親子引き離しの事例

ハーグ条約で何が問題かを知るためには、そもそも離婚後の親子関係が日本ではどう扱われているのか知る必要があります。
その根幹は「離婚は縁切り」という思想で、親子間にもそれを適用し結果として子どもと別居親との引き離しを容認しています。

そのため共同親権を求める声もありますが、法制度の問題以上に日本社会の意識の方が問題でしょう。
最近の一連のハーグ条約関連の記事で、「日本国内では養育費不払いの方が問題」「面会したがっている別居親なんて聞いたことない」「別居親と縁切りできたので日本のシステムに感謝している」などという主旨のコメントが散見されました。

日本国内の離婚で、離婚後子どもと引き離され苦しんでいる別居親がいること自体が知られておらず、そのためにハーグ条約関連の国際離婚の問題でも想像力が働かず、「連れ去りはDVのためで正当」というハーグ条約反対派の主張を鵜呑みにしていることが多いようです。

そういうわけで、国内離婚後の親子引き離しの実例をいくつか紹介します。

「離婚で壊れる子どもたち」棚瀬一代、第五章 2 子どもと別居親が互いに疎外されていく高葛藤離婚の事例 P167-168

 【事例3】
 結婚生活八年の間に、ミネラル・ウォーターを冷蔵庫に入れるのか入れないのか、卵焼きに砂糖を入れるのか塩を入れるのかといったことから始まって、あらゆる些細なことで意見が衝突し、夫婦間での喧嘩が絶えなくなった。夫婦とも、もともと激しい気性で、互いに攻撃的な言葉での応酬や、時には互いにつかみ合っての喧嘩にもなった。夫婦共働きだったので子どもの養育に関しては、父親も離乳食作りも含めて母親と同程度に乳児期から関ってきた。
 ある日、父親が帰宅してみると、母親と二人の子ども(当時長女七歳、長男三歳)がいなくなっており、その後、母親からDVを理由として離婚調停の申立があった。母親からのDV申立に対して、家庭裁判所では、これまでの夫婦関係の細かい聴き取り調査などの独自の調査を行なうこともなく、母親の「DV夫」であるとの申立がそのまま認められた。
 以後、父親は、まだ別居中であり、親権者であるにもかかわらず、子どもに関する情報は一切知らされず、また面会交流の申立も、まずは離婚の問題を解決してからといわれ続け、その後は母親も子どもも父親に対して恐怖心を抱き、怯えているとの理由から却下されてしまった。
 またこうした争いの過程で、幼い子どもの直筆で「わたしたちはあいたくないんです」との手紙も渡された。

この事例は母親の連れ去り以降、父親と子どもらが引き離されたにもかかわらず、司法は被害者である父親に対して一切救済していません。親権者であるにも関らず、調停中の面会の申立も拒絶され、調停委員会や家裁審判官は何ら傍観していたようです。離婚調停は数ヶ月から数年かかることがあり、その間父親は一切子どもに会えず、調停で父親と争っている母親の下で子どもは生活していたわけです。
低年齢の子どもは同居している保護者の影響を容易に受けますので、父親に対して敵愾心・恐怖心を抱いている母親の精神状態に同調し、子どもたち自身が父親から虐待を受けたわけでもないのに、父親を恐れるようになっています。いわゆる片親疎外(PA)という児童虐待ですが、日本の法制度では片親疎外は虐待の定義に含めていないため、野放しになっています*1

ちなみにこのような事例でも母親側が養育費請求の申立を起こせば、おそらく家裁は認めるでしょうし、それ以前に面会条件を餌にすれば、調停の段階で父親が飲む可能性が高いです。もちろん養育費支払いについて調停合意が成立後、母親が面会を実際に行なうかどうかは一切保証されません。子どもが会いたがっていないと言えばそれまでですし、既に洗脳で子どもは父親を嫌悪する状態になっていますから、家裁の調査官が調べたとしても面会延期を提案されるでしょう。
一方で、調停で合意した養育費は確定判決同様の強制力を持ち、母親側がその気になれば強制執行が可能です。
同居親が面会の約束を破っても、別居親は養育費の約束を守らなければならないという状況で、同居親と別居親の間には著しい権力の不均衡があるわけです。


