新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)に関する若干の経緯

日中韓首脳会談と同じ時期に、よりによって日本で世界ウイグル会議の代表大会を開催するというおおよそ日本外交の妨害行為としか言えない事態*1になっていますが、どうにも外務省自体が親中・反中で内部分裂しているように思えます。もちろん外務省だけの問題ではなく、背後には反中行動を支持する安倍晋三氏ら反共右翼政治家の煽動があるわけですが。

世界ウイグル会議自体は、どちらかと言えば穏健な人権団体のようです。

一方、日本社会は一般的に人権運動に対し非常に冷淡で、世界各地の人権問題のみならず日本国内の人権問題にすら興味を持ってコミットする一般層が他の先進国に比べて非常に貧弱に思えます。ネット上ではより積極的に人権運動をあざ笑う層が圧倒的と言えるでしょう。

そのせいか、世界ウイグル会議に協力する日本国内の団体が、反中排外主義者の集まりという日本の民度の低さを物語る事態になっています。

2012年4月23日に自民党本部で日本ウイグル国会議員連盟設立総会が開かれましたが、それに参加した国会議員は、「安倍晋三古屋圭司衛藤晟一新藤義孝山谷えり子加藤勝信古川禎久斎藤健三原じゅん子渡辺猛之、熊谷大、今津寛*2と言った面々。

このうち、古屋圭司氏、山谷えり子氏の2名は、ニュージャージー従軍慰安婦否定論を主張し現地市長を恫喝した面子であり、日本が拉致しているアメリカの子供に対するアメリカへの返還とアメリカ人親との面会の求め*3に対して逆切れしたメンバーでもあります*4
要するに日本が加害者となっている人権問題に関しては、恫喝と開き直りを常套手段としている右翼政治家が、ウイグル人の人権問題にコミットしているわけですが、本音が反中プロパガンダであって、ウイグル人の人権にはプロパガンダで利用できる以上の興味がないことは明白です。

それでもなお、世界ウイグル会議がそのような右翼政治家の協力を受け入れたのは、東アジアで中国に対抗できる国力を有する日本国内において豊富な資金と政治力を有する団体が既存の人権団体中に存在しないからでしょう。ダライラマの行動にも似たような打算が見え隠れしていますが、それだけ日本国内の人権団体は貧弱であり、人権団体を支援するだけの民度が一般国民中に育っていない証でもあるでしょうね。

それはそれとして

世界ウイグル会議は日本語のHPも持っていて、東トルキスタン新疆ウイグル自治区)の歴史などについても書いてあります。

人々

東トルキスタンにはウイグル人及び同じくトルコ系言語を使用する諸民族 ― カザフ人、ウズベク人、キルギス人、タタール人、タジク人 − などが住んでいる。中国の最近の人口調査によると、東トルキスタンの総人口は1925万人。これは、この土地で違法居住している749万人の漢人移民を含む数字である。(1949年以前は、漢人が20万人ほどしかいなかった。しかも、満州(清)の時代やその後の軍閥らとの戦いの時代に東トルキスタンに流れてきた軍人や軍人の家族がその大半を占めており、一般の漢人市民はほとんどいなかった。清の侵略以前は全くいなかった。)総人口の中で、ウイグル人は960万人であり、多数を占める。一方で、ウイグル人固有の資料によれば、ウイグル人の人口は2000万人前後とさられている。

東トルキスタンは、地理的に中国の自然辺境(そして本来の辺境)である万里の長城の外側に位置する。歴史や文化の面から見ても、東トルキスタン中央アジアの一部であり、決して中国の一部ではない。歴史上には、東トルキスタンで暮らして来たのは漢人ではなく、ウイグル人をはじめとする中央アジアのトルコ系民族ばかりだった。

http://www.uyghurcongress.org/jp/?cat=27

総人口の4割近い漢民族居住者を「違法居住」と決め付ける態度はさすがにどうかと思います。中国政府から迫害されているウイグル人が逆に新疆ウイグル自治区内の漢民族を迫害する懸念をはらむことになりますし*5、実際にそういった対立を煽る効果を持ちかねません。
「歴史や文化の面から見ても、東トルキスタン中央アジアの一部であり、決して中国の一部ではない。」という文言も、分離独立の主張に解しえます。仮にウイグル人の国家として東トルキスタンが分離独立した場合、750万人の漢民族を難民として追い出すのか、それとも多民族国家として受け入れるのか。日本語HPの表現からは前者を選ぶような危険性を感じます。安倍晋三氏ら右翼議員にとっては、前者の事態、さらには中国と東トルキスタンが戦争を起こすことが望ましいのでしょうけど。

