別居親と引き離された子どもの気持ち

両親の離婚により、別居親と引き離された方のブログに以下のように述べられています。

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いきなり、引き離された、悲しい気持ち。
でも、それを消化する事が出来ない日々。
自分が原因じゃない、トラブルに巻き込まれて、苦しむ日々。
受け入れれない事を受け入れるには、嫌いになるのが一番早かった。

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どうして、別居親の事を、嫌いになるんだろう?
確かに、同居親に、言われたから、そう思う事もあるかもしれない。
でも、それでも、最終的には、自分が決める事。
どうして、別居親の事を、嫌いと思わないといけなかったんだろう。
それは、自分の中で、消化する為だったんだなって思います。
毎日、会えない事に苦しみ、悲しむ。
辛い日々を送る。
それも、自分では、どうしようも出来ない事に、もがき苦しむ。
毎日が辛い。
どうしたら、この苦しみから、解放されるんだ。
僕は、父さんと会いたい、でも、もう一生会う事は無いんだ。
もう、会えないんだ。
いつまでも、この気持ちを持っていたら、自分がつぶれてしまう。
どこかで、気持ちを切り替えないと。
そうだ。
父さんを、嫌いな理由を、探せばいい。
父さんを嫌いになれば、この自分ではどうしようもない状況から、苦しまなくて済む。
そうやって、父さんを嫌いな理由を集めました。
そして、嫌いと思いこむ事が出来ました。
すると、楽になったんですね。
この生活に、順応できるようになったんですね。
子供にとって、どうしようも出来ない状況。
それも、自分が原因じゃない状況。
まだ、自分が原因なら、反省や改善など、色々な事が思いつく。
でも、自分が原因じゃない中で、いきなりトラブルに巻き込まれる。
それも、自分では、手足も出ない状況。
これは、とても苦しかったです。
生きている事も、苦しかったです。
だって、無理やり、嫌いじゃない親を、嫌いに思わないと、自分の生活に順応できないくらい、混乱した日々を送ったわけですから。
でも、僕は、子供として、一生懸命生きました。
あの時、両親も苦しかったと思いますが、子供の僕はもっと苦しかったです。
両親には、離婚をする理由や、嫌いになる理由があるかもしれません。
浮気、暴力、暴言、性格の不一致など。
でも、子供には、親を嫌う理由が無いんですよね。
子供は、変化していく生活に順応する為に、自分なりに、必死で生きているんですね。
その一つとして、別居親を嫌いになる。
これは、ひとつの生活に順応する為の手段です。
子供が、別居親を、本当に嫌いになる事はありません。
会えなくて辛いのは、親だけじゃありません。
会えない日々の中で、必死で、日々の生活に順応する為に、子供達も頑張っています。
だから、もし、子供が、別居親を否定する言葉を言ったとしても、表面上の言葉だけで、判断する事はやめてください。
子供は、そんなにカンタンには、両親の事を嫌いになる事はありません。
ただ、自分自身が生きていく為に、苦渋の選択を迫られて選んだ。
それだけなんです。
会えない苦しみは、親子とも一緒です。
それでも、子供は一生懸命生きています。
今だけに焦点を当て続け、子供と会えない事を、憂い続けるのでは無く、自分の人生を生きてほしいと思います。
会える時は、必ず来る。
その時に、やつれ苦しんだ親を見るよりも、子供が、会った時に、やっぱり、私の親だな。
そう思えるような、親であってほしいです。
子供にとって、親はいつでも、自慢の親です。

http://ameblo.jp/oyatoau/entry-11403196305.html

この方は20年ぶりにでも、生き別れた父親と再会でき、心の絆を取り戻すことができました。
「会える時は、必ず来る。」と書かれており、それが叶えられるならせめてもの救いですが、実際には一生会えなくなることが少なくありません。

「子ども自身が会いたいと思う時まで待て」というのは家庭裁判所の常套句のようですが、子どもを別居親に会わせたくない同居親の元で育てられているのに、それに反して子どもが自分から別居親に会いたいと主張することなど、まずあり得ません。
「子ども自身が会いたいと思う時」など、永遠に来ないのが普通です。

引用したブログ主は自分の意思で父親に再会しましたが、小学6年生の時から20年もの月日が経っての再会です。
父親はずっと会いたがっていたそうです*1。しかし、同居親が積極的に会わせようとしない限り、子ども自身が別居親に会いたくなるのは10年以上の月日がかかるわけです。しかも、このブログ主が父親に会いたいと考えたきっかけはブログ主自身の離婚経験です。
「子ども自身が会いたいと思う時」を待ったことに対して、10年以上の月日と子どもの人生における失敗という大きな代償が支払わされたのです。

このブログ主が幸運だったのは、父親に会いたいと思った時、父親は存命であり、居所が簡単にわかったことです。

20年も経っていた場合、居所がわからない場合も少なくありませんし、何よりもまだ生きているという保証もありません。

なかでも最悪の事例は、子どもと再会することを切望し、家庭裁判所に救済を求めていた別居親(父親)が、家裁の裁判官から「あなたが子どもと会わないことが、子供の幸せ」と言われたことを苦に自殺した事例でしょう。

家庭裁判所の裁判官は、どのような根拠で面会交流の回数や方法を定めるのか。その裁判官は、果たして、親子の情義というものが分かっているのか。家裁で裁判官から「あなたが子どもと会わないことが、子供の幸せ」と暴言を吐かれて自殺した父親もおります(岐阜・H23.5)。子にとって、成長していくうえで、親はどんな位置づけなのか。逆に、親の子に対する愛情は、無視しても良いのか。これらのことを考えた上で、面会交流の実施が決定されなければなりません。

http://tw-law-office.jp/coramu/co_009_07.html

この事件の子どもが将来父親に会いたいと思ったとしても、その願いは叶えられることはありません。
まして、父親が自分に会えないことを苦に自殺したと知ったら、その子どもはどう思うのでしょうか?