同書P170-172

 【事例5】深刻な片親疎外の事例
 父親と三人の子どもたち(長女七歳、長男五歳、二女三歳)は、とても仲が良かった。一緒に海に行ったり、山に行ったり、遊園地に行ったりと楽しい思い出がたくさんある。
 しかし、夫婦仲が険悪になり出した頃から、子どもたちの態度が、変わりだした。母親がいるところでは、父親を避けるようになり、父親に対して「きたない!」「きらいだ!」「そばに来ないで!」などと憎しみの言葉をはいたりするようになってきた。このような態度は母親の父親に対する態度と全く同じである、かつ母親は「子どもたちがこんなに嫌がっているのが分からないの?」と父親をなじった。
 また父親のことを「パパ」と呼ぶかわりに、「○○さん」と名前で呼ぶようになる。
 しかし、母親の目が届かないときには、下の子二人は、一瞬、昔の親子に戻るような時もあった。しかし、そんな時でも、長女だけは、弟と妹を見張るかのように硬い表情のままであった。
 母親は、同居中から子どもたちに、父親が母親と子どもたちを「迫害する存在」であるとの、現実的根拠に全く基づかない信念、つまり妄想を吹き込み、子どもたちも父親が話しかけても無視するようになり、同居しているにもかかわらずほとんど接触がない状態であった。夫婦間の葛藤も高く、父親にとっては耐えることのできる限界に達していたが、別居してしまえば、子どもたちとの接点を完全に失ってしまうと思って耐えてきた。
 ある日仕事を終えて帰宅してみると、めぼしい家財道具とともに妻は子どもたちを連れて家を出て行ってしまっていた。やっと居所をつきとめて父親が面会交流を求めても、母親は「子どもたちが嫌がっているのが分からないの!」の一点張りで、会わせようとしない。下の子二人が通う幼稚園に会いに行くが、父親の姿を見ると子どもたちは何か「怖い怪物」でも見たかのように逃げるようになってしまった。子どもたちの変貌ぶりにすっかり心を痛めた父親が、家庭裁判所に面会交流を求めて調停を申し立てる。
 調査官が子どもたちに面接して意向を調査したが、子どもたちは、「○○さんには会いたくない」「お母さんがいればそれだけでいい」「○○さんといても楽しいことは何もなかった」「じゃまばかりする」「歯を磨かせる」「よく噛んで食べるようにとうるさい」「お母さんはうるさく言わない」などと主張する。子どもの目には母親は「一〇〇%善人」、父親は「一〇〇%悪人」である。父親を拒否する理由もあまりにも些細なことばかりである。しかも長女が答える言葉を、隣で弟も妹もまるでオウムのように繰り返すばかりであった。
 その後、試行的面会交流が行なわれたが、家庭裁判所の面会交流の場に現れた父親の姿を見ただけで、子どもたちは「怖い怪物」に今にも襲われるかのようにパニックになって、母親の助けを求めて泣き叫び、面会交流は短時間で中断せざるをえなかった。

このような最悪の事例でも、法制度上は養育費支払いの申立が出来、認められる可能性は高いです。一度養育費支払いの合意が裁判所でなされれば、この父親は今後一生自分を嫌い続けるであろう子どもたちに対して養育費を支払い続ける義務を負います。もし払わなければ強制執行される可能性があります。
一方で、面会交流が認められる可能性はほとんどありません。子どもたちに父親を嫌悪させるようにプログラムした母親には何の咎めもありません。せいぜい家裁調査官が電話で説教する程度です。

上記、いずれの事例も客観的には、母親(同居親)による精神的な児童虐待であり、子どもを利用した父親(別居親)に対する精神的傷害行為と言えますが、日本の法制度ではそれを裁けませんし、原状回復のための手立ても取られません。
家庭裁判所が行なうのは、同居親に連れ去られて別居親を嫌うように洗脳された子どもを助けることではなく、同居親に排他的に親権を認め、別居親との接触を認めない旨を追認するたけです。

精神に深い傷を負った別居親も、根拠もなく別居親を嫌うように仕込まれ今後も嫌い続けるように教育される子どもも、日本の司法は助けないのです。

これ以外に日本の司法がやるのはせいぜい子どもたちが経済的に困窮しないように、別居親に養育費を払うようにさせることくらいです。

*1:そもそも、家庭内という密室で行なわれる精神的な虐待は証明が難しい