略史としての疑問

中国の東トルキスタン占領

清が1911年に国民党政府によって転覆されてから、東トルキスタンは清が任命した最後の総監で清の忠実な手先である軍閥の手に入ってしまった。この時、中央政府が事実上東トルキスタンでの影響力を失っていた。ウイグル人たちは、再び自由を取り戻そうと言う意志の刺激で、長期にわたる数々の苦しさを極まる闘争を行い、1933年と1944年に二回独立を果たし、東トルキスタン共和国を建てた。しかし、この二つの政権とも、現地の漢人軍閥中国共産党の軍事侵入、そして、ソ連の政治陰謀の協力行動によって転覆されてしまった。

http://www.uyghurcongress.org/jp/?cat=27

文中で述べている1933年の独立ですが、これは1933年4月12日政変*6の約半年後の11月12日に新疆南部カシュガルで起きたものです。

この共和国は宗教色があまりにも強く、共和国指導部内の対立などを原因として、わずか半年で崩壊した。この革命の失敗の原因は、共和国大統領のホジャ・ニヤズが新疆省政府と妥協し、総理のサウド・ダームッラと司法部長を拘禁して政府に引き渡したことであった。この共和国が事実上崩壊したのは、政府軍がまだカシュガルに到着していない時期のことであった。
*7

規模としては小さく、どちらかと言えば内部崩壊と言えます。当時の新疆省政府は4月12日政変で政権を取った盛世才で親ソ反日の立場でした。これは当時、ソ連が中国にとって重要な支援国であり、新疆はソ連-中国間の物資輸送ルートだったからで、盛世才自身が共産主義者だったからではありません。1937年以降、盛世才は民族指導者を弾圧し、1941年の独ソ戦によってソ連の影響力が弱まると、共産主義者の排除を行なっています。1943年には毛沢東の弟である毛沢民らを処刑しています。盛世才は蒋介石側についたのです。

11月革命(三区革命)

1944年9月、盛世才は蒋介石の命により重慶に転属。その時既に始まっていた東トルキスタン独立運動により1944年11月、東トルキスタン共和国樹立が宣言されました。これが世界ウイグル会議が言っている2回目の独立です。
しかし、この時の新疆の支配者は国民党政府であり、共産党ではありません。さらにこの時革命勢力側に武器を支援していたのはソ連です。この革命勢力は事実上「ソ連軍」と呼んでも良いくらいでした。当時の国民党政府にはこれを制圧できる力がなく、東トルキスタン独立は目前に迫っていたと言えます。ちなみにこの革命に対しては、毛沢東率いる中国共産党も支持しています。したがって「中国共産党の軍事侵入」という部分は誤っています。
ソ連の政治陰謀の協力行動」については、日本敗戦後にソ連が国民党政府と取引した結果、1946年1月、東トルキスタン共和国が解消したことを指すのでしょう。

イリハン・トレをはじめとする共和国政府は、中国支配の排除を最も重要な課題としていたため、中国からの独立という民族の悲願をソ連に賭けたことが、かえって第二次東トルキスタン民族独立運動の致命傷となった。ソ連の対中国政策の豹変という事態によって、すぐそこまで手にいれた勝利の果実―ウルムチの占領―をやむなく断念し、和平交渉に応じ、とうてい同意できない「新疆暴動地域の民衆代表」なる名義で和平協定に調印して、とうとう民族独立の夢を捨てることを余儀なくされたのである。大国の支持を獲得しながら、それを背景に自らの民族独立を達成しようとしたが、結局その手法ゆえに、国際情勢が激しく変化しつつある時代の流れのなかで、大国間の政治ゲームの犠牲者とならざるをえなかったということは、弱小民族としての運命であったといえるだろう。
*8

