江寧県農村地区の被害推定

スマイス調査によると、南京事件直前の江寧県農村地区*1の人口は49.3万〜54.4万程度と推定されています。句容県、溧水県、江浦県、六合県の半分を加えた計4.5県では、121万〜135万程度*2です。城市人口は27.5万と推定されていますが、スマイス調査の対象ではないため被害詳細は不明です。

江寧県で調査された世帯は205戸ですが10戸中1戸を調査するという方法のため、聞き取り調査はしていないものの農家の存在確認をした世帯数は2000戸余りとなります*3。この調査では、一家全員が不在の場合は聞き取り調査できません。その不在世帯数は江寧県では500戸程度確認されたようです*4。江寧県西部での調査では10戸中1戸を選ぶことが困難であった旨の言及が報告中に見られます*5
聞き取り調査した世帯では、平均家族構成人数が5.3人であり、江寧県全体での農家戸数は81600戸であることから、スマイス調査時点(1938年3月)の江寧県農村地区の人口は43.3万人と推定されています。

これは南京事件の前後で江寧県農村人口が6〜11万人程度減ったことを示しています。人口が減少した原因としては、死亡と避難が考えれます。

死亡については残留世帯に対する調査で、暴行死9150人、病死1590人と推定されており、避難(不明)については空家戸数から11万人と推定されています。避難(不明)者数は世帯人数を残留世帯と同等と仮定した推定のため精度が粗く、個人的には5万人程度ではないかと考えています*6
その5万人の避難(不明)者ですが、一部は国民政府の武漢遷都に同行し、一部は別の地域に避難して無事であると考えられますが、日本軍による包囲以前に南京城内に避難し陥落後に虐殺された者、あるいは避難中に日本軍に虐殺された者も多数いたと考えられます。

さて、江寧県農村地区の調査にあたって5戸に1戸の割合で空き家だったこと、調査した世帯10戸につき1人以上の暴行死者がいたことは江寧県が受けた戦災被害の凄まじさを物語っていますが、一方で調査対象が被害の大きな村に偏っていた可能性もあります。これを考慮して調査地域の被害を3割減とみなすと、暴行死者は約6000人(95%CI:3300〜9700人)、避難(不明)者は約5万人となります。
点推定値を挙げるなら、避難(不明)者を、疎開武漢へ)、避難(付近で無事)、死亡に三分し、避難(不明)者中の暴行死者約1.6万人とし、上記推定暴行死者約6000人と合わせて、約2.2万人が江寧県農村での南京事件虐殺被害者数となります。幅を持たせるなら、約2万〜2.5万人です。

もちろん、スマイス調査にある江寧県の未帰還者11万人をそのまま使えば、数字は大きくなりますし、未帰還者のほとんどは生存していると仮定すれば小さくなります。調査世帯が被害の大きかった地域に偏っていると判断すれば小さくなり、被害の小さかった地域に偏っていると判断すれば大きくなります。

(追記2013/5/3)
江寧県農村地区の被害に関するスマイス調査の直接的な結果はあくまでも、殺害犠牲者9160人、未帰還者11万980人です。
私は本文中に記載している条件を仮定した上で、殺害犠牲者数を約2万〜2.5万人と推定していますがあくまで私個人の推定に過ぎません。仮定を共有しない場合はこの数値は引用できません。秦氏の推定についても言えることですが、結論となる数字を支持・引用するのならばその結論を導いた仮定をも支持する責任を負うべきです。その責任が終えないのならスマイス調査の殺害犠牲者9160人、未帰還者11万980人という数字を尊重すべきでしょう。

*1:県城など城市を除く

*2:但し、溧水県の18万〜27万という推定は誤記ではないかと思われ、おそらく17万〜18万程度と考えます。その場合、4.5県の農村人口は121万〜125万程度になります。

*3:さらに3つの村の1つを選ぶという方式のため、調査員が目撃した戸数で言えばもっと多くなるでしょう。

*4:未帰還人数110980人から逆算した推定値。

*5:In the western part of Kiangning Hsien the investigators let local expediency interfere with selecting every tenth family.

*6:事件前人口49.3万人を採用し、事件後人口43.3万人との差分6万人のうち、1万人が死亡、5万人が避難(不明)と予測。