアの人がそのようなことを言っているのを聞いたことは一度もありません。誰か影響を受けたとする人物がいたのなら、教えてほしいものです。
影響を受けた人物というか・・・、この1919年3月1日の3・1運動の直後、1919年5月4日に北京で5・4運動が起こっています。第一次世界大戦のパリ講和会議が日本の山東省利権を容認したことに対する反帝国主義デモですが、同じく反帝国主義的側面を持っている3・1独立運動の影響を受けているというのが通説です。
5・4運動はさらに、中国共産党の誕生や南方での孫文の護法運動にも影響を与えています。
この辺は有名だと思いますがね・・・。
さらにはガンジーにも影響を与えているようです(これも否定しようとする嫌韓ウヨがたくさんいますけどね・・・)。
「三一運動には二百万人以上が平和的なデモンストレーションに参加し、朝鮮総督府の弾圧で七五○九人が殺害され、五万二七七○人が検挙された。三一運動は中国の「五・四」運動や、インドのガンジーらによる非暴力主義抵抗運動に影響を与えたといわれる。」
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2001/touyou.html
(「三一独立運動から学ぶ「東洋平和」「日本支配下の裁判」に関する日韓共同研究会の報告」浅野 健一)
さて、このブログ主は、
・「3・1運動」の規模及びその真実を知る日本人は、極めて少ないだろう。実際、僕も初めて知った時は、愕然としました。
と言って、別の嫌韓ブログを紹介しています。
・「3・1独立運動」の真実を知りたい方は、こちらをどうぞ
▼ブログ『散歩道』さん
「「三・一独立運動」の真実」
http://kuyou.exblog.jp/1705248/
ところが、この紹介先のエントリーは3・1運動については、ほとんど何も語っていない。
何の根拠もなく、
不満を持った彼ら(註:韓国併合で特権を失った両班を指している)は朝鮮半島の中心で独立を叫んでみます。
これが実は3.1独立運動w
と述べているだけです*1。
「「3・1独立運動」の真実を知りたい方」は、たったこれだけで満足するくらい脳のキャパが少ないと思っているんでしょうか。あまり自分を基準に他人を測らない方が良いと思いますけど。
あ、その他には、朝鮮総督府の機関紙である「京城日報」の論説を引用して、「要するに外国でフーリガンなんかが意味も無く鬱憤晴らしに暴動やっていたりする、あんな感じです。」と評してますね。失礼。
しかし、これって、人民日報の論説をもって、中国のチベットでの暴動鎮圧を擁護しているのと同じようなものだが・・・。
ちなみにこの紹介先、この後「3・1独立運動」とは直接関係しない(間接的には継続事象とも言えますけどね)朝鮮人ゲリラの話になります。主として1920年10月頃の話ですから、「3・1独立運動」そのものは既に終わっちゃってます。
教訓:紹介するならちゃんと読もう。