以上のように少なくとも、1933年及び1944年の独立運動において「中国共産党の軍事侵入」によって独立が潰されたというのは事実に反すると言えます。

新疆起義

1949年に、ソ連の援助を得た中国人民解放軍が侵入してきて、最終的に東トルキスタン共和国を征服させた。そして、東トルキスタン国民の運命を剥奪した。1955年に、中国共産党東トルキスタンで所謂「新疆ウイグル自治区」を作った。

http://www.uyghurcongress.org/jp/?cat=27

この辺も事実に反します。1946年に東トルキスタン共和国が解消され*9連合政府ができますが、間もなくこれも解消され新疆は国民党政府の支配下になっています。そして国共内戦が最終段階に入った1949年、蒋介石の腹心であった故宗南の部隊も撤退し、残存部隊は共産党への帰順を宣言し、12月に人民解放軍が到着したことで、新疆は正式に中共支配下に入ったわけです。
世界ウイグル会議のHPの記述は、東トルキスタン共和国中共軍が軍事侵攻して併呑したかのような表現ですが、事実としては国民党支配地であった新疆から国民党軍残存部隊が中共軍に合流したという形式上は平和進駐と呼べるものでした。
むしろ、1949年8月25日に北京に向かっていたウイグルキルギス、カザフの民族指導者が遭難したことの方が、その後の中共支配に対する民族運動を弱めたきっかけと言えます。遭難には中共ソ連の陰謀があったという説もあります*10が、真偽はともかくそのような噂が出るくらいには新疆における独立への希望があったのは間違いないでしょう。

現在

中国共産党支配下に置かれてから、東トルキスタンは史上最悪の暗黒時代を迎え、ウイグル人生存権利が深刻な危機にさらされることになった。中共政府が東トルキスタンにおいての永久の占領を実現するために、あらゆる邪悪な手段を使ってウイグル人及び他の地元民に対処してきた。

自分たちの身分及び生存権利が、中国共産党の残忍で非人道的な破壊及び恐怖に置かれる中、ウイグル人や他の地元民が手を結んで中国共産党の統治に屈することを拒絶し、先祖たちから受け継いだ反抗のたいまつを高く挙げて、中国共産党と反侵略闘争を続けている。

http://www.uyghurcongress.org/jp/?cat=27

現在、明言していないものの独立を志向した民族運動を行なっている世界ウイグル会議が上記のような主張をするのはポジション・トークとして理解できます。
「史上最悪の暗黒時代」という表現については多分に感情的であり評価は難しいですが、盛世才統治時代(1933〜1944)の後半のように強力な独裁政権による恐怖政治などもあったことは考慮されるべきでしょうし、1944年に400万人程度だった人口*11は、現在2000万人*12となるなど、人口だけで判断できないにしても、それなりの発展はしています。
問題とされるべきは、移住者である漢民族住民との民族対立でしょう。中国全体で考えれば、ウイグル人は圧倒的少数民族でありながら、新疆では多数派である、漢民族には少数民族を蔑視する傾向がありながら、ウイグル人には新疆を基礎とした排外主義的な傾向がある*13、それが両者の対立を悪化させているように思います。

*1:この意味で「無神経にもほどがある」というApeman氏の指摘は正しいと思います。http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120515/p1

*2:http://uyghur-j.org/news_20120423.htm

*3:海外での国際離婚時に日本人親が子供を外国人親の同意を得ずに日本に連れ去り、日本政府が返還の求めに応じず事実上匿っている問題。

*4:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120508/1336497755

*5:ナチスに迫害されたユダヤ人がイスラエルではパレスチナ人を迫害したように。

*6:これについては、以下に詳しい。http://www6.plala.or.jp/GEKI/geki/7/kominterun03.htm

*7:『理論研究誌 季刊中国』2001年春号「イスラム教の動向と中国の民族問題」(下)「東トルキスタン共和国の成立と崩壊」野口 信彦

*8:『理論研究誌 季刊中国』2001年春号「イスラム教の動向と中国の民族問題」(下)「東トルキスタン共和国の成立と崩壊」野口 信彦

*9:一部では三区の政府を東トルキスタン共和国政府として扱っていますので、これ以降も東トルキスタン共和国の記載がある資料もあります。

*10:ただし、遭難した民族指導者はソ連共産党員や親中派と目された人物である。

*11:ウイグル人は300万人

*12:ウイグル人は960万人

*13:1990年4月に起きた南疆アクト県バリン郷の暴動では秘密組織「東トルキスタンイスラーム党」が「ジハード(聖戦)を起こして、中国人を東トルキスタンから駆逐する」とのスローガンを掲げ、20人以上の死者を出しています。